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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(四十三) 龍ヶ馬場の巻


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 厳島戦記(四十三) 龍ヶ馬場の巻
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                       第七部「厳島奇襲戦」




 天文二十四年(1555)十月一日、
 総大将陶晴賢の指揮する二万もの大内軍は、
 毛利元就の奇襲によって、わずか一日で厳島にて壊滅した。

 大内軍の将兵らはことごとくその首を討たれ、
 また逃げる途中で瀬戸内海の藻屑となって沈んでいった。

 やがて、陶晴賢の鎧を着けた首無しの屍体が発見され、
 総大将の自害が明白となり、
 毛利軍は大勝利を収めたことを確信した。


 だが、毛利元就はまだ、
 全軍に勝利の鬨を上げさせることはなかった。


 大内軍にはまだ、防芸無二の勇将、
 弘中三河守隆包が残っていたからである。


 大内家への忠義の塊である弘中隆包は、
 いくら死地へと追い込んで投降を迫ったとしても、
 二君に仕えることを選ぶことはないであろう。

 さらに、総大将の陶晴賢が命を落としたと言っても、
 周防山口にはまだ当主の大内義長が健在であり、
 防長合わせても軽く総勢二万以上の兵力が残っている。

 その周防山口に弘中隆包を帰すのは、
 獣の群れの中に旗頭の獅子を放つようなものである。
 
 名将の雄渾は、必ずや後の毛利への脅威となる。

 その芽を摘むのは、虎の牢に押し込めた今しかない。

 厳島に渡る前から、いや陶との決別を決めた時から、
 鬼になる覚悟はとうにできている。


 「どんな手を用いてでも、弘中三河守を討て!
  弘中を踏み越えない限り、毛利の雄飛はあり得ぬ」


 毛利元就は容赦なく、全軍に隆包追討を命じた。



 弘中隆包は滝小路での吉川元春との激闘の後、
 弥山山麓の大聖院の裏手に陣を張った。

 総大将の陶晴賢を海へと逃がすために、
 自分たちは囮となって山の方向へと退いたのである。

 この時、弘中隆包の手勢はわずか百騎ばかりであったが、
 隙を見ては毛利軍の各部隊を急襲し、敵軍を混乱させた。

 毛利元就の嫡男・毛利隆元が張った陣も、
 一度、弘中隆包隊に急襲された。

 隆元を守っていた粟屋春俊は弘中隆包に斬り捨てられ、
 毛利隆元は一時絶体絶命の危機に陥った。

 だが、この時も博奕尾の時のように、
 毛利隆元の「百万一心」の信念は揺るがなかった。

 味方の部隊が続々と隆元の救援に駆けつけ、
 弘中隆包は再び窮地を迎え、また風と共に消えた。


 陶晴賢の屍が発見されその自害が知れ渡ると、
 晴賢を追っていた小早川隆景らが毛利本軍に合流し、
 残る弘中隆包隊を全力で潰しにかかった。

 弘中隆包の部隊は驚異的な奮戦ぶりで敵を脅かすも、
 寡兵ではとてもその毛利軍の猛攻を防ぎきれず、
 山へ、上へと後退せざるを得なかった。

 そして弘中隆包らは、龍ヶ馬場へと追い詰められていった。



 龍ヶ馬場―――――。

 厳島の最高峰は弥山(みせん)という霊峰であるが、
 弥山が豊富な木々に恵まれ動物の楽園であるのに対し、
 厳島第二の標高を誇る龍ヶ馬場は、断崖絶壁の岩場である。

 草木はほとんどないが、視界を遮るものがないため、
 ここからは厳島の全域が見渡すことができる。

 毛利軍の主力が、続々とこの龍ヶ馬場を取り囲むのを見て、
 弘中隆包は親友陶晴賢が既に命を絶ったことを悟った。


 眼下では、毛利軍の先鋒・吉川元春の部隊が、
 次々に柵を張り巡らせ、我らの退路を完全に封鎖している。

 毛利軍は全力で、弘中軍の掃討に集中し始めた。



 「安芸の龍に追い詰められた場所が、龍ヶ馬場か―――――。
  我らの命運も、これまでかのう」


 敵の動きを遠くに眺めながら、
 弘中隆包は自嘲気味につぶやいた。

 周囲の部下たちは、口々に励ましの言葉を放つ。


 「何を仰せにございますか。我々は誇りある岩国の武人。
  最後まで殿をお守りする所存でございます」


 隆包は、彼らの言葉に優しく微笑んだ。

 瀬戸内海の静謐、安芸国の発展を支えてきた岩国の志士たち。
 彼らは一縷の希望を捨てず、ひたすら忠義に尽くしている。

 今の隆包にとって、彼らの恩に報いることができるのは、
 その希望を否定しないことぐらいであった。



 龍ヶ馬場はその峻嶮さから、一度に大勢で攻撃ができない。
 同時に数人が登れる程度しかない岩道が頂まで続く。

 そのため、天険の要害とも言えた。

 何度か毛利軍は、弘中隊の五倍以上の兵力で突入を試みたが、
 どうしても先頭部隊は先細りとなり、
 弘中隊の壮烈な守備によって、次々にその屍を晒し続ける。


 だが、次第に弘中隆包の部隊は苦しめられることになる。


 その第一の理由は、秋晴れの陽射しである。

 龍ヶ馬場は岩肌ばかりで、植物がほとんど生えていない。
 当然、川や池などもなく水が確保できず、
 採って食べるような実や根の類もない。

 そこに、真夏と見紛うような暑い陽射しが照りつける。

 食糧もなく、水もなく、
 弘中軍は全員、容赦なく体力を奪われていった。


 さらに、毛利元就の鬼謀が走る。

 弘中隆包に直接投降を呼びかけても、断固拒否される。

 そこで元就は、隆包の周囲の郎党たちに、
 「武器を捨てて投稿すれば、無条件にその命は助ける」
 と再三伝えたのである。


 弘中隆包と毛利元就は共に手を携えて安芸国を豊かにした間柄。

 二人の友情は、誰しも知るところである。

 弘中隆包の郎党たちは、自分たちが毛利に投降することで、
 毛利元就に主君隆包の助命を嘆願できる、と考えた。

 隆包と元就、双方にとって対立は本意ではなかったはずだ。
 隆包は我々のために帰順し、主君の死は免れる。
 そう考えた郎党も多かった。

 そのため、弘中隆包の命を救うべく、
 自ら投降する者が多数現れた。

 ところが、これは毛利元就の罠であった。
 毛利軍に下った兵たちは、ことごとくその首を討たれたのである。

 弘中隆包は決して屈服することはない。
 そうなると投降してきた者は全て内応の種になるからである。

 こうして、弘中隆包の部隊は毛利の猛攻を防ぎながらも、
 その兵の数は次第に減っていった。



 とは言うものの、龍ヶ馬場を堅く包囲する
 吉川元春や熊谷信直らの軍も、度々危機に陥った。

 守勢だけでは生き延びられないと悟る弘中隆包隊は、
 隙をついては岩場から飛び出し、
 包囲する毛利の軍兵たちに斬りかかり、
 致命傷を与えては再び岩場へと戻り消えていった。

 風のように現れてその刃を振るい、
 風のように消えていく敵軍に、毛利軍先鋒は手を焼いた。

 そこで、毛利元就は党内の残党狩りを行なっていた
 毛利隆元、福原貞俊らの手勢も包囲陣に加え、
 弘中隊が飛び出してくると大勢で囲み返り討ちを与えた。


 夜が明け、昼が来て、また夜が来て、夜が明ける。

 龍ヶ馬場での激闘は三日間にも及んだ。

 時間が経つにつれて、
 投降する者は騙し討ちに遭い、奇襲する者も討ち倒され、
 弘中隊の生き残りはわずかに十一騎となっていた。

 そして兵糧も水もない弘中隊は、
 疲労困憊の極致に追い詰められたのであった―――――。



 十月三日の朝が明けた。


 この日、しびれを切らした毛利軍はついに、
 弘中隊を殲滅するべく、龍ヶ馬場への総力突入を決めた。

 そして、弘中隆包も、
 「毛利が一斉突入するとしたら今日だろう」と読んでいた。

 だがこの時点で、弘中隆包をはじめ郎党たちの中で、
 傷を負っていない者は一人もいなかった。

 加えて、三日間飲まず食わずで、ろくに睡眠も取れず、
 強い陽射しに晒されて、誰もがボロ切れのようになっていた。

 特に弘中隆包は、敵兵からの攻撃の集中が凄まじく、
 無数の刀傷と矢傷を受け、血にまみれており、
 もはや気力だけで生きていると言っても過言では無かった。


 弘中隊十一騎がぐったりと岩場にもたれているのを余所に、
 山の中腹で弘中隊を取り囲む毛利軍の中から、
 無数の銅鑼や鐘の音がけたたましく鳴った。

 そして気迫に満ちた喊声が駆け上がってくる。


 それを聞いて、気力を振り絞って立ち上がったのは
 隆包の嫡男、弘中隆佐(たかすけ)であった。


 「父上。私が斬り込んでまいります。
  もし少しでも毛利軍に隙を切り拓くことができたなら、
  父上は私を気にせず、包囲網を突破して下され」


 「我々もお供します!」「拙者も!」


 わずか十二歳の若武者の言葉に奮い立たされ、
 残りの九人の郎党も、刀や槍を杖にして体を起こした。

 深手の矢傷と刀傷から血が止まらず、
 肩で息をしながら岩に腰掛けていた弘中隆包は、
 しばらく全員を見つめ、そしてゆっくりとうなづいた。


 隆佐は、父隆包の前でその瞳を見つめながら言った。


 「今生のお別れにございます。父上」


 「……ああ。私も、すぐに参ろう」


 隆包は、痛みに耐えながら隆佐の言葉に答えた。

 隆佐の顔は、澄みきっていた。

 思えば、西国各地を転戦した父とは、ろくに話もできなかった。
 きっとこれが、父子の最後の会話になる。

 しかし隆佐はこの短い言葉のやり取りだけで、
 父と何十年分もの会話を重ね心を通わせた心地がしていた。

 もう思い残すことはない─────。


 隆佐と郎党らは、弘中隆包に深く一例をすると、
 武器を掲げて「いざ!」と龍ヶ馬場の岩場を駆け下りた。

 隆佐を先頭にした十人の武者たちは、
 駆けあがってきた数百名の毛利勢の中に飛び込む。

 弘中隆佐たちはあっという間に取り囲まれたが、
 その苛烈さは凄まじく、彼らの振るう覚悟の宿る刃の前に、
 毛利勢は次々に倒されていった。

 青い晴天と白い岩場を背景に、赤い鮮血がほとばしる。

 だがその力闘も空しく、寡は衆に敵せず、
 弘中隊の郎党は次々に押さえつけられ、その首を斬られた。


 そして、弘中隆佐の周囲を守っていた従者が全員討ち取られた時、
 吉川元春勢の小坂越中守という者が岩の陰から放った矢が、
 隆佐の左肩に深々と突き刺さった。

 その痛みに隆佐の身体の均衡が崩れると同時に、
 熊谷信直の家臣の末田新右衛門という者が素早く取っ組み、
 二人はもつれながら岩の上に倒れ込んだ。

 手傷多く三日間飲まず食わずだった弘中隆佐は
 敵を跳ね除ける余力も残されておらず、
 取り押さえられたまま
 末田新右衛門にその首を討たれたのであった。

 将来を有望視された少年の、若すぎる最期であった。



 目の前にいた弘中隊の手勢を全滅させた毛利軍の先鋒は
 皆刀や槍を天に突き上げ、鬨の声を放った。

 中でも弘中隆佐の首を上げた末田新右衛門は

 「弘中中務少輔隆佐、この末田新右衛門が討ち取ったり!」

 とその功を叫び
 幼い敵の首を高く掲げた。

 毛利の先鋒隊は、その歓びに大いに沸き立った。



 だが、その時─────。


 頭上から熱い突風が吹き降りてきた。

 毛利の兵たちは即座に殺気を感じ、
 歓喜に突き上げた手や武器の先を見上げる。


 「………!!」


 そこには宙を跳ぶ一人の武者の姿があった。

 血と土にまみれ鈍く黒光りする鎧の姿。


 そしてその鎧が
 ガシャンと地に降り立つ音を立てたその瞬間、
 ドサリと、何かの塊が地に落ちる鈍い音がして、

 「ぎゃあああああっ!!!」

 と大きな悲鳴が上がった。


 兵たちは目を見開き、驚愕した。


 地に落ちたのは、
 隆佐の首を髪からつかんでいた右腕だった。

 そして右から鮮血を吹き出し絶叫をしているのは、
 末田新右衛門だったのである。


 末田の腕一本を斬り落として血を滴らせる太刀を握り、
 鬼神の如き険相で立つ武者。

 
 岩国の疾風、弘中三河守隆包であった。


 「み、三河守だ!」


 怯えたように叫んだ毛利兵は、
 叫び終わる頃には、
 その弘中三河守に頭上から一刀の元に斬り落とされていた。

 慌てて刀を構えた兵たちも、
 一人は瞬く間にその首を斬り落とされ、
 その横の一人は次の瞬間に鳩尾を太刀で貫かれて倒れ込む。

 その後ろの兵は剣を振り上げたところを突き刺され、
 その横で咄嗟に距離を取ろうとした兵は
 一瞬にして刀を飛ばされ、太刀で頭を叩き砕かれた。

 焦って飛びかかろうとする毛利の先鋒の兵たちは、
 誰一人としてその太刀筋を目で追えず、
 一瞬にして十人、十一人と斬り捨てられていく。

 次々と宙に血飛沫が舞い、肉片が飛ぶ。


 冥府の修羅と化した弘中隆包の前に、
 毛利軍は無残にも、先頭から順に斬り倒されていく。


 「化け物だ……」


 敵を追い詰めているはずの毛利の兵たちに、戦慄が走った。

 龍ヶ馬場への道をズラリと並んで駆け上がる毛利軍が、
 たった一人の将の前に血泡の池を作っていく。

 まるで簡単に草を刈りながら進むかのように、
 弘中隆包は迫りくる敵兵を瞬時に斬り伏せながら、
 血の池の中を一歩ずつ進み始めた。


 友を失い、子を失い、そして勝機を失った隆包は、
 それでもまだ、大軍の敵に足を進める。

 その歩みの先に、何があるのか―――――。



 厳島にただ一人残され、毛利三千騎に包囲された
 大内軍随一の驍将、弘中三河守隆包。

 大内の覇業を支え、備後を経略し、筑前を平定し、
 安芸国の経済を大きく発展させ、大きな功を残しながら、
 後世には毛利の雄飛の陰にその名が隠れることになる。

 その悲運の勇将の最後の死闘が今、
 戦国史の埋もれた系譜に、生き様を刻む―――――。


 (つづく)
| 『厳島戦記』 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) |









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