Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
OTHERS
Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
<< 厳島戦記(二十三) 山田事件の巻 | main | 厳島戦記(二十五) 三本松城の巻 >>
厳島戦記(二十四) 毛利三矢の巻


―――――――――――――――――――――――――――――――――
 厳島戦記(二十四) 毛利三矢の巻
―――――――――――――――――――――――――――――――――
                       第五部「防芸謀略戦」






 人は時として、重い決断を迫られる。
 その決断が、その人の後の運命を大きく変えることになる。

 しかし、どの決断がどの運命をどのように変えていくのか、
 それは誰にも分からない。
 分からないからこそ、その決断は人にとってあまりにも重い。


 決断を機にして、成功の道を駆け上がっていく者。

 決断が仇となり、地に墜ち身を滅ぼしていく者。


 そして迫られた決断の場には、もう一つの結末がある。

 決断が遅れて、勝機から転がり落ちていく者である。



 今、一つの小さな勢力が、たった二つの書状を前に、
 まさにその思い決断を迫られていた。

 並んだ書状を見つめながら、毛利元就は唸る―――――。




 いわゆる「大寧寺の変」で、大内義隆が自害に追い込まれた後、
 事変を先導した大内家筆頭家老・陶晴賢とその味方は、
 陶晴賢に対抗意識を持つ国内勢力をことごとく討伐していった。

 大内勢力下にある安芸国(=広島県西部)も、
 陶晴賢派と旧主義隆派による衝突が起こっていたが、
 吉田郡山城(=安芸高田市)の毛利元就は陶晴賢に加勢して、
 安芸国内の鎮静に尽力していた。

 事変の事後処理のために周防山口(=山口県山口市)へ戻った
 安芸国守護代・弘中三河守隆包の代わりとして
 毛利家が新たな求心力となって動いていたのである。


 陶晴賢に同調し、大内義長新政権に反抗する安芸国内の勢力を
 次々と討伐していった毛利元就だが、
 背後の脅威が、いっそうその大きさを増したことを知る。


 天文二十一年(1552)四月、
 出雲国(=島根県東部)の守護大名・尼子晴久が、
 八国の守護職に任じられたのある。

 尼子晴久は、これまでの出雲国、伯耆国(=鳥取県西部)、
 隠岐国(=島根県隠岐諸島)の三国に加え、
 美作国(=岡山県東北部)、因幡国(=鳥取県東部)、
 備前国(=岡山県東部)、備中国(=岡山県西部)、
 備後国(=広島県東部)の山陰山陽八国の守護職に就くことを、
 室町の征夷大将軍・足利義輝から認められたのであった。


 足利幕府は、義隆の死で混乱している大内氏に代わり、
 尼子氏を中国地方の新たな重鎮と見るほうが得策だと思ったのだろう。

 この尼子氏の権威の増大で、周辺の国からは大内氏を見限って
 尼子氏へ寝返ろうとする国人領主も続出した。


 その中でも、備後国旗返城(=広島県三次市)の城主である
 江良隆連(えらたかつら)の尼子氏への離反は、
 吉田郡山城の毛利氏にとって存亡に関わる大きな脅威となった。


 そのため、毛利元就は主力軍を旗返城に差し向け攻撃。

 半年以上の長き激戦の末、天文二十二年(1553)十月十九日、
 毛利軍はようやく旗返城を陥落した。


 安芸国守護代の弘中隆包が周防山口に戻っているため、
 毛利元就は「旗返城に毛利家から城番を置き、尼子に備えたい」
 という旨の書状を山口の弘中隆包宛に送った。

 ところが、その返事は弘中隆包ではなく陶晴賢から戻って来て、
 「江良丹後守房栄を旗返城へ送るから、勝手なことをするな」
 という指示が書かれてあった。

 確かに大内家中随一の猛将である江良房栄を
 尼子軍の抑えにすることが大内にとって安心であることは分かるが、
 弘中隆包が安芸に駐在していた頃に比べると、
 あまりに毛利が軽視されすぎているのではないか。

 毛利家中から、陶晴賢に対しての不信を見せる者も出始めていた。



 
 毛利元就とは逆に、堂々と陶晴賢に反旗を翻した者がいた。

 石見国の津和野三本松城城主・吉見正頼である。


 大内義隆の姉を妻に迎えた吉見正頼にとって、
 主君でもあり義弟でもある義隆を自害に追い込んだ陶晴賢は、
 憎むべき謀反人であり、決して同調できない仇敵だった。

 新当主大内義長の名で再三にわたって出仕の命令が届いていたが、
 義長を主と認めない吉見正頼は、これに応じなかった。


 その様子に堪えかねた陶晴賢は、吉見正頼に逆心ありとして、
 石見津和野(=島根県津和野町)の三本松城への進軍を決行した。

 九州方面では筑前宗像(=福岡県宗像市)の宗像氏一族を、
 奉行人筆頭の弘中隆包が間もなく取りまとめ終えるという報が入った今、
 大内義長に反逆する最後の大きな残党は、吉見正頼ただ一人。

 大内家を盤石にするために起こしたこの革命の総仕上げが、
 残る逆臣、吉見正頼の征伐なのである。

 陶晴賢は大内義長を奉じて、約一万五千の大内本隊を引き連れ、
 津和野三本松城へと向かった。

 天文二十三年(1554)三月一日のことであった。



 その頃、安芸国吉田の毛利元就は、
 三人の息子を吉田郡山城に呼び集めていた。

 毛利隆元、吉川元春、小早川隆景。
 それぞれが各家の当主として立派に国と家を治めている。
 この三人が一堂に会するのは、
 毛利宗家の危急存亡に関わる事態の時の他にない。

 今がまさに、その時なのである。


 毛利元就と三子の前には、二通の書状が置かれている。

 毛利家は今、この二通の書状に運命を握られていた。


 一通は、周防山口の陶晴賢からの書状。
 津和野三本松城の吉見正頼討伐に合流せよと書かれてある。

 もう一通は、石見津和野の吉見正頼からの書状。
 陶晴賢からの防戦に加勢してほしいと書かれてある。


 陶晴賢に加勢して、このまま大内の新体制に組するか。
 それとも陶晴賢に反旗を翻し、新大内からの独立を果たすか。

 誤ることができない、重要な決断に迫られていた。



 毛利元就が心配した毛利家の将来について、
 最大の悩みの種は、嫡男毛利隆元のおとなしさであった。


 毛利家存続のために奔走してきた名将・毛利元就も、
 いまや五十九歳という高齢を迎えている。

 そのため、八年前に毛利家の家督を長男隆元に譲った。
 だがその隆元は、
 かつて貴族趣味の大内義隆の傍での人質生活で育ったためか、

 「私など、家中の統率力においては父上には遠く及びません。
  武勇や武術においては、元春には遠く及びません。
  知略や智謀においては、隆景には遠く及びません。
  私はただ陰となり、父上や弟たちを支えてまいります」

 と言って、なかなか勇ましい様子を見せない。

 そのため元就もなかなか隆元に全てを委ねることができず、
 自分自身がつい全ての決断を下してしまう。
 そして隆元は一家臣としてその決断に従う。

 自分がこの世から去ってしまったら、
 自分に従ってきただけの隆元は
 当主として毛利家を存続させていくことができるのか。

 元就は、老い先の短さを感じるにつれそのことが心配だった。


 そして今、毛利元就は人生最大の決断を迫られている。

 陶晴賢からの書状と、吉見正頼からの書状。
 決断を誤れば、これまで生き続けてきた毛利家は瞬時に破滅する。

 三人の息子たちの知恵を拝借せねばならないほど、
 毛利元就は決断の重さに追い込まれていたのである。



 「隆元よ」

 「はい」

 元就は、正面に座している長男の隆元の目を見た。
 隆元の左には次男の吉川元春、右には三男の小早川隆景が、
 緊張した面持ちで父元就を凝視する。


 「おまえは毛利家の当主である。わしは本来、引退した身。
  毛利家が今後生き残るためには、どうすればよいか聞きたい」

 「父上の判断に従います。父上が決めるべきです」

 「なぜか」

 「私は、父上の統率力には遠く及びませんし、
  武勇においては弟の元春には…」

 「それはもう聞き飽きた。そうではない」


 元就は、隆元のいつもの言上を途中で遮って言った。


 「わしは、これまで毛利家のために慎重に決断を重ねてきた。
  そしてこの度、これまでに勝る緊要な決断に迫られている。
  しかし…、しかしわしは決められぬ。五十九年に及ぶ
  長き人生の経験をもってしても、決まらぬのだ…。
  隆元よ。わしはおぬしの力量を試しているわけではない。
  このわしの苦しい決断を、助けてほしいのだ…」 


 これまで大きな軸となって毛利家という車輪を動かし続けてきた
 毛利元就が今、その車輪をどちらに回すべきかを迷っている。
 それを苦渋の表情で三兄弟に告白したのは、初めてのことである。

 心強い柱石として父のために働いてきた元春と隆景も、
 初めて見せる父元就の苦しみを見て、不安を噛みしめた。


 ところが、父や弟たちが重々しい表情を見せている中、
 隆元は全く表情を変えず、一つの書状を指差した。


 「ならば、こちらです」


 その指の先に置かれた書状は、吉見正頼からの救援依頼であった。

 これまで自分の意見をはっきりと表すことがなかった隆元が
 即断で毛利の取るべき方向を指し示したのである。
 元就も、そして元春や隆景も呆気にとられた。


 「陶を裏切って、吉見につけと…」

 意表を突かれた元就は、何とか声を絞り出す。


 「勝算あってのことか」

 「勝算も何も、陶に加担することは義に反するからでございます。
  毛利家は大内家に御懇情を頂いて安芸に身を置いております。
  陶晴賢は主君大内を攻め滅ぼし権勢を振るっておるのです。
  かのような忘恩の賊に組することは、毛利家の名が廃れます」

 「しかし兄上、我らの背後には尼子という強大な勢力もある。
  陶殿に敵対するということは、二大勢力に挟まれるのですぞ。
  義を重んじて我らが滅んだらどうなります」


 焦って横から口を出してきたのは、二男の吉川元春だった。
 ところが隆元は、動じず淡々と考えの理由を話す。


 「義を重んじて滅ぶのは、義を軽んじて滅ぶよりましであろう」

 「……」

 「郡山の小族だった我らが今や安芸一帯に勢力を広げられたのは
  何ゆえか。それは安芸国守護代の弘中隆包殿の導きがあったからで、
  義を重んじる守護代殿の政策に、我らも同意して働いたからだ。
  義あるところには必ず発展あることを、我らは知っている」

 「しかし……」

 「さらには、備後旗返城を攻め落としたのは我らの功績であるのに
  そこへ江良房栄を城番として置くから返せという陶の言い分は、
  義を通しておらぬ上、我ら毛利に猜疑心があるということ。
  吉見殿が滅ぼされたら、次は毛利を滅ぼすに決まっている」



 ここまで明確に持論を主張する隆元の姿を初めて見た元就は、
 まさに虎児が猛虎へと変貌した瞬間を見せられた心地だった。
 隆元の主張には、一点の曇りもない。

 そこに、あらゆる情報を分析してきた末弟の隆景が兄に問う。


 「確かに弘中殿は我らに義を重んじる大切さを教えてこられた。
  しかし、その弘中殿は今や陶政権の中で要職におられる。
  義を大切にする弘中殿とも相対することになりますが」

 「それは、弘中殿が弘中殿自身の義を通された末の運命だ。
  毛利の義とはなんだ。我らは大内義隆様に多大な恩情を賜り、
  当主の私は義隆様の養女を妻として迎えているではないか。
  その義隆様を死に追いやった陶に同調して、何が義と言えよう」

 「……」


 揺るぎない兄の言い分に、智に長けた隆景も二の句が告げない。
 毛利家の危急存亡のこの事態に、
 隆元だけが確固たる信念を持っていた。
 

 毛利家当主・毛利隆元。

 元就はついに、その本当の姿を隆元に見出した。
 そして最後の質問を、隆元にぶつける。


 「相手は、剛毅の陶晴賢殿、そして智勇の弘中隆包殿だぞ。
  我ら毛利が、勝てるか」


 旧知の晴賢や隆包の名が敵として出ても、隆元の表情は揺るがない。


 「一本の矢は、簡単に折れます。
  しかし、三本の矢がまとまれば容易くは折れなくなる。
  父上は我ら三兄弟に、昔からそう話されているではありませんか」

 「……」

 「元春は武勇に優れ、隆景は智謀に秀でております。
  この二つの太い矢に、私も一本の矢として加わりましょう。
  統率力に抜け出る父上は、弓手となって我ら三矢を引き、
  陶という強大な壁を射抜けばよいのです。
  我らの矢先はその大きな壁を突き抜け、道を切り拓きましょう」


 隆元の言葉に、左右の元春と隆景も力強くうなづき、
 父元就の顔を見つめて裁断を仰いだ。


 強張っていた毛利元就の両肩から、ふっと力が抜けた。
 そして元就は、明るい表情を見せた。


 「隆元」

 「はっ」

 「おまえはいつも、自分がわしや弟たちに劣ると言っておる」

 「はい」

 「だが、おまえは一点、我々よりも頴脱しておったわ」

 「……?」


 隆元はその意味が分からず首を傾げる。
 元就は言葉を進めた。


 「決断力よ。これまでおまえは、わしの判断に従っておった。
  しかしおまえは、焦点を簡素に考え、真実を鋭く見出し、
  揺るぎない決断を即座に下せる力に抜きん出ておったのだ。
  決断の遅れという最低の結末から、隆元はわしを救ったわ」


 元就は、腹の底から笑った。
 その晴れやかな表情に、三兄弟にもふっと笑みが戻る。

 隆元は、毛利を支える君主に足る人物に育っていた。
 父にとって、これほど嬉しいことはない。


 毛利元就は、吉見正頼からの書状を手にして立った。


 「我ら毛利家は、大内とお手切れ致す」


 その言葉に、隆元、元春、隆景の三子も立ち上がってうなずく。

 元就は、頼もしい三人の息子たちを見つめた。


 「これからの毛利は、おまえたちが導いていく時代よ。
  わしは、人として十分に生きた。
  この元就、今日からはおまえたちを支える鬼となろう―――――」

   
 我が子たちを見る元就の優しい表情の中には、
 突き刺さるような鋭い眼光が漏れていた。



 これまで、大内家と尼子家という二大勢力に翻弄され続け、
 安芸の小勢力に過ぎなかった毛利家が、
 ついにこの時、飛躍のための独立の第一歩を踏み出した。


 鬼となろう―――――。

 そう三矢の子たちに誓った毛利元就は、
 この時より中国地方を揺るがす鬼謀を
 大きく振るっていくことになる―――――。


  
 (つづく)



 ――――――――――――――――――
  『厳島戦記』武将列伝 [二十四]
 ――――――――――――――――――

 ■益田藤兼 (ますだふじかね)

 石見国益田(=島根県益田市)の国人領主。所領が隣接する津和野
 (=島根県津和野町)の吉見正頼と幾度となく衝突する。遠戚である
 陶晴賢に味方し津和野三本松城を攻める。後年は毛利家の家臣となり、
 月山富田城の尼子氏と激闘を繰り広げることになる。
| 『厳島戦記』 | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) |









http://blog.timestage.net/trackback/1431663