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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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門司戦記(七) 通謀露顕の巻

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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(七) 通謀露顕の巻 
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「何奴!」


背後から近寄る足音に感づいた二将は、
腰に下げた刀の柄に手を掛け、
素早く振り返りながら短く叫んだ。

弘中方明が左手に持つ松明の炎は、
その二人の顔を闇の中に浮かび上がらせる。


「これは……、
稲田様に葛原様ではありませんか」


方明は、二人の名を呼びかけた。

出丸で肩を並べて密談をしていたのは、
三角山城を守っていた杉彦三郎の副将である
稲田弾正(いなだ だんじょう)、
そして葛原兵庫助(くずはら ひょうごのすけ)だった。

稲田弾正と葛原兵庫助は両者とも、
話しかけてきたその者が誰なのかを知らなかった。

雑兵の一人だと思い、全身を睨み回す。


「……見かけない顔だな。どこの兵か?」

「拙僧は、堀立壱岐守殿の部隊に加わっている
三蔵主(さんぞうしゅ)と申す者」

「拙僧……。ということは、坊主か?」

「はい、周防岩国(=山口県岩国市)の
琥珀院(こはくいん)の僧兵でございます」


弘中方明は、穏やかに返した。

当然、これは虚偽である。

確かに方明は、六年前の厳島海戦の後に、
岩国の琥珀院にて出家して三蔵主と名乗った。

しかし今は、毛利氏に乞われて還俗し、
毛利家の一将として武家に復帰している。

あえてその名を隠して、
仏門時代の心象で二人に近づいたのである。


「そうか。岩国の坊主が、我らに何の用だ」

「いえ、別にお二人に用があったわけではなく、
向学のためにも城内を見ておこうと」

「堀立殿の指図か?」

「いえ、私は正式な毛利兵でありませんから、
自由に歩き回らせてもらってます」

「そうか。だが、我らを知っているとはな」

「ええ。お二人は大内義長公のおそばに
おられたではありませんか」

「何っ!? おぬし、義長様を知っておるのか」

「ええ。義長公の法話役を務めておりましたから」

「何と!」


嘘である。

怪しまれないように方明の口から出た
とっさの出まかせである。

しかし、元大内家臣だからこそ生まれる真実味が
そこにはあった。


「月に二、三度は山口にお呼び頂いておりました。
私は豊前国の出身でして、
もともと大友家にお世話を頂いてました」

「おお。大友領の者だったか」

「はい。大恩ある義長様が討たれた後、
地元豊前の地理に明るいからと、
今度は堀立殿に招かれたというわけです」

「ほう」

「まさか、厚恩を頂いた義長様の仇である
毛利の軍に招かれることになるとは……。
人の定めとは分からぬものでございます」


方明がつらつらと述べる方便を聞いて、
稲田弾正と葛原兵庫助は驚いている。

そして、少しずつその口元が揺らぎ始めていた。


大内義長は、大内氏最後の当主である。

大内氏筆頭家老の陶晴賢が中心となり
「大寧寺の変」で大内義隆を排除した時、
陶晴賢ら大内家臣団が新当主に迎え入れたのは、
豊後国の大友義鎮の弟、大友晴英だった。

大内義隆の妹が大友義鑑に嫁いでおり、
晴英は義隆の甥にあたるからである。

晴英が大内義長と名を変えて
周防山口に迎え入れられた時、
豊後国からも幾人かの大友の武将が随行した。

しかし、その数年後には
台頭した毛利氏に攻められて大内氏は滅亡。

大内義長は自害に追い込まれてその命を絶ったが、
豊後から追従した諸将の中には、
そのまま毛利軍中に組み込まれた者もいる。

稲田弾正と葛原兵庫助らも、
豊後から周防に入り毛利の将となった一人であった。


弘中方明も、大内家重臣・弘中隆包の陪臣であり、
元は大内義長に仕えていた身である。

しかし、稲田も葛原も弘中方明とは
義長政権時代にはほとんど接点がなかった。

「厳島の戦い」で毛利軍の奇襲により兄が討死し、
弘中方明は大内義長の死を見ることなく出家し、
それからは武家の世界を離れて仏門に入っていた。

毛利に乞われて軍中に加わったのはつい先日のことで、
稲田弾正と葛原兵庫助は
方明の顔を知らなかったのである。


葛原兵庫助が、声を静めて方明に問い始めた。


「坊主……。おぬし、
今も義長様の恩義を忘れておらぬのか」

「それはもう。大内家からは寺に多大な寄進を頂き、
また我らが法話もご熱心に耳に入れて頂き、
義長公ほど恩義あるお方はおりませぬ」

「そうか。もし義長様の仇を討てるとしたら、
おぬしならどうする」

「ははは。義長様の仇となれば、この毛利です。
仇討ちとなれば、城ごと毛利を壊滅させるぐらい
できればいいのでしょうが、それならば
城下の大友との連携が必要になりましょう」

「ほう。そう思うか」

「はい。私もこうやって城内を歩き回り、
門司城の地形と兵の配備は一通り分かりました。
あとは大友と連絡を取り合えばうまくいくでしょう」

「ふむ……」

「日時を示し合わせ、内部で混乱を起こさせ、
外からは一気に攻めてもらう。それだけです」

「なるほど」

「まあ、私はもう毛利の身。
今さら大友家に伝手などございませんから、
義長公の敵討ちなんて遠い夢でございますが」


最初は警戒しながら聞いていた二将は、
流暢に出てくる自称僧兵の話を聞きながら、
次第にちらちらと互いを見合わせ始める。

そして稲田弾正が葛原に小さくうなずくと、
懐から小さくたたまれた書状を取り出して
僧兵と名乗るその男に言った。


「坊主。その遠い夢、果たしてみるか」

「えっ」

「おぬしが持たぬ大友の伝手、ここにあるとしたら?」

「……できるのですか。そんなことが」

「協力するか」

「まさか……、そんな……」


方明は希望がにじみ出すような声を絞り出しながら、
小刻みに震える手を、書状へと伸ばす。

……という演技である。


稲田弾正と葛原兵庫助は、大友の内通者であった。

実は稲田弾正も葛原兵庫助も、
大友軍の知恵袋、田北民部の親戚だったのである。

そのため、二人は緻密に
城外の田北民部と連絡を取り合っていた。

そして、門司城内の様子を報告するため、
二人は夜な夜な、配備を確かめていたのであった。


これから実行される謀計のためには、
城内に一人でも多くの同調者が欲しいところである。

どうやら目の前にいる僧兵とやらは、
大内義長への愚直な想いを持っているようで、
何かと使える協力者になりそうだ、と思った。

それだけ、弘中方明のとぼけた演技力は、
相手を信じ込ませるだけの力を持っていた。


稲田と葛原の両名が心を開きかけたその時、
方明の後方から、声が聞こえてきた。


「方明殿、方明殿〜!
そこにおられましたか〜!」


人気の少ない出丸の端の静けさの中に、
元気な若者の声が近づいてくる。

弘中方明は、全身が冷汗に凍りつく。

走り寄ってくるその声の主は、
小早川隆景と共に入城した
若き毛利の将・冷泉元豊(れいぜいもととよ)だった。

あと一歩で内通の実情を引き出せそうなこの瞬間に
あまりの間の悪さである。


「方明……、弘中方明か!」


稲田弾正と葛原兵庫助は
目の前の自称僧兵が危険人物だと直感し、
顔色を変えて、慌てて刀に手を掛けた。

弘中方明と言えば岩国水軍の将の名であり、
毛利水軍を束ねる小早川隆景に通じていることは
毛利軍中にいる彼らには簡単に分かった。

「おのれ!」と声を上げながら、
稲田弾正は刀を抜き、弘中方明に斬りかかった。

虚偽が露見したことに、方明はチイッと舌打ちすると、
とっさに稲田弾正の眼前に松明の炎を突き出した。

迫った炎の熱さに一瞬視界を奪われた
稲田弾正の刀は、空を斬った。

その間に腰を落としてよじった方明の身体から
鋭い槍の一撃が、稲田弾正の左脚に繰り出される。

片足のたまらぬ激痛に、稲田弾正は重心を崩す。

その揺れた稲田弾正の喉元に、
弘中方明の槍先が深々と突き刺さった。

百戦錬磨の槍が、内通者を一瞬で誅した。

ところが、方明はその大きな手ごたえに焦った。

稲田弾正の甲冑の隙間を見事に突き抜けて
その喉に深く刺さり過ぎた槍が、
すぐには抜けなかったのである。

そこへもう一人からの攻撃の危険が脳裏をよぎったが、
その葛原兵庫助は、一瞬で絶命した稲田弾正を見て、
「ひぃぃっ!」と甲高い奇声を上げながら、
たまらず逃げ出していた。

槍を抜くのが遅れた方明は、叫んだ。


「元豊殿! そいつは敵だ、討てっ!」


その声を聞いた冷泉元豊は、
尋常ではないと瞬間的に感じて、刀を抜き放った。

「どけえええ、小わっぱぁっ!」と
刀を掲げて唸りながら突進してくる葛原兵庫助。

そして勢いにまかせて葛原が刀を振り下ろすと同時に、
冷泉元豊は落ち着いた姿勢で、
その斬撃を見極めながら相手を袈裟斬りにした。

葛原兵庫助は血を噴きながら、
どさりと音を立てて冷泉元豊の足元に倒れる。


その美しい斬り様をしっかりと見届けた弘中方明は、
嬉しそうな笑顔を見せながら元豊に近寄る。


「元豊殿、お見事だ。立派に成長されたな」

「ありがとうございます」

「まるで、お父上の姿を見るようだ」

「まことですか」

「ああ」


冷泉元豊の父とは、
大内氏の水軍を率いていた西国きっての名提督、
冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)である。

冷泉隆豊は、同僚だった弘中隆包と親睦が深く、
弘中隆包から弟の方明の行く末を託され、
若く未熟な方明に水軍の戦い方を叩き込んだ。

後に岩国水軍を率いる弘中方明にとって、
用兵の師だった。

冷泉家によく出入りをしていた弘中方明は、
隆豊の幼い子たち、元豊や元満と
よく話したり遊んだりした。

冷泉隆豊は、天文二十年(1551年)の「大寧寺の変」で、
陶晴賢らに追い詰められた主君・大内義隆に
最後まで付き従い、大寧寺で壮絶な討死を遂げた。

その際、冷泉隆豊の弟である豊英(とよひで)は、
まだ幼かった二人の甥を連れて、
政変に揺れる山口を脱出。

親交のあった安芸国(=広島県西)の国人領主、
平賀弘保(ひらが ひろやす)を頼って落ち延びた。

二人の幼子を手厚く庇護した平賀弘保は
毛利元就に従属していたおり、
元服した二人の兄弟は、毛利元就から名の一字をもらい、
冷泉元豊、冷泉元満と名を変え、毛利家臣となった。

弘中方明と冷泉元豊は敵同士となったため、
その後しばらく会うことはなかったが、
弘中方明が出家後に毛利軍に加わったことで、
ようやく再会を果たしたのであった。

師の実子・冷泉元豊が、
立派な武芸を身に付けている様を見て、
弘中方明は感慨にふけっていた。


「それにしても方明殿、何があったんですか。
いきなり声をかけたのは、まずかったですかね」

「まあね。肝を冷やしたね」

「申し訳ありません」

「いや、まあ結果的にはよかったよ」

「何者なんです、彼らは?」

「大友への内通者だ」

「えっ」

「まだ確認はしていないが、
それらしき物証があるのは分かった」


弘中方明の左手には、
絶命した稲田弾正から奪った書状が握られていた。


「ところで、元豊殿こそ、
何か用があったんじゃないのかい」

「ええ、隆景様がお探しになっていたので」

「そうか、ちょうどいいな」


弘中方明と冷泉元豊は、血まみれで横たわる
内通者の身体を見下ろしながら言った。


弘中方明の手に握られた、
稲田弾正と葛原兵庫助の書状。

この一通の書状の存在によって、
「門司城の戦い」の運命が
大きく揺り動かされることになる――――。


(つづく)





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『門司戦記』武将列伝 [七]
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■冷泉元豊 (れいぜい もととよ)

毛利家家臣。大内氏の水軍提督だった冷泉隆豊が主君・
大内義隆と共に「大寧寺の変」で最期を遂げた幼少時、
弟の冷泉元満と共に安芸国の平賀氏を頼り、元服後に
毛利家家臣となる。父譲りの武勇を認められ、門司城の
城代として弟と共に豊後大友氏に立ち向かう。
| 『厳島戦記』 | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) |









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