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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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門司戦記(一) 門司砲撃の巻

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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(一) 門司砲撃の巻 
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強烈な爆発の音が、沿岸の兵たちの鼓膜を突き抜け、
凄絶な炎柱の姿が、その網膜に焼き付けられる。

海峡とその沿岸に映し出された、
見たこともないその惨劇に、
誰もが恐怖のあまり、膝をがくがくと振るわせる。

それもそのはずである。

それは、我が国日本の長い歴史において
いや、世界の歴史においても前例のない、
史上初めての艦砲射撃であった。



永禄四年(1561年)九月二日。

歴史に残るその出来事は、関門海峡で起こった。


長門国(=山口県西)と豊前国(=福岡県東)の
間に流れる、本州と九州とを別ける関門海峡は、
西日本の海運貿易の生命線として
古来よりその覇権争いが絶えない場所である。

その関門海峡に大型のポルトガル船が出現し、
海峡に突き出た山城、門司城(=福岡県北九州市)へ
次々に大砲を撃った。

史上初の艦砲射撃だから、当然誰も見たことがない。

言葉では言い表せない戦慄が、
沿岸の守備兵たちの冷静さを打ちのめしていく。


「あれが……大砲か……!」

轟音を聞いて幕舎から飛び出してきた
堀立直正(ほたてなおまさ)は、
冷静を装いつつも、鳴り止まぬ胸の鼓動に焦る―――。


赤間関(=山口県下関市)代官である堀立直正は、
もともとは安芸国(=広島県東)の商人である。

安芸国の山奥から本州に覇を広げた毛利氏が、
瀬戸内海の通商や国防の強化を必要とするに際し、
弘中氏が婚姻関係のある堀立直正を推挙した。

そして商人時代の経験を活かし、赤間関代官となって
海運の取りまとめや村上水軍との交渉を行なう、
いわば毛利氏の経済顧問も兼ねることとなった。


かつて関門地域は、周防国(=山口県東)を本拠とする
大内氏が長らく勢力を張っていたが、
天文二十四年(1555年)、毛利元就(もうりもとなり)が
「厳島の戦い」にて大内軍の主力部隊を壊滅させ、
弘治三年(1557年)に大内氏を滅亡させてからは、
毛利氏がその勢力の版図を受け継いだ。

だが、それは同時に、
九州豊後国(=大分県南)を拠点に勢力を広げる
大友義鎮(おおともよししげ)との
摩擦の始まりでもあった。




当初、大友義鎮の勢力下にあった門司城は、
大友家臣・怒留湯主水(ぬるゆもんど)が守っていたが、
毛利元就の軍勢が海を越えて攻め落とし、
毛利家臣・仁保隆康(にほたかやす)が城主として入った。

大友氏当主・大友義鎮は、
南蛮国など海外との交易に熱心な守護大名だから、
重要航路である関門海峡を両岸で抑えられるのは
生命線を絶たれるも同然であった。

そこで大友義鎮は、門司城の奪還を目指し、
ちょうど豊後府内(=大分県大分市)に寄港していた
ポルトガル船に依頼し、関門海峡まで船を動かして
門司城を砲撃させたのである。


商人として海外の航海事情にも詳しい堀立直正は、
艦砲の存在については知識として知っていたが、
その眼で直接見るのは初めてのことである。

呆然として対岸の味方の危機を眺めている兵たちを見て、
堀立直正は(責任者の自分が何とかしなくては)と
心に奮気を打ち付け、刀を高く掲げた。


「皆の者、門司城を守るのだ!
あの大船に乗り込み、敵を斬り伏せるぞ!」


目の前の巨大な南蛮帆船にどう対処するのか。

それは堀立直正も明確な答えを持っていなかった。

突然やってきたその海上要塞は何者なのかも
誰もほとんど分かっていないのである。

しかし、門司城の危機を救うためには、
何としてでもあの砲撃を停止させるしかない。

堀立直正の言葉に我に返った毛利兵たちは、
戸惑いながらも次々に刀を取り、兜の緒を締め、
決死の覚悟で出撃準備に取り掛かる―――。


「待て! 早まるな!」


大急ぎで舟に乗り込もうとする決死隊の背後から、
彼らを必死に止める声が近づいてきた。

堀立直正は、
かつて聴き慣れたその声を聞いて振り向いた。


「おまえ………、方明じゃないか!」


その声の主は、直正の娘が嫁いだ武将、
弘中方明(ひろなかかたあき)だった。


弘中方明は、大内家重臣の評定衆の一人で、
安芸国守護代でもあった
弘中隆包(ひろなかたかかね)の弟である。

兄の片腕として大内氏に尽くしていたが、
先の「厳島の戦い」で兄が毛利氏に討たれてからは、
毛利に義父・堀立直正を推挙し、その姿を消していた。

義理の父子の、久々の再会であった。


「方明……、今までどうしていたんだ。
……六年ぶりぐらいか?」

「親父さん、想い出話は後だ。
小早川隆景(こばやかわたかかげ)様からの命で、
児玉就方(こだまなりかた)殿の副将として来た」

「おおっ、隆景様からの応援か」

「ああ。児玉殿も、もうすぐ兵を率いて参られる。
親父さん、今、あの南蛮船に向かっていってはダメだ」

「しかし……、あのままでは門司城が……」

「気をしっかり持て、親父さん!
あの船は必ず、すぐに撤退する」


弘中方明は、義父直正の肩をつかんで
大きく揺らしながら説いた。


「奴らは、早鞆の瀬戸の急流を分かっていない。
奴らが見てきたのどかな大海とはわけが違う」


関門海峡は古来より、
その特殊な地形による凄まじい急流から、
「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と呼ばれてきた。

常に船の難破が絶えないほどの難所でもあり、
平安末期にここで起こった「壇ノ浦の戦い」で、
その急流の変化により平家が大敗を喫し
滅亡した歴史も、その凄まじさを物語っている。

そんな激しく波打つ海上から砲撃の狙いを定めても、
その揺れから、そう簡単に命中するものではない。

実際、ポルトガル船から次々と放たれている砲弾は、
門司城の本丸には命中することなく、
流れ落ちて周囲の斜面を削り取っている。


「それに、あれはそもそも商船だ。
南蛮商人も、利が尽きればすぐに退散するさ」


弘中方明は、冷静に現状を分析していた。

ポルトガル船は貿易船であり、侵略の戦艦ではない。

積んでいる大砲も、戦争用の大砲ではなく、
襲来する海賊などへの脅嚇や防衛の意味合いが大きい。

大友義鎮は交易とキリスト教布教の許可への対価として
門司城への威嚇の協力を打診したはずで、
ある程度の砲撃でその義理が十分果たせたならば、
ポルトガル人も早々に手を引くであろう。

南蛮商人にとって、
異国間の殺し合いへの介入には利がないからだ。


商人の理という視点からの分析を聞かされて、
商人出の堀立直正は、ようやく正気を取り戻してきた。

どれだけの砲弾を搭載しているのか分からず
いつまで砲撃が続くのか予測できないことが不安だったが、
商売人としての引き際の考え方に、
その手がかりがあった。

しかし、そこからが武士としての戦略である。

落ち着いて聞き始めた堀立直正や将兵たちに対して、
弘中方明はさらに語った。


「機会が来るとしたら、
ポルトガル船が諦めたその瞬間だ」

「諦めた瞬間……」

「奴らは間もなく、砲撃をやめて大分に帰るだろう。
門司城の応援に突入するのは、その瞬間だ。
その機を逃さないように、準備したほうがいい」

「お、おう。者ども、
門司城への出撃準備を早急に整え、待機だ!」


堀立直正が、改めて将兵たちに指示を出した。
毛利兵たちは急いで準備を進める。

ポルトガル船が来るまでは、
大友軍の大軍が門司城を取り囲んでいた。

しかし、ポルトガル船の艦砲射撃と連動して、
大友軍は味方からの爆撃を受けないように、
一時的に門司城の包囲網を解いて後方へ退いていた。

門司城に応援部隊が入城する機会があるなら、
ポルトガル船が退き、
大友軍が再び城を取り囲むまでの時間をおいて他にない。


(それまで、今しばらくたえてくれ、
隆慰殿……!)

弘中方明は、心の中で
対岸にいる旧友の無事を願う。

門司城を守る仁保隆慰は、
弘中方明が大内軍にいた頃の同僚だったのである。


急流に船体の揺れるポルトガル船から、
一つ、また一つと、門司城に砲弾が発射され、
周辺の郭や土塁に爆発の炎がほとばしる。

海峡には砲煙が立ち込め、対岸の景色を薄く包む。


「戦は……。
これから戦は、変わる」


いまだかつて見たことがない戦争を見ながら、
弘中方明はつぶやいた。

堀立直正はそれにうなずきながら語る。


「ああ。あんな化け物のような兵器、
早鞆の瀬戸でなければ、一国をも崩しかねん。
今までの戦い方は、通用しなくなるのかもな…」


弘中方明はその時、
兄・弘中隆包の言葉を思い出していた。

弘中隆包は剣や弓に優れた勇将であったが、
「いずれ、刀など要らぬ世が来る」
というのが口癖であった。

日明貿易を独占していた大内氏は、
種子島への伝来よりも早く鉄砲を入手しており、
当主・大内義隆はそれを狩猟の道具と見ていたが、
弘中隆包は兵器としての可能性を見出していた。

「将来の戦争は必ず、
刀や槍では太刀打ちできない戦い方になる」

鉄砲を手にしてそう語っていた弘中隆包は、
天文二十三年(1554年)に、戦友・陶晴賢の救援として
石見三本松城(=島根県津和野町)に現れた際、
自ら鉄砲を手にして敵将を撃ち取っている。

旧式の戦い方を引きずる大内軍に付き従った兄が
命を落とした「厳島の戦い」から六年。

そのわずかな年月の間に、
艦砲射撃という戦法にまで時代が進化をしていることが、
今まさに目の前で実証されている。


「これからの戦い方は、何もかも変わっていく。
過去を捨てきれない者が負ける世なんだ……」


弘中方明は、時代の潮目を感じながら、
自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


そして一時が過ぎ、
ひと通りの砲撃を終えたポルトガル船は、
決定打となる命中の成果を残せないまま、
大分を目指して東の周防灘へと帰り始めた。

読み通りである。

好機到来とばかりに、堀立直正率いる毛利軍は、
刀を手にして続々と舟に乗り込んだ。

そして、応援に駆け付けた弘中方明もまた、
門司城を救うべく愛槍を抱えて舟に飛び乗る――――。



日本史上初の艦砲射撃というこの事件は、
西日本の長き乱世の歴史の中においては、
ほんの一瞬の出来事に過ぎなかった。

しかし、これがやがて、
何万人もの将兵が入り乱れ、
何千人もの死者が出ることになる
血塗られた「門司城の戦い」の嚆矢となる――――。


(つづく)





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『門司戦記』武将列伝 [一]
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■弘中方明 (ひろなかかたあき)

毛利家家臣。元は大内氏の重臣であった弘中隆包を支え
周防岩国(=山口県岩国市)の水軍を指揮していたが、
「厳島の戦い」で兄が討死した後、毛利に従属。門司城の
戦い、木津川口の戦いなどで連戦。毛利を支えた小早川隆景
の水軍用兵の師であり、赤間関代官・堀立直正の娘婿。
| 『厳島戦記』 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |









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