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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(二十五) 三本松城の巻


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 厳島戦記(二十五) 三本松城の巻
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                       第五部「防芸謀略戦」




 「やはり裏切っておったか、毛利の山猿がっ!」


 陶晴賢が地面に投げつけた軍配が、音を立てて大きく地に撥ねた。

 津和野(=山口県津和野町)の大内軍本陣に、緊張が走る。


 陶晴賢は、焦燥に駆られていた。

 吉見正頼の守る津和野三本松城(=山口県津和野町)を、
 主君・大内義長を奉じて大軍で総攻撃しているが、
 ひと月、ふた月経ってもなかなか落ちない。

 やがて、攻城への合流を要請していた安芸国の毛利元就が
 ようやく吉田郡山城(=広島県安芸高田市)を出発したと報が入る。

 中には、吉田郡山城を出た毛利軍に不審な動きあり、
 との疑念の連絡もあったが、陶晴賢やその臣下たちは、
 恐らく吉見正頼による情報錯乱の策だろうと思っていた。

 ところが、毛利元就は銀山城、己斐城、草津城、桜尾城と、
 電光石火の速さで安芸国内の大内軍の城を続々と落としていった。

 ついには、海を渡って交通の要衝である厳島を占拠。

 そこを拠点に、小早川隆景率いる毛利水軍が、
 陶晴賢の居城である富田若山城を脅かし始めたのである。


 東方の防衛のために岩国(=山口県岩国市)に駐屯している、
 陶晴賢が絶大な信頼を寄せる武将・江良房栄からも
 毛利軍の諸城への急襲の報告が寄せられ、
 陶晴賢はようやく毛利の謀反を確信し、憤怒を爆発させた。

 しかし、目の前の津和野三本松城の攻撃は難攻を極めていた。

 このままでは毛利元就の侵略をやすやすと許してしまうこととなり、
 やがて城内の吉見正頼軍も毛利軍に呼応して奮起するであろう。

 陶晴賢は苛立ちを隠せず、目の前の三本松城を睨み付ける。



 その日もまた、城を攻めている大内軍に敗色が見え始めていた。

 大内軍が城壁の攻略に手間取って疲労の色が見えてくると、
 三本松城の城門が開き、城内から吉見軍の精鋭が撃って出た。
 短兵急な攻撃に、大内軍は混乱して次々に討たれていく。

 これまで何度、同じようなことを繰り返したであろうか。

 本陣からその様子を眺めていた陶晴賢は焦心に堪えられず、
 いよいよ引き上げを命じようと一歩進み出たその時――――――。


 ガァァァン――――――
 

 耳を引き裂くような音が戦場に鳴り響いた。


 両軍の声が一瞬静まったと思った瞬間、
 馬上で刀を振るっていた吉見方の長嶺という武将が、
 肩から血を吹き出しながら、地にドサリと頭から落下した。


 (鉄砲……!?)

 陶晴賢は、音の方向へと目を向けた。


 当時の「鉄砲」、つまり火縄銃は、
 この三本松城の戦いからおよそ十年前の天文十二年(1543)に
 大隅国(=鹿児島県)の種子島に
 ポルトガル人によって伝来したと一般的に伝えられている。

 だが、以前から明国との貿易を続けていた大内家では、
 種子島の伝来事件よりもずっと前に既に鉄砲が伝わっていた。
 
 しかし、当時の大名であった大内義隆はこれを武器と見なさず、
 狩猟のための用具として所蔵しているだけであり、
 大内軍で戦場で鉄砲が使用されるというのはほとんど例がなかった。


 その鉄砲が、戦場で火を噴いた。

 一筋の細い煙の上がる火縄銃を両手に構えていたのは、
 奉行人筆頭の弘中三河守隆包であった。

 そしてその後ろには、弟の弘中方明をはじめ軍勢が控え、
 弘中家の軍旗である丸揚羽の旗が風にはためいている。

 九州筑前国(=福岡県)の宗像氏の内乱を鎮め、
 弘中隆包は宗像軍の一部も伴い、本州に戻ってきたのである。


 「援軍だ!」と、疲労を見せていた大内軍は歓喜の声を挙げ、
 また援軍の姿を見た吉見軍は顔色を失って城内へと逃げ帰った。

 先の見えない三本松城攻略に心を縛られていた陶晴賢には、
 弘中隊の到着は、まさに干天の慈雨のごとき救いである。

 晴賢は満面の笑みで隆包を出迎えた。


 「弘中殿、よい所に加勢に参られた」

 「毛利軍が反旗を挙げたとの報せを受け、
  宗像領内を早めに取りまとめて戻ってきました」

 「ありがたい。深く礼を言うぞ」

 「陶殿、ここは三本松城よりも、毛利軍の防衛が先決でござる。
  被害が大きくなる前に吉見殿とは和議を結ぶべきです。
  一刻も早く、毛利軍の侵攻を食い止めることが肝要。
  我ら一隊がこのまま、安芸へ迎撃に向かいましょう」

 「おお、そうだな」


 陶晴賢は弘中隆包の申し出に相槌を打ったが、
 そこに横から、「お待ちを!」と大きく声を挟んだ者がいた。

 陶晴賢の股肱の家臣、宮川甲斐守房長である。


 「弘中殿は奉行人。文官は戦事よりも外交に専念すべきでござる。
  吉見との和議は弘中殿が主導されるほうがよろしいのでは。
  毛利の討伐は、我ら陶家中の武官にお任せ頂きたい」

 「我らも同じ意見でございます」


 三浦越中守房清をはじめ、陶晴賢の家臣たちが次々に口を揃えた。

 そこに、弘中隆包の背後から、弟の河内守方明が進み出る。


 「おい、待てっ」

 「何用か」

 「おまえたち、平然と無礼な理屈を言ってんじゃねえ。
  たかだか大内の陪臣の分際で、何を偉そうなことを言ってんだ」

 「何だと!」「もう一度言ってみろ!」

 
 弘中方明の暴言に、宮川房長や三浦房清が眉を吊り上げ、
 今にも方明につかみ掛からんばかりに飛び出そうとするのを、
 「やめんか!」と陶晴賢が声を張り上げて制止した。

 「方明、控えろ!」という兄の声を聞いて、方明も引き下がる。

 陶晴賢と弘中隆包、大内家の武官筆頭と文官筆頭の背後で、
 それぞれに仕える将たちはにらみ合った。



 陶晴賢は溜め息を殺しながらも、ふと考量した。

 確かに宮川房長の言にも一理ある。

 兵力を連れてきた弘中隆包には申し訳ないが、
 文官に武官の手柄を与えることを大将が認めてしまっては、
 無頼漢揃いの諸将たちは大きく不満を募らせるであろう。


 「弘中殿、そういうわけだ。和議を早急に進めてくれないか」

 「そういうことならば、分かりました。今すぐに」

 「そうか、助かるぞ。では毛利への迎撃は、宮川房長に任せる。
  房長、おぬしは三千の兵を率いて、毛利の侵攻にあたれ」

 「はっ」


 
 弘中隆包は、かつて毛利元就と共に安芸を治めていた守護代である。
 だから、治政を共にした毛利の反抗の責任を感じていた。

 そこで毛利軍討伐を自ら買って出たのだが、
 武の誇りを持つ宮川房長ら陶軍の将たちにその出番を譲った。

 そして隆包は、自ら進言した吉見正頼との和議に専心する。


 長らく大内の大軍を退けていた頑強堅固な津和野三本松城だが、
 実は、城内は既に兵糧が尽きかけていた。
 吉見軍にとっても、和議の申し出は渡りに船であった。

 隆包の叔父、弘中頼之が吉見正頼の側近を務めているため、
 弘中頼之を通して吉見正頼に和議を提案したところ、
 吉見正頼は弘中隆包の仲介ならばと、快く和議に応じた。

 和議の条件は、正頼の子・亀王丸(後の吉見広頼)を
 人質として差し出すことで、吉見正頼はその条件を呑んだ。
 そして大内軍は、三本松城の囲みを解いたのである。



 吉見正頼との講和が成るとすぐ、宮川房長は三千の軍勢を率いて
 毛利迎撃のために安芸へと向かった。

 津和野からの出発前に、弘中隆包は宮川房長を呼び止めた。


 「宮川殿」

 「おう、弘中殿。和議の手腕、見事でござったな」

 「それよりも、毛利軍に当たる前に助言をしておきたい。
  毛利軍は吉川勢、小早川勢も連れて総力で動いている。
  これまでの毛利は背後の尼子を気にして動きが鈍かったが、
  この度は違うぞ。小勢だからと絶対に侮ってはならぬ」

 「ほう。弘中殿はこの房長を見くびっておられるな」


 宮川房長は、目を細めて睨むように弘中隆包を見つめた。
 隆包は動じず、先を進める。


 「そうではない。この戦、相手を見くびると負けるぞ」

 「安芸守護代殿は、安芸の国人を高く売り込みたいようですな。
  しかし、我ら陶勢は安芸や九州の田舎武士のような貧弱な戦には
  決して負けぬ強さを持っております。黙って戦果を待たれい」

 「いいか宮川殿。決して毛利を侮るな。侮った時点で終わるぞ」

 「ふっ、何を」


 弘中隆包の忠告を鼻で笑い、宮川房長は馬を進めた。
 三千の兵が、安芸へ向かって進み始める。

 弘中隆包は、祈るような気持ちで宮川隊の背中を見つめた。 


 そしてその後ろから、兄の隆包を心配そうに見る弘中方明は、
 心に立ち込める深い霧のような、晴れない感覚を感じていた。

 これからの兄の歩む運命に立ちはだかる真の敵が何者なのか。

 それは毛利でもない、尼子でもない、
 何か別の、形の見えない敵影が心の奥にちらつく。


 その敵影は、やがて
 名将弘中隆包を窮地へと陥れることになるのだが、
 この時はまだ、弘中方明もその正体をつかめずにいた―――――。
 

  
 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [二十五]
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 ■三浦房清 (みうらふさきよ)

 陶家家臣。富田若山城(=山口県周南市)城主の陶晴賢の下でその
 武勇を発揮し、江良房栄・宮川房長と共に「富田の三房」と呼ばれ
 国内外に知られる。大内義長政権で権力を掴んだ陶晴賢の片腕として
 活躍し、弘中隆包と衝突しながら、運命の厳島海戦へと身を投じる。





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