Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
OTHERS
Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
<< 厳島戦記(二十九) 江良誅殺の巻 | main | 厳島戦記(三十一) 村上水軍の巻 >>
厳島戦記(三十) 死地囮城の巻


―――――――――――――――――――――――――――――――――
 厳島戦記(三十) 死地囮城の巻
―――――――――――――――――――――――――――――――――
                       第六部「龍虎攻防戦」




 弘中三河守隆包は、
 周防国岩国(=山口県岩国市)にある琥珀院で、
 離反の疑いのある陶配下の猛将・江良房栄を誅殺した。

 陶晴賢から太刀を一旦は受け取ったものの、
 毛利元就の謀略に気がついている弘中隆包は
 もともと江良房栄を斬るつもりはなかった。

 しかし、江良房栄が隆包に反発して毛利への投降を口走ったため、
 隆包はやむなく自らの太刀で江良を斬り捨てたのである。


 大内軍の東方防衛の全権を握る大将を失ったのであるから、
 その権限を後任の将へと即刻引き継がなければならない。

 そのため、江良房栄が本陣を張っていた琥珀院にて、
 帳簿や政務報告書など各種書類を整理している時のことである。


 「何ということだ…」

 弘中隆包が、唖然として声を絞り出した。

 書面をにらむ隆包に、弟の弘中方明が声をかける。


 「どうしたのだ、兄上」

 「これを見ろ」


 険しい面持ちで兄が手渡した書簡に、方明は目を通した。
 読み進めていくうちに、何度も固唾を飲む。

 その中には、自分たちが知らされていない事実が
 多数刻まれていたのである。



 瀬戸内海は、古来より数多くの貿易船が行き来をする内海である。
 そこには、以前から特殊な経済事情があった。


 瀬戸内に浮かぶ芸予諸島には、能島村上氏、来島村上氏、
 因島村上氏、伊予河野氏など、いくつかの水軍が土着していた。

 水軍と言っても、要は海賊衆である。

 彼らは強力な水軍を保有して瀬戸内海の制海権を抑えており、
 独自に海路上に関所を設けて貿易船から通行税を徴収し、
 また、海上での警護を名目に警備費を受け取るのを業とした。

 応じない貿易船にはその圧倒的軍事力で攻撃を仕掛けるので、
 瀬戸内を航行する海運事業者たちから恐れられていたが、
 先の西国守護である大内義隆は、それらの権利を公に認めていた。
 つまり通行料や警固料は公式のものとなっていたのである。


 その従来の慣習を大きく変えたのは、
 その大内義隆の命を受けて安芸国(=広島県)の守護代となった
 弘中三河守隆包であった。


 隆包は、貿易の国際化は遠からず進んでいくと主張した。

 今後通商がいっそう開かれていけば、
 一部の氏族が通行料や警備料を独占するのは時代に合わなくなる、
 と隆包は考え、各水軍が独自に税を徴収する権限を廃して、
 海上の関所や警備は大内軍の公の業務として一本化した。


 その代わりに、彼ら海賊衆には造船技術を習得させたり、
 水産業や手工業などへの転換を奨励したりするなどして、
 独自で生計を立てられるように厚い手助けを行なった。

 これには、弘中隆包の弟・方明の妻の父にあたる
 安芸国祇園の商人、堀立直正の尽力があった。

 岩国の水軍を率いて瀬戸内の事情を知り尽くしている弘中方明が、
 堀立直正の仲介により海賊衆の頭領たちの説得に回ったのである。

 守護代弘中隆包の言い分には筋が通っていたし、
 何より造船業や水産業への技術の提供を大きく受け、
 また水軍の戦力の一部を岩国水軍が有償で借り受けるなど、
 経済的にも有利な条件も多く与えられたため、
 どの水軍も弘中隆包の提案を喜んで受け入れたのだった。

 弘中隆包の安芸守護代時代の経済政策は、
 瀬戸内に勢力を張っていた水軍衆たちも納得し、
 次第に近代化が進んでいったのである。
 

 大寧寺の変の後、弘中隆包は安芸国守護代の任を解かれ、
 大内家評定衆の奉行人へと転身した。

 評定衆の奉行人は主に周防本国の内政を担当するので、
 瀬戸内の水域の政治は、東方守備にあたる将が引き継いだ。
 つまり、江良房栄がその仕事を担ったわけである。


 弘中隆包が各文書を見て驚愕したのは、その後の話だった。

 瀬戸内海の海路の中継点である厳島を抑えていた陶晴賢は、
 貿易船が従来の水軍への警固料を免除されている代わりに、
 厳島に寄港する貿易船は大内家への礼金を徴収することを義務付け、
 江良房栄に命じて強引に徴収させていたのである。

 海賊衆の権利を一度は奪っておきながら、
 その事実を使って新たな金銭を徴収することにしたのだから、
 これは海賊衆への信義に対する完全な裏切り行為である。

 さらに、弘中方明が岩国水軍を率いていた頃には
 対価を支払って村上水軍らの戦力を借りていたが、
 陶晴賢が弘中方明から岩国水軍を接収して大内水軍に一元化し、
 その水軍の指揮を陶家家臣の白井賢胤に任せてからは、
 戦力の有償借り受けも廃止していたのである。 

 時には、通商権の対価として金銭の供与を
 村上水軍に強要していることも判明した。


 難しいことを考えるのが苦手な方明であったが、
 今回ばかりは、事態がますます悪化していくことぐらいは分かる。


 「これでは村上水軍も河野水軍も、黙っちゃいないぞ。
  兄上の守護代の頃の政策も水の泡になってしまう」

 「陶殿はこんな形で新たな財源を作ろうとしていたのか。
  何という浅はかな…」


 弘中隆包は、大きな溜め息をついた。



 確かに、現在の大内氏には、次なる財源確保が急務であった。

 先代の大内義隆はいくら貴族風の煌びやかな贅沢を行なっても、
 独自で大陸との日明貿易を行ない巨万の富を確保していたから、
 比較的財政は潤っていた。

 ところが、大寧寺の変の後に大内義長が大内家を継いでから、
 中国大陸の明の帝室は、大内義長のことを
 先代を自刃に追い詰めて政権を奪取した簒奪者だと見なしており、
 正式な後継者とは認めず、日明貿易を打ち切っていた。

 その結果、陶晴賢は新たな財源を探す必要が出てきたため、
 瀬戸内海の経済水域の利権に目を付けたのである。

 それを陶晴賢の直属の部下である江良房栄が行えば、
 本国の内政を取り仕切る奉行人を通さず軍事費として徴収でき、
 また大内氏より先に陶氏を通すことで、陶氏も潤う。

 そのため、陶晴賢は本国奉行人の弘中隆包に話を通さずに、
 独断で安芸国水域の利権に手をつけていたのであった。



 「これでは、村上水軍らは大内氏を完全に見限ってしまう。
  今なら、元就殿がその反発を利用しないわけがない」

 「どういうことだ、兄上」 

 「毛利家が再び村上氏に通行税や警備料の権利を約束することで、
  村上水軍の勢力を味方に引き入れようとするだろう」

 「しかし、毛利軍の兵力は四千足らずで、
  村上水軍や河野水軍らが集まってもせいぜい一千程度。
  我ら大内軍は二万はいるから、さほど気にしなくてもいいのでは」

 「そこよ。これを見ろ」


 弘中隆包は、机上に瀬戸内の地形が描かれた地図を広げた。
 内海の中に、無数の離島が描かれている。


 「新宮党の壊滅で、背後の尼子からの脅威を除いた毛利軍が、
  大内氏に対抗しようと助けを求めるなら、水軍衆しかいない」

 「他にはいないのか、兄上」

 「大内の背後を衝かせるなら、九州の大友家が該当するが、
  義長様が元々は大友家のご出身なのだから、それはあり得ない。
  他に外部で借りれる力と言えば、水軍衆だけだ」

 「でも、水軍全てを合わせても大内軍の兵力には到底及ばないぞ…」

 「そうだ。だから私がもし毛利元就殿ならば、
  海の戦に慣れている村上水軍や河野水軍の力を借りて、
  何としてでも大内軍との決戦の場を海に持っていくだろう」


 弘中隆包は地図上の安芸の内海あたりを大きくなぞった。

 これまで岩国海軍を率いていた弘中方明にとっては、
 海の戦いとなればかなりの自信を持っている。
 だが、方明には兄の予測がどうも納得できない。


 「しかし兄上、大内軍は大半が、陸を行く歩兵部隊だ。
  たとえ毛利が大内軍の一部である水軍に勝利したとしても、
  大内軍全体にとっては大して痛くも痒くもないのでは?」

 「確かにその通りだ。だから陸軍もうまく海域へ引きずり出して、
  水軍を使って一網打尽にしてしまう戦法を取るのだ」

 「わざわざ陸軍が陸から海へと移動してくるのを待つなんて、
  そんなことがあり得るだろうか」

 「だから、何とかして誘い出すよう謀るのだ」

 「どこにだよ」

 「うむ。そんな大軍を一気に叩くために封じ込められる場所は、
  瀬戸内水域でもわずかな数に限られてくる。
  自分が元就殿なら、例えば―――――」


 弘中隆包は、瀬戸内海の地図の上を人差し指でなぞっていく。

 そしてその指は、一つの島の上で止まった。


 「厳島だ――――」



 厳島は、一周が七里ほどある島で、
 古来より瀬戸内海の交通の要衝として栄えてきた島である。

 平清盛が厳島神社の社殿を修造して保護を行なったように、
 内海の安全のための信仰と崇敬を集めている場所で、
 多くの貿易人や参拝客でにぎわい、宮島とも呼ばれる。


 安芸国と周防国を行き来する際には、陸路を通るよりも、
 参拝も兼ねながらいったん厳島へと渡って、
 島を経由して陸へ戻るという場合も一般的に多くあった。

 弘中隆包自身も、吉田郡山城や月山富田城などへ遠征した際に
 何度も厳島に寄って戦勝祈願を行なったものである。

 つまり、大内軍のような大軍であっても、
 渡海をすることについてはそれほど不思議なことではなかった。


 そこで弘中隆包は、
 毛利元就は厳島などに大内軍を引き寄せるために
 いろいろと策を講じてくるに違いないと踏んだのである。

 そしてその海上での一大決戦に臨むためには、
 大内から心が離れていくであろう海賊衆の力を借りるだろう。

 そのように弘中隆包は毛利の動きを読み取った。


 それを予測してからの弘中隆包の行動は早かった。

 弟の方明に、義父である堀立直正を介して
 村上水軍にすぐに接触するよう命じた。

 そして自らは陶晴賢へ江良誅殺の一部始終の報告と
 毛利対策の進言のために、すぐに周防山口へと戻った。



 「自分が毛利元就ならば、厳島あたりに大軍を誘い込む――――」

 そのように弘中隆包が元就の作戦を予想した頃、
 山口の陶晴賢の耳にも、新たな情報が入ってくるようになった。


 その第一報は、毛利元就が厳島の北部の要害山という小山に、
 宮尾城を築城したということであった。

 いよいよ、毛利元就は瀬戸内の交通の要衝、
 厳島に狙いを定めた。


 「やはり、厳島を狙ってきたか……」


 弘中隆包は、元就の思惑が読めた。

 大内の大軍を厳島という死地におびき寄せるために、
 元就は壮大な罠を準備しているのだ、
 ということも見抜いた。


 確実に、毛利の手によって厳島の要害山に築かれた宮尾城は、
 大内軍を一網打尽に陥れるための囮城である――――。

 
 そこまで毛利元就の手の内のほぼ全てを読みながら、
 弘中隆包にはただ一つ、大きな誤算があった。

 その意外な誤算が、大内の大軍を、
 そして弘中隆包の運命を決定づけることになる――――。

 
 
 (つづく)



 ――――――――――――――――――
  『厳島戦記』武将列伝 [三十]
 ――――――――――――――――――

 ■大友義鎮 (おおともよししげ)

 豊後国(=大分県)の戦国大名。大寧寺の変で周防国(=山口県)の
 大内義隆の死去後、弟の大友晴英を大内義長として大内家に送る。
 後に大友宗麟と号し、九州に覇を広げるキリシタン大名となるも、
 大内家滅亡後は毛利氏や島津氏と激闘を繰り広げることになる。
| 『厳島戦記』 | 03:37 | comments(0) | trackbacks(1) |









http://blog.timestage.net/trackback/1434389
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
| - | 2012/02/26 4:34 PM |