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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(四十四) 修羅一人の巻


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 厳島戦記(四十四) 修羅一人の巻
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                       第七部「厳島奇襲戦」




 悪夢というのは、
 このような光景を指すのであろうか。

 たった一人の将が、
 現実の中に悪夢を作り上げていく。


 龍ヶ馬場に降り立った阿修羅は、
 連なる毛利軍の先鋒兵たちをことごとく斬り裂いていった。

 肉を裂き、骨を砕く音が、
 兵たちの断末魔の声に混ざって絶え間なく天に響く。

 晴天の照りつける純白の岩場が、
 瞬く間に赤い鮮血に染まる―――――。


 厳島に渡った二万人の大内軍の中でただ一人生き残った
 最後の将・弘中三河守隆包は、
 次々と毛利勢を斬り伏せながら屍を越えていく。

 その前進を、誰も止めることができない。


 血にまみれた毛利の先陣は、やがて怖れに崩れ始めた。

 歯をガチガチと震わせながら後ずさりする者、
 腰を抜かして地に這いながら逃げ出す者、
 そして勇敢にも立ち向かって頭を一撃で砕かれる者…

 酸鼻の冥府と変じた光景に、毛利兵たちは狼狽する。


 そして、修羅の歩みの先の一直線上には、
 毛利元就の次男、吉川元春の姿があった。
  


 「元春様をお守りしろ!!」


 「奴を近づけるな!!」


 阿曽沼広秀や熊谷信直ら毛利軍の将たちは、
 叫びながら吉川元春の脇を固めた。

 弘中隆包討伐の命により敵に向いていた毛利の目が、
 次第に守りへと向けられる。

 それほどまでに、修羅と化した弘中隆包の気魄は
 吉川元春と周囲の将兵たちを震え上がらせていた。


 「あれは、もはや人ではない……」


 「人ではない、だと…。
  では我々は、いったい何と闘ってるのだ……!」


 阿曽沼広秀と熊谷信直が、狼狽しながら言い合う。

 吉川元春は、
 修羅と化して血飛沫の中をゆっくりこちらに向かってくる
 弘中隆包の姿を、固唾を呑みながら見つめる。


 「弘中殿……!」


 元春は下唇をぐっと噛み締め、身構える。

 毛利軍随一の豪傑と名高い吉川元春だが、
 博奕尾、滝小路での対決に続き、
 ここでもまた背筋を凍らせていた。



 何十人、いや何百人が斬り伏せられたのであろう。

 毛利勢は容赦なく刃に斬り倒されていき、
 いよいよ兵たちがバラバラと後退していく中、
 たった一人、弘中隆包の前に立ちはだかった武者がいた。

 彼は、弘中隆包に太刀をかざして大きく叫ぶ。


 「弘中三河守殿! この太刀を覚えておいでか!」


 その声を聞き、修羅の歩みははたと止まった。

 百騎百血に染まった弘中隆包の眼が、その太刀に向く。
 そして隆包はゆっくりと口を開いた。


 「……それは、かつて私が授けた太刀だ。井上殿」


 「さよう。弘中殿よりこの手に賜った名刀、
  『駒切の太刀』にござる」


 弘中隆包の前に立ち塞がった凛々しい武者は、
 十年以上も前、安芸高山城(広島県三原市)にて
 山名理興の猛攻から弘中隆包の応援に命を救われた、
 阿曽沼広秀家臣、井上源右衛門であった。

 かつて、高山城外で馬上の山名理興に刀を折られた源右衛門は、
 その命を救ってくれた弘中隆包の太刀を譲り受けた。

 その時、その太刀の名を聞かれた弘中隆包によって、
 「駒切」(こまぎり)ととっさに名付けられた。

 井上源右衛門はその「駒切」を誉れの名刀として愛用し、
 各地へ転戦しながらその太刀を振るってきた。


 そして武士として大きく成長したその井上源右衛門が、
 命の恩人である弘中隆包の眼前に、
 彼から譲り受けた太刀を持って現れたのである。

 まさに運命の皮肉としか言いようがない。


 「この源右衛門、あの時より弘中殿に憧れ、
  弘中殿のような武士を目指して戦ってまいった」


 「……」


 「拙者が、この太刀に相応しき武士になれたかどうか。
  その資格を、我が武にてお訊ねしたい」


 「いいだろう……。
  その太刀とこの首、取り換えてみせよ」


 「いざ、参る!」



 井上源右衛門は、地を蹴った。

 全身全霊を込めて、
 駒切の刃を弘中隆包に素早く叩きつける。

 駒切が空気を裂く音が走った。

 その一連の動きのあまりの速さに、
 後方の毛利の兵たちの眼には、
 その刃が弘中隆包の首を貫通したかのような残像が見えた。

 ところが、弘中隆包は一歩も動くことなく、
 掲げた太刀でその一撃を完全に受けきっていた。

 血と土に赤黒くまみれた弘中隆包の顔から、
 不敵な笑みと鋭い眼光がこぼれるのを見て、
 源右衛門の背筋にゾクリと悪寒が走る。

 ふと気が付くと、駒切は強く弾き返され、
 隆包の太刀は瞬く間に頭上から振り下ろされていた。

 源右衛門は間一髪その一撃を受け流す。


 弘中隆包と井上源右衛門の凄まじい剣戟が繰り広げられ、
 龍ヶ馬場には幾重にも火花が舞った。


 何十合と打ち合う修羅と武者の凄絶な一騎討ちを、
 隊列が崩れたままの毛利勢は、手に汗を握りながら見守る。

 吉川元春も遠くからその様子を見つめ、
 横にいた阿曽沼広秀に問いかける。


 「弘中殿と互角に戦うあの者は、誰だ」


 「我が家臣、井上源右衛門にございます」


 「……あの者に託すしかない」

 

 毛利軍の誰もが、
 井上源右衛門の奮戦を心に強く願った。

 もはやこの者しか、
 弘中隆包の歩みを止められる者はいない。

 言葉も出せず動けもしない毛利勢の静寂の中、
 火花が弾け散る烈しい激闘の音が、
 龍ヶ馬場から厳島全土に響き渡るかのようであった。
 


 長い死闘の中、ついに両者の均衡が崩れる時が来た。


 井上源右衛門が足元の岩を踏み外し、
 ぐらりと倒れかけたのである。

 「ああっ!!」と、毛利勢から大きな声が挙がる。


 その体勢の崩れを、無心の修羅は見逃さなかった。
 弘中隆包は大きく太刀を振りかざした。

 井上源右衛門は瞬時に死を悟り、
 意識が飛んだ―――――。



 ―――――まさか……。

 井上源右衛門はふと我に返った。

 生きている……。

 命がまだこの世にあることを悟り、そして刮眼して驚く。


 源右衛門が無意識に繰り出した駒切の刃は、
 相手の肉体を貫いていた。


 弘中隆包が振り上げたはずの右手の中に、太刀がない。
 握る力も尽き、地に落としていたのである。


 井上源右衛門は、相手を見て震えた。

 そこに立ち尽くす弘中三河守隆包の姿は、
 三日間の炎天下に干され、糧と水を断たれ、
 まるで死に際の老人のようにげっそりと痩せ細っていた。

 隆包を貫いた駒切の刃も、鮮血が伝わり流れることもなく、
 ドロリとした粘血と赤い粉を絡め取るばかり。

 弘中隆包の体内には、血液が残されていなかったのである。
 ただ気力だけで、その武を振るい続けていたのであった。

 隆包の眼には、もはや生気の眼光はなかった。

 もしかしたら、弘中隆包という人間は、
 修羅と化す前に、既に事切れていたのかもしれない。


 隆包を刺した源右衛門は、
 唇を震わせながら、刃を体で呑み込んでいる隆包に言う。


 「この駒切、末代までの家宝と致します……」


 「……要らぬ―――――」


 隆包の干からびた唇から、言葉が小さく漏れた。


 「やがて来よう―――――。
  刀など要らぬ世が……、いずれ―――――」


 その口元は、
 まるで微笑んでいるかのように見えた。


 そして弘中隆包は、力を失い、
 源右衛門の足元の地にドサリと落ちた。

 修羅は、もう二度と動くことはなかった。



 天文二十四年(1555)十月三日。

 国の発展にその智勇を振るい尽くし、
 疾風のごとく西国を駆け抜けた元安芸国守護代、
 弘中三河守隆包は、
 龍ヶ馬場にて壮絶な討死を果たした。

 享年には諸説あり。
 老齢であったとも若年であったとも言われるが、
 一説には三十四歳とも、また一説には三十五歳とも言う。



 最後の強敵・弘中隆包がその地に堕ちた時、
 吉川元春をはじめ、隆包一人を取り囲んでいた毛利勢からは、
 しばらくは誰からも鬨の声は上がらなかった。

 今の毛利の基盤である安芸国の経済と政情を築き上げた
 大恩ある守護代を今、自らの手で屠ったからである。

 敵将というより、主君を手にかけてしまったような
 沈痛な面持ちだった。


 弘中隆包を討ち取った井上源右衛門は、
 その首を取ることも忘れ、
 しばらく呆然とそこに立ち尽くした。


 そして、溢れ流れる涙を拭おうともせず、

 「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 と雄叫びを上げたかと思うと、
 駒切の太刀を龍ヶ馬場の大岩に力強く突き立てた。

 すると、太刀は砕け跳ぶことはなく突き刺さり、
 ピシピシッと音を立てながら、大岩に大きな亀裂が走った。

 一本の太刀が、頑強な岩石を裂いたのである。

 周囲の毛利の将兵たちは、言葉を失う。

 井上源右衛門はそのままガクリと膝をつき、
 止めどなく泣いた。

 最後の血液の一滴までも失った敵将に、
 その涙の潤いを与えるかのように―――――。



 猛将弘中隆包を討ち取るという大功を挙げた
 阿曽沼広秀家臣・井上源右衛門の名は、
 どの歴史史料にも、
 この厳島の戦い以降、なぜか一切出てこない。

 龍ヶ馬場での武勲以降の彼の行方は、
 そして駒切の太刀がその後どうなったのかは、
 誰も知らない。


 また、井上源右衛門が名刀駒切にて
 龍ヶ馬場の岩石を斬り割いたという伝説も、
 それ以降は次第に人々の心から忘れられていった。

 ただ、全く植物の生えていなかった峻嶮の龍ヶ馬場は、
 その亀裂の隙間から次第に草木が芽生え始め、
 周辺に樹木が茂るようになり、
 やがて自然に恵まれた名跡と化していった。

 駒切の太刀により木々に覆われるようになったからなのか、
 後世の龍ヶ馬場は、いつの頃からか
 「駒ヶ林」と呼ばれるようになった。



 総大将陶晴賢の自害後の二日後に、
 最後の一将・弘中隆包が駒ヶ林にて討死したことで、
 「厳島の戦い」は、本当の終結を迎えた。


 陶晴賢の首はしばらく見つからなかったが、
 自害から五日後、小姓の乙若が降伏してその所在を吐いたため、
 首実検により陶晴賢の首が断定された。

 毛利軍は、わずか三千の兵での奇襲ながら、
 四千五百を超える首級を挙げた。

 毛利軍の圧倒的勝利である。


 
 天文二十四年(1555)十月に起こった、
 中国の覇権を大きく塗り替えることになる「厳島の戦い」。

 同じ月、二十四年続いた「天文」の元号は、改元となった。

 新しく始まった元号は「弘治」。

 安芸国の人民たちは
 まるで同月に死した名将の一字が残ったような偶然を
 密やかに感じたのであった―――――。



 西国の運命は、この「厳島の戦い」によって、
 瞬く間に大きく流転していく。


 (終章へつづく)
| 『厳島戦記』 | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0) |









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