Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
OTHERS
Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
<< 厳島戦記(四十四) 修羅一人の巻 | main | 厳島戦記(四十六) 百万一心の巻 >>
厳島戦記(四十五) 飛龍乗雲の巻


―――――――――――――――――――――――――――――――――
 厳島戦記(四十五) 飛龍乗雲の巻
―――――――――――――――――――――――――――――――――
                       終章「厳島海戦後」




 毛利軍の乾坤一擲の奇襲は、大勝利に終わった。


 天文二十四年(1555)十月一日、
 大内軍総大将の陶晴賢が、厳島大江浦にて自刃。

 同三日、大内軍軍監の弘中隆包が龍ヶ馬場にて討死。

 二万もの大軍であった大内軍本隊は、壊滅した。

 これが世にいう、西国の勢力図を一変させた
 「厳島の戦い」である。


 だが、陶晴賢・弘中隆包の双璧を失ったとはいえ、
 大内家には当主大内義長が周防山口に健在であり、
 防長の大内全勢力を集めれば、二万を超える軍勢が残っている。

 大内に反旗を翻した毛利は、突き進んでいくしかない。
 もはや、後退する道は残されていなかった。


 大勝後の毛利元就の采配は、素早かった。

 十月五日に首実検を済ませた後、
 まずは神域である厳島を血生臭い戦に巻き込んだことを神に詫び、
 厳島神社への今後の寄進を約束した。

 そして、血を忌み嫌う厳島の長年の風習に則り、
 大勢の大内軍の屍体を全て周防本土へと送った上で、
 血に汚れた厳島の地面の土を全て堀り集め、島外へと捨てた。

 厳島での戦の贖いを終えた毛利本隊は、十月十二日に周防へ上陸。

 岩国(=山口県岩国市)に本陣を構え、防長経略の拠点とした。

 毛利父子が盟友・弘中隆包を厳島にて討ち取ったのは
 時代の皮肉であったが、その弘中隆包の領土である岩国に
 拠点を定めることになったのもまた、運命の妙とも言える。


 岩国を足場にして、
 毛利元就、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景らは、
 周辺の大内の諸城を次々と攻略していった。

 大内傘下の城主たちは、次々と毛利に打ち取られ、
 また次々と毛利に降伏していき、
 大内は瞬く間にその勢威を失っていくのであった――――――。

 

 弘中隆包の居城であった岩国の亀尾城は小山の山上にあり、
 軍事拠点よりも行政拠点の意味合いの強い城であったため、
 大軍を居留させるには向いていなかった。

 そのため、毛利元就・隆元父子は岩国の永興寺に本陣を構え、
 次男・吉川元春は岩国中津の武家屋敷、
 三男・小早川隆景は琥珀院にて駐留していた。


 そんなある日、永興寺にて行なわれていた軍議に、
 末弟の小早川隆景が琥珀院から遅れてやってきたかと思うと、
 意味ありげな笑顔で口を開いた。


 「遅れて申し訳ありませぬ。ところで父上、兄上。
  琥珀院にいる、三蔵主という僧をご存知ですか」

 「三蔵主? いや、聞かぬ名だ…」


 毛利元就は周防の事情に通じているが、その名は記憶にない。

 長男の隆元、次男の元春に視線を送るが、
 二人とも首をかしげるばかりである。


 「ならば、今すぐにでもお会いなされませ」

 「一体、何だというのだ」

 「お会いすれば分かります。さあ」


 小早川隆景の強引な勧めで、元就、隆元、元春は、
 わずかな手勢を連れて、琥珀院へと向かった。


 小早川軍が駐屯する琥珀院は、大軍屯営に適した広い境内があり、
 大内家の大軍が東西へ移動する時にもよく使われていた。

 毛利征伐のために東進した江良房栄もこの琥珀院に駐留し、
 主君の陶晴賢の疑心により、弘中隆包にこの地で討たれた。

 毛利元就も山口への出仕時には琥珀院を利用したことがあったが、
 三蔵主という僧がいたかどうかは、全く覚えていない。


 琥珀院の広間に一人、
 質素な法衣をまとった僧がかしこまっている。

 元就と三兄弟たちはその上座に座ったが、
 目の前で頭を下げている僧の顔を見て、
 あまりの驚きに目を剥いた。


 「おぬし……、方明殿ではないか……!」


 驚きの声が広間に響き渡る。

 その僧は弘中隆包の弟、弘中河内守方明であった。

 兄隆包が悲運の渡海をした後、出家をしていたのである。

 毛利軍が厳島から容易に周防岩国に入ることができたのは、
 弘中隆包が岩国勢と共に厳島に向かい壊滅しただけでなく、
 方明が出家して大内家から離脱していたためであった。 


 毛利元就は、目を細めて語りかけた。


 「方明殿。琥珀院におられたのか……」

 「お久しぶりにございます」

 「まさか、三蔵主と名乗る僧が、おぬしだったとはな。
  三蔵主とはまた、悟りのある名だ」

 「かつて山口で、ザビエルという南蛮人と出会った時に、
  異国の話を多く聞きましたゆえ、遠き地に想いを馳せて、
  玄奘三蔵の御名を拝借した次第です」


 山口の政変の際、弘中方明は宣教師フランシスコ・ザビエルを
 この岩国から九州へと立たせる手立てを任された。

 ザビエルから遠き南蛮の地からの旅の話を聞いた時、
 瀬戸内海だけが全世界であった方明は、
 広い異国の世界へと想いを強く募らせていたのであった。

 三蔵主という名は、天竺へ巡礼したとされる
 玄奘三蔵、いわゆる三蔵法師の名を借りたものだという。


 元就は、微笑んで方明に言う。

  
 「我らは先日、厳島に奇襲して大内本軍を葬った。
  方明殿、その時おぬしは、厳島におられなかったか」

 「さあ」

 「実は、隆景が大江浦から一将が脱出するのを見ている。
  武吉も長槍を持った将の舟を取り逃がしたと言うのじゃ」

 「俗世のことはもう、とうに昔のこと。忘れました」


 大江浦まで陶晴賢を追っていた小早川隆景も、
 大野瀬戸を封鎖していた村上水軍の頭領・村上武吉も、
 実は厳島から離れていく方明の舟を目にしていたのである。

 しかし、隆景も武吉も、弘中方明は大きな恩のある将。
 意図的に見逃したと思われる。

 そして、その報告を曖昧に受けていた毛利元就もまた、
 その正体が弘中方明であることを何となく感じていたのであった。


 目の前の毛利父子にも、そして厳島の昔話にも興味を示さず
 何の感情もないままに座する方明に、元就は言葉を続ける。


 「隆包殿は、龍ヶ馬場にて立派な最期を果たされた。
  おぬしは我らを恨んでおろうの」

 「いえ。毛利も陶も恨むなというのが、兄の遺言です」

 「そうか……。隆包殿は、そのように申されておったのか……」

 「はい。そして私にはとうに過去のこと」

 「これも天命だ。我らは弘中家に恨みがあったわけではない。
  方明殿。今後は我らに力を貸してくれぬか」

 「ご冗談を……。私は、ただの駆け出しの坊主です」


 弘中方明は自嘲気味の涼しい顔を見せるだけである。

 隆元、元春、隆景の三兄弟が困惑しながら見守る中、
 毛利元就は説き続けた。


 「おぬしの商才は守護代殿を助け、今の安芸の発展の基礎を作った。
  そしてその軍才は、我らの小早川水軍や乃美水軍に息づいている。
  おぬしの才を買いたいのだ。我らには必要な才だ」

 「もし私に才があったのなら、兄のために尽くしきりました。
  今の私には、兄の死を弔うぐらいの力しかございませぬ」

 「我らは決して、隆包殿が守ったものを蹂躙したいわけではない。
  隆包殿が築いたものを、継承していきたいだけなのだ」

 「……」

 「隆包殿が手掛けた防芸の発展を、わしらは受け継ぐつもりだ。
  そのために、隆包殿の業を陰で支えてきた方明殿の
  水軍用兵の軍才、そして海運の商才を借りたいのだ」


 毛利家はもともと安芸国の内陸部に留まっていた勢力である。

 「厳島の戦い」にて瀬戸内海まで勢力を伸ばしたものの、
 まだまだ海運や貿易についての術については疎い。

 そのため、水軍の用兵にも長け、村上水軍とのつながりも深く、
 海に通じている弘中方明の才覚を、元就は欲していた。

 守護代として安芸国(=広島県西部)を発展させていった
 弘中隆包の行政力には、弟方明の存在が欠かせなかったのである。



 「方明殿。おぬしを何としてでも召し抱えたい。
  しかし、厳島の奇襲に全てをなげうった我ら毛利が今、
  おぬしに用意できる禄は、三百貫しかない」

 「……はははは」


 元就の誘いの報酬を聞いて、
 無表情だった方明は突然高らかに笑い始めた。


 「不満か」

 「私はかつて兄と共に、この琥珀院にて江良房栄を斬りました。
  江良もまた、元就殿に三百貫で内応を誘われていましたな」

 「そうだ。断られたがな」

 「その琥珀院で、その時と同じ三百貫を提示されるとは、
  運命とは面白いものでございます」

 「今の毛利では、福原広俊や桂元澄ら譜代の将でも三百貫の禄。
  江良房栄の剛勇も、それぐらい本気で手に入れたかった。
  そして方明殿、おぬしの軍才と商才もそれほどまでに惜しむ。
  隆包殿の事績を継ぐには、おぬしの才は欠かせぬ」

 「……」


 弘中方明は、懇々と解く毛利元就の瞳を見つめた。

 元就の兄隆包に対する想いには、曇りが見えない。
 方明は、観念したかのように言った。


 「我が兄が目指した安芸の繁栄を、継承するおつもりですか」

 「無論。安芸を、周防長門よりも栄える国にするつもりじゃ」

 「……分かりました」

 「おお」

 「私の商才を買って下さるとおっしゃるならば、
  私の義父である堀立壱岐守直正を奉行にお召しなさいませ」

 「堀立殿を」

 「彼は安芸の築港を考える際には欠かせぬ人物。
  私などよりも、はるかに商才に長けた人物でございます。
  彼ならば、防芸の発展に全力を尽くしてくれましょう」

 
 弘中方明の妻の父・堀立直正は、
 佐東大田川(=広島市の太田川)を拠点とする武家商人で、
 村上水軍や瀬戸内の海運業者たちと深いつながりを持っており、
 瀬戸内の経済を語る上では欠かせない人物である。

 弘中隆包が安芸国守護代時代に安芸の経済力を高めたのも、
 方明と婚姻関係にある堀立氏の財力は欠かせなかった。


 「ありがたい。掘立壱岐守殿にも力になってもらいたい。
  だが方明殿、おぬしの軍才も捨て置けぬ」

 「何を。我が弘中は毛利軍に大敗したのでございます。
  私の軍才の無さが、兄と岩国兵を死に追いやったようなもの」

 「それは違うぞ、方明殿」


 毛利元就は、弘中方明の自虐の言葉を強く止めた。


 「才は寄るものを選んでこそ輝くものだ。
  龍が天に昇るためには、雲が欠かせぬ。
  だが、天に昇らぬ虎には、雲を活かせぬ」

 「……」

 「安芸の龍を天に届ける雲になってもらえぬか、方明殿」


 毛利隆元ら三兄弟は以前から、弘中隆包を風の将、
 弟の弘中方明を雲の将と評していた。

 風の将は、龍ヶ馬場に散った。

 残る雲の将・弘中河内守方明に対して、
 周防の虎を破った安芸の龍・毛利元就は、天下を語る。


 龍は、雲を必要としていた。


 「私は離脱したとはいえ、大内は我が古巣。
  兄が命を賭して仕えた大内に、弓は引く真似はできませぬ」

 「大内を討つのが、わしの最後の目的ではない。
  瀬戸内の発展を継ぐために、大内を討たねばならぬだけだ。
  大内から西国を継いだあかつきには、おぬしを迎えたい」

 「いつの話でございますか。私は仏の道に邁進し、
  三年後には一人前の僧になる心つもりでございます」

 「ならば、三年以内に必ず、大内から防長を継ごう」

 「たった三年で、できますか」

 「必ず」


 毛利元就の曇りない眼光に、弘中方明は折れた。
 心を鎮めながら、床に手をつき答える。 


 「……分かりました。元就様が三年で防長を制覇されたなら、
  この河内守方明、黙って毛利に従いましょう」

 「この元就、三年で必ず、おぬしに認められる龍となろう。
  その時には、我が名を一字、受け取ってもらえぬか」

 「その時には、ありがたく」


 弘中方明は、頭を下げた。

 毛利元就は嬉しそうに笑って、その髭を揺らす。

 緊迫した二人の対話を目にしていた吉川元春、小早川隆景は、
 喜んで進み出て、弘中方明の手を取った。

 その様子を見て、毛利元就と隆元は笑い合った。



 毛利軍はこの後、岩国を拠点にして防長経略を開始。
 次々と大内の支城を破り、西へ西へと勢力を拡大していった。

 そして毛利元就は、弘中方明に誓ったとおり、
 三年以内に大内義長を滅ぼし、
 防長と周防を手中に収めて瀬戸内の覇者となる。

 それを見届けた弘中方明もまた、毛利元就に誓ったとおり、
 還俗して毛利傘下へと合流したのであった─────。


 毛利元就の死後、毛利家は関ヶ原の戦いを経て、
 長州藩として幕末まで続いていく。

 その長州藩は明治維新の旗頭として全国へと雄飛していくが、
 その長州志士の中に、弘中姓の者も多く散見される。

 毛利家は厳島の戦いの際に敵対した大内家や陶家を
 ことごとく滅ぼしたが、
 同じ敵対勢力であった弘中家が迎え入れられ存続したことは、
 毛利元就と弘中隆包の友情が成した結果と言えよう。
 

 そして─────。
 


 (つづく)
| 『厳島戦記』 | 11:20 | comments(0) | trackbacks(1) |









http://blog.timestage.net/trackback/1434404
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2012/09/25 12:47 PM |