Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
OTHERS
Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
<< 門司戦記(一) 門司砲撃の巻 | main | 門司戦記(三) 敵陣突破の巻 >>
門司戦記(二) 赤間出撃の巻

――――――――――――――――――――――――――――
門司戦記 〜雷雲の陣〜
――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――
(二) 赤間出撃の巻 
―――――――――――――


大友義鎮の要請を受けたポルトガル船が
関門海峡から門司城へ向けて大砲を撃ち尽くし、
東の周防灘へと退き始めた。

その動きを確認した弘中方明は、
赤間関代官・堀立直正の兵たちと共に、
門司城救出のために小舟に飛び乗った。


ところが、野太い声がその出撃を制した。

「おい、勝手に何をやっている!」


その声の主は、
赤間関に就いたばかりの毛利の将、
児玉就方(こだまなりかた)であった。


児玉就方は、毛利氏の古参の重臣である。

「厳島の戦い」では毛利元就に従って厳島に渡り、
その勝利に大きく貢献しており、
現在は毛利元就の三男・小早川隆景の下で
水軍の指揮を任されている。

兄の児玉就忠(なりただ)は
毛利家の奉行として内政の手腕を振るっているが、
弟の就方は武勇に長け、軍事面で毛利家を支えている。

この兄弟は、能力だけではなく性格も正反対で、
兄の就忠は家中一とも言える温和な人間だが、
弟の就方は軍中一の荒くれ者で、
厳しい怒号が絶えない気難しい性格の将であった。


大友氏が門司城奪還に向けて
大軍を動かしたことを知った小早川隆景は、
第一の援軍として児玉就方と弘中方明を向かわせた。

一足先についた副将の弘中方明が、
大将である自分の到着も待たず
命令も乞わずに出撃をしようとしていることに、
児玉就方は完全に憤っていた。

方明はすぐに弁明した。


「事態が急を要しますゆえ」

「誰の許しがあって、出ようとしている?」

「しかし、機会は今をおいて他にありません」

「勝手な真似をするなと言ってるんだ!」

「手遅れになりますよ」


就方は怒声を浴びせるが、
方明も一向に動じない。

堀立直正はじめ、赤間関の守備兵たちは
就方のあまりの剣幕に硬直している。

最初は冷静に反論していた弘中方明であったが、
児玉就方のある言葉から、態度が一転する。


「おい、方明。
大内の旧臣同士、助け合いたいのは分かる。
だが、毛利の大局をないがしろにするんじゃねえ」

「……何だって」

「旧大内の馴れ合いで、
毛利の戦い方の邪魔をするなと言ってるんだ」

「あ?」


聞き捨てならぬと、
弘中方明は児玉就方に歩み寄った。

就方も負けじと見下ろしながら鋭い眼光を放つ。


「いいか。門司城は厳島の宮尾城に地形が似ている。
厳島合戦の時のように、奇襲戦法を用いて
大友を一気に殲滅するのが、毛利のやり方だ」

「馬鹿なことを……」

「馬鹿だと。ならば方明、おまえの勇み足で
その毛利の奇襲戦法が台無しになったら、
おまえは責任を取れるんだろうな?」


児玉就方は弘中方明の眼前に強く指を差したが、
方明は「ふざけるな!!」と叫んで、
就方の手をバシリと大きく叩きつけた。

眉を吊り上がらせる就方に、
方明は睨み返しながら容赦なく言葉をぶつける。


「厳島の奇襲のようにだって?
あんた、いつまでそんな古いこと言ってんだ」

「何?」

「厳島の戦いなど、もうとっくに過去の遺物だ。
あれほどの奇跡的な奇襲の機会を待っていたら、
門司城はあっという間に大友に落とされるぞ」

「貴様…。厳島の戦を、使えぬ遺物と言うのか」

「厳島では、大内軍を率いていた陶晴賢が
古い戦い方にこだわっていたから隙があった。
今の相手は、南蛮船まで持ち出してくる大友軍だ。
あんたのように古い例にしがみつくことが、
あの時の大内のように隙になるのが分からないのか!」

「何だと!」


二人の睨み合いの火花が、陣に緊張を張り詰める。


「奇襲失敗の責任? そんなの、いくらでも取ってやる。
ならば聞こう、就方殿」

「何だ」

「今ここで門司城を奪われたら
九州の勢力の侵攻を防ぐ一大拠点を失うことになる。
尼子攻めをしている大殿も、背後から窮地に陥るぞ。
あんた、そうなったらその責任は取れるんだろうな?」

「……!」

「いまは城の包囲を解いて下がっている大友勢が、
砲撃の終了と共に、再び城を頑丈に囲むだろう。
門司城を救う機会は、その直前である今しかない」

「……」

「今度の敵は馬鹿じゃない。手練な豊州三老だ。
この機に突破不能な包囲陣を敷くだろう。
毛利を西からの脅威から守れるのは、今だけだ。
全て、あんたの決断にかかってるんだぞ、就方殿!」

「……!」


大殿の名を出した方明の反論に、
児玉就方はひるんだ。

方明が「大殿」と呼んだ毛利元就は現在、
出雲国(=島根県東)の
尼子一族との死闘に専念している。

これまで大内氏と尼子氏の勢力に挟まれ続けた
毛利氏が、ようやく大内氏を滅ぼし、
尼子氏への戦に注力できるようになったのに、
大友氏の脅威が大きくなれば、尼子討伐はまた挫折する。

方明が語った「豊州三老」とは、
豊後の大友家の軍事を支える三人の宿老のことで、

・戸次鑑連(べっきあきつら)
・臼杵鑑速(うすきあきすみ)
・吉弘鑑理(よしひろあきまさ)

の三名を指す。

大友氏を九州一の大国へと押し上げた名将たちだが、
今回の門司城奪還のために、
この豊州三老が全員、豊後から出征をしている。

そんな軍事の天才が揃った敵に対して、
生半可な兵法では絶対に太刀打ちができない。

弘中方明はそう感じていた。


児玉就方は、厳島の戦いの完勝の体験から、
大友軍を一気に殲滅させることを頭に描いていた。

副将の弘中方明が門司上陸を焦っているのは、
かつて同僚だった門司城主・仁保隆慰を救うためという、
旧大内勢の単なる馴れ合いだと捉えていた。

しかし、弘中方明の反論は違った。

門司城の死守こそが、
毛利氏の東への展開のための最重要事項である、
という核心を突いた理屈だった。

この門司城の戦いは、単なる西方への対処ではなく、
毛利氏全体を揺るがす重要な問題なのだ、
ということを児玉就方は思い知らされた。


就方は鋭い眼光を方明にぶつけていたが、
方明の話を理解すると、
フッと肩の力を抜いて、口元を緩めた。


「道理だな……。方明、許せ。
確かに、門司城の堅守が何より大事だ」

「……児玉殿。私もこの無礼、お許し下さい」

「いや、今は毛利だ旧大内だと言っている場合ではない。
やはり水軍の用は、俺よりおまえのほうが上だ。
おまえの考えに従おう」

「ありがとうございます」


安芸国(=広島県西)の山奥から出てきた毛利氏にとって、
今の強力な水軍を築けたのは、弘中氏の力が大きかった。

かつて弘中隆包が安芸国守護代となった時、
弘中隆包は小早川隆景の養子縁組と当主就任を後押しし、
海戦に強い小早川水軍を育て上げた。

その際、小早川隆景に水軍の兵法を教え込んだのが、
大内水軍を仕切る名将・冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)から
兵法を学び岩国水軍を指揮していた、弟の弘中方明だった。

やがて、毛利氏が大内氏から離反して安芸を奪取した際、
児玉就方は海に面した草津城の城主となり、
毛利水軍を統率する立場となり、厳島の海戦に挑んだ。

いまや毛利水軍の主将の一人である児玉就方も、
大内水軍で鍛えた弘中方明に学ぶことは多かった。


「俺もおまえと共に門司城に向かったほうがよいか」

「いえ、就方殿には三角山城を目指して頂きます」


方明は、門司城の南に見える
美しい三角形の小山を指差した。

その形の通り、三角山城(みすみやまじょう)と言い、
門司城を守る重要な支城であったが、
現在は大友軍によって落とされていた。


「ただし、三角山城は攻める素振りだけで結構です。
大友勢の注意を三角山城攻めの毛利水軍に
引きつけている間に、我々が門司城に突入します」

「分かった。いいだろう」

「これが成功すれば、門司城は救われます。
児玉殿はまさに、毛利を救う英雄となりましょう」

「ふん、言うわ」


児玉就方は鼻で笑うように答えながら、
率いてきた毛利水軍へ出撃準備を言い渡す。

つい先ほどまで一発触発だったとは思えぬほど、
児玉就方と弘中方明は、互いの作戦を一瞬で理解し合い、
迅速に行動へと移していく。


それが、今の毛利水軍の強さの源でもあった。

水軍の強さは、組織力である。

個別の武力ではなく、総力戦なのである。

百万一心――――。

皆が心を一つにし、一つの大きな力を作る。

その信条で覇を広げてきた毛利氏にとって、
総力戦が重要な水軍の力は、
全国でも比類なきほどの強さを誇っていた。

大将と副将の連携が何よりも大事であることを、
児玉就方も弘中方明も十分に分かっていたのである。



関門海峡に、銅鑼や太鼓の音がけたたましく鳴り響く。

児玉就方率いる毛利水軍が、
赤間関から対岸の三角山城に向かって出撃する。

砲撃するポルトガル船が去って、
再び門司城の包囲に取りかかろうとしていた大友勢は、
毛利の矛先が三角山城に向いているのを見て、
大いに動揺し、統率が乱れてきた。

そしてその動揺の隙を縫って、
弘中方明と堀立直正は、少数の小舟と共に、
門司城へ直接突入を図る。

大友勢の包囲網が完成する前に
瀕死の門司城に入城できるのか――――。

弘中方明はその大博打に身を投げ打つかのように、
関門海峡へと飛び出した。


(つづく)




――――――――――――――――
『門司戦記』武将列伝 [二]
――――――――――――――――

■児玉就方 (こだまなりかた)

毛利家家臣。安芸国草津城城主。勇猛果敢な古参の将で、
厳島の戦いの前後より毛利水軍を率いるようになる。
その後大友軍、土佐一条軍、尼子軍、織田軍など数々の
敵勢力を相手に水軍を率い参戦した。行政執務に優れた
毛利五奉行の一人・児玉就忠(なりただ)は実兄。


| 『厳島戦記』 | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |









http://blog.timestage.net/trackback/1434410