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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(四十二) 全薑自刃の巻


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 厳島戦記(四十二) 全薑自刃の巻
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                       第七部「厳島奇襲戦」




 大江浦の白浜に、刃のかち合う金属音が響き渡る。


 共に周防の大内の発展のために身を尽くしてきた
 陶晴賢と弘中方明の壮絶な一騎打ちの気魄は、
 晴賢の従者たちの足を震わせた。


 主晴賢を見守る伊香賀房明、山崎勘解由らは、
 刀の柄に手をかけながらも、主君の加勢に踏み出せなかった。

 晴賢の尋常ならぬ殺気は手出し無用の気を発し、
 また晴賢の猛勇は必ず道を拓くと思われたからである。

 現に、五合、十合と打ち込む陶晴賢の太刀筋に、
 弘中方明は最初から防戦一方を強いられているように見えた。


 「どうした、最初の威勢はどうした!」


 「くっ……!」


 晴賢の太刀は容赦なく方明に次々と振り下ろされ、
 方明はその攻撃を槍で左右へと受け流す。

 周防の虎、西国無双の侍大将と謳われた陶晴賢の太刀捌きは、
 噂に違わぬ卓越したものであった。

 弘中方明が槍の名手と言えども、反撃の隙を簡単に与えない。
 方明が力尽きるのは時間の問題に思えた。


 ところが、二十合、三十合と刃を重ねていくうちに、
 弘中方明の槍先が段々と陶晴賢を狙い始め、
 晴賢も防戦を強いられていく。

 方明の調子が戻ってきたわけではなく、
 方明がその流れになるように戦いを進めていたかのようである。

 あわや槍先が咽喉を貫く寸前まで突き出されたのを、
 陶晴賢はかろうじて刀で払い、難を逃れた。

 そして半歩下がり、
 ゼイゼイと肩で息をしながら太刀を握り直す。

 方明は素早く攻撃の構えに戻っていた。


 「息が上がってきているな。
  それに、剛勇は健在だが、昔みたいなキレがないぜ!」


 「……おのれぇっ!」


 陶晴賢は眼を血走らせながら、さらに刀身に力を込めた。


 確かに、次第に体が重くなり、敏捷性が失われていく。
 それに比べて、方明の攻撃は鋭さが全く衰えない。

 武術から離れたことによる衰えか? いや違う!
 年齢からくる衰えか、違う!

 晴賢が自らの弱体化を認めるわけにはいかなかった。


 そして、その怒りを太刀に込めて大きく振るった。

 その全身全霊の一撃は、まるで雲をつかむかのように、
 残像という名の空を斬った。


 そこに、一閃した槍の刃が晴賢の右肩を強く衝く。


 「ぐぅっっ!!」


 その衝撃で陶晴賢の身体は半回転して吹っ飛び、
 手にした太刀は砂に落ち、晴賢は膝から崩れ落ちた。

 後方の従者たちは揃って「ああっ!」と驚きの声を漏らす。

 そこから、陶晴賢は立ち上がることができなかった。



 「勝負あったな……」


 あまりの激痛に左手で肩を押さえてうずくまる陶晴賢の前に、
 弘中方明は槍先を向け、晴賢を見下ろして言った。


 「ここは武芸場のような板間でも、試合場のような土でもない。
  船の上のように、足を取られやすい砂の上だ。
  戦地にはそれぞれ、体力や敏捷さを奪われない戦い方がある。
  あんたも武人の頃なら、本能で分かったはずだ」


 「……」


 「あんたはもう、昔の虎じゃない。
  しかもその傷だ。
  あんたはこれ以上、自分で人を殺せはしない」



 方明はゆっくりと槍先を晴賢から引いた。

 晴賢の後方に控える伊香賀房明ら家臣たちは我に返り、
 刀を抜いて方明に切りかかろうとしたが、
 晴賢は痛みに耐えながら手を上げ、その動きを制した。


 殺さない意志を見せる方明を見上げ、
 膝をつき肩を押さえたままの晴賢は口を開く。


 「方明……。俺を恨んでいるか」


 「恨みはしない。兄だってあんたを恨んではいない。
  それどころか、毛利も陶も恨むなと、俺に命じたんだ」

 
 「隆包殿が……」


 「だが俺は、あんたからは、世話になった日々を惜しまれても
  渡海を阻んだことを恨まれても、仕方がない。
  惜しむなら俺の不肖を惜しみ、恨むなら俺を不義を恨め。
  そして俺のことを……あの世で兄に詫びてくれ」


 「………」


 しばらくの沈黙の後、弘中方明は身を翻し、
 家臣小山弥右エ門が押さえていた小舟に飛び乗った。

 そして方明の合図とともに、弥右エ門は黙って櫂を付く。

 小舟はゆっくりと、大江浦の浜から離れ始めた。


 「兄上、さらば――――」


 神域・厳島を舟上から一度見渡した弘中方明は、
 そうつぶやくと周防へと向き直し、
 そこから決して厳島の岸を振り返ることはなかった。

 これが兄弟二人の、本当の決別となった――――。




 伊香賀房明らはうずくまる陶晴賢に駆け寄り、
 槍に突かれて血の止まらない右肩を布で縛って、肩を貸した。

 晴賢は、方明に武人の誇りを刺激されたからなのか、
 地に落ちた自分の太刀を再び拾い上げる。

 だが、陶晴賢はもはや力尽きたかのように気力を失い、
 そこから遠くへは動くことはできなかった。


 泥と砂に汚れたその顔は、
 何かを悟ったかのように晴れやかに見えた。

 大江浦近くの人目のつかない林の中で、
 晴賢は腰を下ろし、太刀を見つめた。


 「確かにもう、俺は追撃する敵兵を殺す力は残っていまい。
  誰かの命を断つならば、この身ぐらいだのう……」


 「殿……!」「晴賢様……!」


 七人の臣下たちは、無念がこみ上げ泣きじゃくった。

 何とか追撃を逃れて脱出を試みようと進言したが、
 陶晴賢は微笑んで、かぶりを振った。


 「かつて西楚王項羽は、垓下にて漢軍に敗れた際、
  まだ江東に勢力を残しながら、烏江で自刃したという。
  大将一人が逃げ渡っても、誇りは共にはついて来ぬ」


 遠き中国の西楚の覇王の逸話を語る陶晴賢の目には、
 もはや自決という道しか映っていなかった。


 「虎とて、自らの死期を知るわ…。
  最後は武人らしく、潔く散るを選ぶ」



 晴賢は、方明との決闘で振るった太刀を、
 脇に控える伊香賀房明に差し出した。


 「この太刀は、名将弘中隆包が不忠の血からその刃を守り、
  弟に我が身へと大切に返させた誉れ高き太刀である。
  この太刀をそなたに授け、介錯を託す」


 伊香賀房明は、陶晴賢の乳兄弟であり
 一族同然に行動を共にしてきた信頼ある股肱の家臣である。

 晴賢から太刀を受け取った伊香賀房明は、
 涙を拭いて立ち上がり、晴賢の背後に構えた。


 陶晴賢は懐剣を取り出して腹に当て、
 目を閉じて静かに辞世の句を詠む。
 


 「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも

    この有様の 定まれる身に」


 何も惜しむこともない。何も恨むこともない。
 最初からこの末路は運命だったのであろう―――――。



 晴賢の脳裏に、
 大寧寺の炎に散った先主大内義隆の姿と、
 滝小路の敵中に残った旧友弘中隆包の姿が浮かぶ。


 (我が不義を許したまえ、義隆様。
  そして、我が不肖を責めよ、隆包殿―――――)


 晴賢は一呼吸置くと目を見開く。


 そして、懐剣を握り締め、その刃で腹を横一文字に切り裂いた。

 管理職色に浸かっていた陶晴賢が、
 最後に武人として見せた姿であった。



 西国無双の侍大将と謳われ、大内家臣団の筆頭として、
 大内家を立て直すために文弱の主君大内義隆を討ち、
 その大国の全権を握った、周防の虎。

 出家して全薑入道と号した陶晴賢は、
 厳島にて自らの刃でその波乱の生涯を閉じた。


 天文二十四年(1555)十月一日、陶晴賢自刃。

 享年三十五歳。



 伊香賀房明ら近侍は、せめてもの毛利への抵抗として、
 陶晴賢の死体を敵の手に渡らせないために、
 見つけにくい岩場の陰に隠した。
 
 そして、晴賢の身に付けていた袷に晴賢の首を包み、
 厳島のさらに南方にある青海苔浜まで移動した。

 もちろんここにも島外に脱出する舟などはなく、
 山崎勘解由、垣並佐渡守は互いに刺し違えて絶命した。
 他の臣下たちもそれに続いた。

 毛利は自分たちの死体の周囲を捜索するに違いない、
 と判断した伊香賀房明は、
 さらに外れた山中にまで晴賢の首を持ち込んで草の陰に隠し、
 自分はまた再び海辺に出て、自害を果たした。
 
 このような忠臣たちの最期のささやかな抵抗のため、
 陶晴賢の首は、しばらくは見つからなかったという。



 陶晴賢の島外脱出を助けるため
 大元浦付近で楯となって奮戦していた大和興武は、
 旧知の仲であった毛利家家臣・香川光景と取っ組み合いになり、
 香川の家臣たちに取り押さえて生け捕りにされた。


 また、江良房栄や宮川房長と共に
 「富田の三房」に数えらえた猛将の一人・三浦房清は、
 陶軍敗走の殿を務めて獅子奮迅の働きを見せていたが、
 小早川隆景勢の猛追撃でことごとく手勢を失っていった。

 最後の一人になりながらも、
 三浦房清は追撃する毛利勢を次々に斬り倒しては、
 主君陶晴賢の後を追って後退していった。

 そして厳島の南の青海苔浜まで出てきたが、
 そこに山崎勘解由、垣並佐渡守らが死している姿を見て、
 陶晴賢は島を逃げられず自刃を果たしたことを悟った。

 追いついた毛利勢は休息する三浦房清に矢を射かけ、
 小早川隆景を援護していた吉川元春家臣・二宮俊実らが
 取り押さえてその首を取った。


 こうして、陶晴賢が厳島に引き連れた周防の武将たちは、
 ことごとく毛利軍に討ち取られていった。

 二万の大軍は、見る影もなく壊滅したのである。



 陶晴賢、厳島にて自刃。


 大内軍総大将の自害をもって、
 歴史に名高い「厳島の戦い」は毛利軍の圧勝に終わった─────。

 後世の多くの史書には、そう刻まれている。


 だが、毛利元就をはじめ毛利軍の誰もが、
 総大将陶晴賢の死後もしばらく、
 その矛は安心して下ろせなかった。


 周防の猛虎を狩ったと言えども、
 この厳島にはまだ、
 それ以上の脅威が残っていたからである。


 そう、安芸の龍が天に昇るために
 超えなければならない最大の壁、

 岩国の風神が─────。


 (つづく)
| 『厳島戦記』 | 19:12 | comments(0) | trackbacks(0) |









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