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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(三十二) 岩国評定の巻


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 厳島戦記(三十二) 岩国評定の巻
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                       第六部「龍虎攻防戦」




 東方に睨みを利かせていた
 大内軍随一の猛将・江良房栄を謀略により誅殺させたことで、
 安芸国(=広島県)の毛利元就は、
 さらに周防国(=山口県)への侵攻の速度を速めていた。

 保木城、仁保城、草津城、桜尾城と諸城を次々と調略で落とし、
 着々と周防国境へと軍を進める。

 そして、瀬戸内の水上交通の要である厳島を占拠するや否や、
 島内の要害山に、宮尾城の築城を始めたのである。


 毛利軍の西進を叩くべく、陶晴賢は大内軍本隊を率いて
 周防山口(=山口県山口市)を出立。

 弘中三河守隆包の領地である岩国(=山口県岩国市)に入り、
 永興寺に本陣を張った。


 弘中隆包は毛利軍の宮尾城築城の報を聞き、
 毛利元就が大内本隊との陸地戦を避け、
 厳島へと誘い込んで一網打尽にする作戦であると察した。

 毛利元就は、宮尾城を築城したことを後悔しているという。
 それを聞いた弘中隆包は、
 元就が急造した宮尾城は大内軍をおびき寄せる囮である、
 ということを見抜いたのである。


 だが、そこまで裏を読んだ弘中隆包には、
 一つ大きな誤算があった。
 
 それは、我が軍の総大将である陶晴賢が、
 厳島への進軍を
 何としてでも強行しようとしていたことであった―――――。



 「なりません!」

 永興寺の本陣の軍議の席で、弘中三河守隆包の声が大きく飛んだ。


 陶晴賢が、この岩国の地から厳島へと渡って宮尾城を落とし、
 その後に安芸国に上陸して毛利の本国を叩く、
 という進軍路の案を発表した矢先のことであった。

 いや、陶晴賢に限らず、その評定に参加していた誰もが、
 厳島を経由して安芸へと進軍するのが当然だと思っていた。

 それを、弘中隆包は真っ向から否定したのである。

 陶晴賢は意外そうな顔をして、隆包の意見に耳を傾ける。
 他の諸将も、いぶかしい表情で隆包を見つめた。

 弘中隆包は、厳島進軍を目指す晴賢を諌める。


 「厳島は海上の要衝なれど、大軍の滞留には向きませぬ。
  厳島のような小島に大軍がひしめき合っていれば、
  それこそ毛利軍の奇襲を許して、一気に殲滅させられます」

 「そこまでの事態ではあるまい」

 「毛利元就であれば、必ずそれを狙うでしょう」

 「しかし、厳島を通る利は、それ以上にあるぞ」


 弘中隆包の抗議を制して、陶晴賢が冷静に主張する。


 「そもそも、厳島を毛利が占拠していること自体が問題だ。
  ここを抑えられていては、瀬戸内の交通を握られてしまう。
  そこに、今は厳島を攻め取る絶好の機会がやってきている。
  厳島には天険の山々がありながら、
  毛利元就は三方を海で囲まれた要害山に宮尾城を築いている。
  守備に向かぬ場所に城を築いてしまったと嘆いておるそうだ。
  これは毛利軍に忍び込んでいる天野慶安からも聞いている」

 「それこそ、毛利元就の諜略だと申しているのです。
  元就殿は安芸国内でも宮尾城建設の後悔を流布しています。
  真の後悔であれば、そんなに喧伝して回るわけがない」

 「しかし、これが元就の策ではないとしたらどうする。
  この機を逃せば二度とこのような機会はないぞ。
  それを証明するのが、これだ」


 陶晴賢は、一通の書状を諸将の前に披露した。
 評定に参加する者たちの視線が集まる。


 「これは、毛利の宿将・桂元澄(かつらもとずみ)から内応の書状だ。
  我々が厳島を攻めれば、毛利元就の本隊が吉田郡山城を出るから、
  その機に乗じて、桂元澄は軍を率いて
  毛利本隊が留守中の吉田郡山城に攻め入る、とある」


 「おおっ」と諸将から、感嘆の声が挙がった。


 桂元澄は毛利軍の先鋒隊として、前線の桜尾城に入っていた。

 このまま周防から安芸に攻め入るには、
 桂元澄が守る桜尾城は、必ず大きな壁になると予想されていた。

 その元澄が帰順し、しかも毛利の本国を突くというのである。
 あまりの事態の好転ぶりに、諸将たちは喜びに沸く。

 ただ一人、弘中隆包だけは疑ってかかる。
 

 「馬鹿な。元澄殿ほどの忠臣が、毛利をなぜ裏切るのです」

 「元澄の父・広澄は、かつて毛利元就に粛清されたであろう。
  ただ、元就は元澄のことは許して家臣に加えたままであった。
  そこで元澄は恨みを晴らす機会を狙い、忠臣を演じ続けたそうだ。
  遂にその機会が来たと、喜んで内応を申し出てきたのだ」

 「あまりに時機ができすぎでしょう。なぜ疑わないのです」

 「俺もまずは疑った。そこで、その証拠を見せるように言ったのだ。
  すると、奴は神仏に誓った起請文を送ってきた。
  元澄ほどの男のことだ。神仏に向かって嘘偽りは申すまい」


 内応の書状には、桂元澄の起請文が挟んであった。

 神仏への信仰厚い当時は、起請文の意味はとても深い。
 しかも信義に聡い桂元澄の誓いとなれば、
 陶晴賢たちが信用するのも無理はなかった。

 それでも弘中隆包は納得がいかず、諫言を続ける。


 「たとえ起請文があったとしても、あくまでも紙の上での話。
  本人に直接会って確証を取らない限り、信用するのは危険です」

 「ならば、どうせよと言うのだ」

 「陸路を行くのです。確かに毛利の諸城が障壁となりましょう。
  しかし、この大軍であれば陸戦ではまず負けません。
  それに桂元澄殿の内応が真実ならば、合流もできます」


 そこへ、陶晴賢の家臣である三浦房栄が反論を挟んできた。


 「ならば、桂元澄が申し出ている内応が虚言であれば、
  我々はいっそう苦戦するではないか。
  元澄の守る桜尾城は、陸からの攻めに強い水辺の堅城。
  それならば、厳島から水軍で桜尾城の背後を突くべきだ。
  そのためにも厳島をまず制圧する必要があろう」

 「だから、それが毛利元就の罠だと言っているのだ!
  大内本隊を厳島という小さな箱に詰めること自体が危険なのだ」

 「馬鹿な。そんな小賢しい罠なら、
  この大軍で罠ごと噛み切ればいいだけではないか!」

 「その前に、殲滅させられてしまうであろう」

 「寡兵の相手に何を震えているんだ、この臆病参州が!」


 参州というのは、弘中隆包の官名、三河守のことを指す。
 つまり三浦房栄は、弘中隆包を臆病者呼ばわりしたのである。

 三浦房清の意見に乗って、伊香賀房明、大和興武、山崎勘解由など、
 陶晴賢の臣下たちが一斉に弘中隆包を臆病者と罵り始める。

 その罵倒の中でただ一人、
 弘中隆包は頑として慎重論を崩さなかった。


 「今、毛利は三島の村上水軍にも合力を依頼して回っている。
  そして小早川隆景、乃美宗勝らの毛利水軍も集結しており、
  海への決戦に引きずり出そうとしているのは明らか。
  大軍も取り囲まれて、一瞬で滅ぼされてしまうぞ」

 「毛利軍と村上水軍を合わせても、大した数ではない。
  そのまま返り討ちにすればいいだけだ!」

 「厳島では、返り討ちのために動くには狭すぎるのだ」

 「一つ疑えば、何から何まで疑いの目で見えてしまうわ。
  奉行人風情が、戦を語るな!」


 「……もうやめよ!」


 総大将・陶晴賢の怒号が飛んだ。

 熱のこもった議論の声は、晴賢の声で一気に静まる。


 「それぞれの考えは分かった。
  だが、俺も毛利の策がそれほど深いとも思えないし、
  この機を逃せば、安芸攻略の労力も費用も跳ね上がるだろう」

 「……」

 「弘中殿には申し訳ないが、ここは厳島経由の道を採る。
  毛利軍がそこに集中してくるならば、そこで殲滅する」

 「なりません。必ず滅亡することになりますぞ」


 「くどいぞ、三河守!」「臆病三州は黙ってろ!」と、
 再び三浦房清たちの大声が飛び交った。

 武勇に自信のある陶の将たちは、悲観論が気に食わない。
 弘中隆包に罵倒の集中砲火を浴びせる。

 だが、陶晴賢が次の怒号を発するような視線を察知して、
 諸将たちはかしこまってその言を止めた。

 陶晴賢は、幼き頃からの戦友・弘中隆包に対して、
 厳しくも優しい言葉で語りかける。


 「弘中殿。おぬしの読みが深いことは、よく分かった。
  だが、深すぎて慎重を極めている節もある。
  ここは諸将の意気を組んで、引き下がってくれ」

 「しかし……」

 「おぬしと同じく奉行人だった相良武任が、
  我ら武断派と対立して大内が揺れたあの悲劇を、
  二度と繰り返したくないのだ。分かってくれ……」

 「……」


 弘中隆包は、それ以上は何も言えなくなった。


 陶晴賢が引き起こした「大寧寺の変」は、
 晴賢ら武断派と、奉行人であった相良武任らの文治派との
 対立が引き起こした事変であった。
 そのせいで、歴史ある大内家は危機を迎えた。

 大内家がその轍を再び踏むことを、陶晴賢は憂慮した。

 大内義長を奉じて大内家の再建を果たそうとする陶晴賢の意思は、
 誰よりも硬いものであった。

 もはや、陶晴賢を止めることはできない。

 厳島進軍の決定に湧く評定内の諸将たちの中で、
 弘中隆包はただ一人、唇をかみしめる。


 「残念でございます」

 「そう悲観するな。勝てばよいではないか。
  我らは毛利を凌ぐ大軍なのだ。必ず大勝してみせる」

 「必ず、大敗を招くでしょう」


 往生際の悪い弘中隆包に、三浦房清の怒りが爆発する。

 思わず立ち上がった三浦房清は、隆包に指を差しながら、
 血管の浮き出た険しい顔で叫んだ。


 「三河守! おのれの悲観論は、大内全体の士気に関わるわ!
  おまえのような輩がいると、楽勝で勝てるものも勝てぬ。
  そんなに怯えるなら、この岩国に残るがいいわ!」

 「……」


 殺気立つ評定の様子を見ながら、
 陶晴賢は意を決して弘中隆包に告げる。


 「弘中殿。三浦たちの言い分ももっともだ。
  今回は諸将の意も汲み、厳島へと渡ることとする。
  弘中殿にはその間、この岩国にて待機してもらう」

 「陶殿……」

 「案ずるな。この厳島の戦、すぐに終わろう。
  宮尾城を一日で落として、再び内地へ上陸する故、
  その時にまた合流しようではないか」

 「………」

 「宮尾城ごとき小城、一日か二日もあれば落とせよう。
  攻略が終わり次第、再び陸地に戻って弘中軍と合流だ。
  厳島への渡海は、九月二十一日とする!」

 「おう!」「おう!」


 陶晴賢の号令に、諸将が奮い立った。

 弘中隆包は一人、苦衷の念でたたずんでいた。



 陶晴賢は、決して弘中隆包の諫言が煙いわけではなかった。

 自分自身が守護大名・大内義長の諌め役であるように、
 総大将である自分にも諌め役は必要だと思っている。
 だから、自分と意見を異にする者がいることはありがたい。


 ただ、自分の最大の仕事は決断であると自認していた。

 先主・大内義隆公の時代の軍議は、
 評定衆の中で武断派と文治派が対立した際に、
 議長役である大内義隆は更なる議論によって解決を求めるため、
 戦のような非常事態でも決断が遅かった。

 その不利を改善し、大内義長の時代の軍議は、
 武断派の筆頭である陶晴賢自身が議長役となり、
 議論が揉めた時には自分が早めに決断を下すことで
 軍議全体の決定を早められるようにした。

 今回の評定も、弘中隆包の諫言には一理あるものの、
 自分の意見に同調する将が多い中、
 決断を早めて迅速な進軍をする必要があると考えた。
 
 この決断は決して間違いではない。
 少なくとも、決断を遅らせるよりは絶対に良い。
 陶晴賢はそう信じて疑わなかった。



 こうして、天文二十四年(1555)九月二十一日、
 陶晴賢率いる大内本隊、約二万の大軍勢は、
 毛利元就の築いた宮尾城を落とすべく、厳島へと渡った。

 それを毛利元就の謀略であると見抜いた、
 弘中三河守隆包を岩国に残して―――――。


 この厳島への進軍が、
 西国の勢力図を大きく塗り替える一大事につながることなど、
 陶晴賢とその配下は誰も予期していなかった。

 西国の戦国史の大転換点となる「厳島の戦い」まで、
 いよいよ十日を数えることとなる―――――。


 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [三十二]
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 ■桂元澄 (かつらもとずみ)

 毛利家家臣。かつて父の桂広澄を毛利元就に殺されたが、その後も
 毛利元就に忠節を誓って仕える。厳島の戦いの際には桜尾城に入り、
 陶晴賢に内応の意志を見せ、決戦へと導く。桂氏はその後毛利藩の
 家臣として続き、子孫からは桂小五郎、桂太郎などが世に出た。
| 『厳島戦記』 | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |









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