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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(二十三) 山田事件の巻


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 厳島戦記(二十三) 山田事件の巻
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                       第五部「防芸謀略戦」





 筑前国田島(=福岡県宗像市)に所在する
 宗像大社(むなかたたいしゃ)は、
 全国の宗像神社の総本社である。

 玄界灘に浮かぶ沖ノ島にある沖津宮には田心姫神、
 大島にある中津宮には湍津姫神、
 そして九州本土にある辺津宮には市杵島姫神が祀られていて、
 その三宮を総称して宗像大社と呼ぶ。


 神話の時代から存在すると言われる長き由緒ある神宮であり、
 宗像家が代々、その大宮司職を継承していた。

 宗像家は筑前に大きな軍事力を持っていたため、
 筑前を支配する周防(=山口県)の大内家の貴重戦力でもあった。

 その名門宗像家では近年、激しい相続争いが起こっていた。



 第七十五代大宮司を務めていた宗像興氏には、二人の息子がいた。
 長男は宗像正氏(むなかたまさうじ)、
 次男は宗像氏続(うじつぐ)という。

 長男の正氏が第七十六代の大宮司職を継いだのだが、
 正氏の軍才を見抜いた大内義隆は、正氏を周防山口に迎え入れた。

 山口の黒川郷を所領に与えられていたため、
 宗像正氏は山口出仕中は「黒川隆尚」と名乗っていた。

 軍人として山口に駐在していた黒川隆尚こと宗像正氏は、
 宗像大社大宮司の職を、弟の氏続に譲ることにした。
 
 ところが、凡庸な氏続には第七十七代大宮司の任は重すぎたようで、
 宗像正氏は再び大宮司職に戻り、第七十八代を名乗った。

 宗像正氏には山田局(やまだのつぼね)と呼ばれる正室がいたが、
 正氏と山田局の間には、菊姫という女児が産まれているものの、
 残念ながら後継者たる男児には恵まれなかった。

 そこで宗像正氏は、
 弟氏続の長男・氏雄(うじお)が成長した後に職を譲るつもりで、
 それまでのつなぎとして大宮司職を続けたのである。

 甥の氏雄がついに元服を果たした時、
 正氏と山田局は一人娘の菊姫を氏雄に嫁がせることにより、
 宗像氏雄が第七十九代の大宮司の職を継いだ。



 ところが、安泰かと思われた宗像氏にとって大事件が起こる。


 無事に相続が終わり安心したのか、宗像正氏は山口で亡くなった。

 そのため宗像大社の大宮司職に就いたばかりの宗像氏雄は、
 伯父の正氏の後任として、山口に出仕して黒川郷の地を受け継ぎ、
 「黒川隆像」と名乗って大内義隆に仕えた。

 氏雄がちょうど周防山口に滞在していた天文二十年(1551)九月、 
 大内家家老の陶晴賢が山口に攻め込んで政変を起こした。
 いわゆる「大寧寺の変」である。

 黒川隆像こと宗像氏雄は、主君の大内義隆に最後まで付き従い、
 義隆を守りながら、長門の大寧寺で戦死した。

 政変で若き当主を失った宗像氏に突然、
 後継者問題が浮上したのであった。



 宗像氏雄には、千代松丸(ちよまつまる)という弟がいた。

 まだ存命の父である宗像氏続をはじめとして、
 先主の正室山田局や氏雄の正室菊姫らも、
 当然のごとくこの千代松丸に家督を譲る準備を進めていた。

 ところが、先主の宗像正氏は、
 周防山口に赴任している時に、照葉の方という側室を迎えており、
 鍋寿丸(なべじゅまる)という男児を儲けていた。

 この照葉の方が陶晴賢の姪という関係もあり、
 大内家筆頭家老の陶晴賢は
 この鍋寿丸を宗像家の新当主にと推し進めてきたのである。

 筑前の宗像家中からすれば、確かに先代の子とはいっても、
 側室が産んだ庶子であり、しかも山口生まれ山口育ちで
 一度も宗像の地を踏んだことがないような余所者が
 当主になるなど、到底受け入れられない。
 

 陶晴賢に同調する家臣たちは、
 山口からのお達しのとおりに鍋寿丸を主と仰ぎ、
 白山にある宗像氏の本城・白山城に鍋寿丸を迎え入れた。

 しかし反対派の古参の家臣たちは、千代松丸を主として、
 城山にある支城・蔦ヶ嶽城に立て籠もって対抗する。

 宗像の地で、白山城の鍋寿丸派と城山蔦ヶ嶽城の千代松丸派が
 宗像大社大宮司職の相続をめぐって激しく衝突を始めた。


 この事態の収拾のため、周防の大内義長は陶晴賢の推薦を受け、
 白崎八幡宮の大宮司職でもある部将・弘中三河守隆包を
 宗像へと送り込んだのであった。



 弘中隆包が関門海峡を渡って白山城へと入った時には、
 勝敗はほぼ決していた。

 蔦ヶ嶽城の一派に推された千代松丸と、その父である宗像氏続は、
 宗像領内における鍋寿丸派との激戦で命を失っていたのである。

 蔦ヶ嶽城内の連中は当主候補とその後見人を失ったものの、
 まだ山田局と菊姫が存命であるからと、
 彼女らを主と見立て、頑として立て籠もり抵抗を続けていた。

 このまま紛争が泥沼化しても、国力が衰えるばかりである。

 弘中隆包はこの争いの仲裁に入り、停戦を説得するべく、
 蔦ヶ嶽城から山田局と菊姫を白山城へ呼び寄せた。

 先主の宗像正氏は周防山口で弘中隆包と親交が篤かったので、
 山田局と菊姫は「弘中隆包の手引きならば」と、白山城へ参上した。


 弘中隆包が二人を迎え入れた応接の間には、
 白山城一派が推す宗像鍋寿丸と、その妹の色姫が同席していた。

 宗像正氏の正室であった山田局は、その自尊心から、
 山口から湧いて出た二人の庶子を見て苦々しく思っていた。

 弘中隆包は、切歯扼腕する山田局に懇々と停戦の利を説いた。


 「氏続殿も千代松殿も戦死された今、もはや勝負はついている。
  このまま宗像一族同士で斬り合っても、何の利もない。
  庶子を当主とするのは、山田の奥方には悔しい想いもあろうが、
  鍋寿丸殿には何の罪もない。分かってもらえないか」

 「しかし弘中様、この菊姫があまりに不憫ではありませんか…。
  菊姫はまだ齢十八なのに、未亡人になってしまって……」


 山田局はおいおいと涙を流し、言葉を詰まらせる。

 恐らく山田局は、娘がせっかく当主の妻となったのだから、
 宗像氏雄の弟である千代松丸を当主に据えて、
 千代松丸と再婚させてその地位を保つつもりだったのだろう。
 菊姫にとっては異母弟にあたる鍋寿丸には、その可能性はない。

 当の菊姫は、それほど気にはかけていなかった。
 一人で号泣する山田局をいたわって背中をさすったりしている。

 弘中隆包は優しく声をかける。


 「それが武家の世の習いなのだ、山田の御方殿。
  武家は常に死と隣り合わせにある」

 「……」

 「私も、先主大内義隆公が亡くなられた時、悲しみに暮れた。
  しかし、死を嘆いているだけでは何も前に進まない。
  大内家は、豊後大友家から義長様を新しい当主として迎えた。
  大内家の将来のために、新しき当主の下で働いている」

 「……」

 「永き家名を想えば、一人一代の想いなど儚いものです。
  正氏殿や氏雄殿らの意志を継げるのは、今や鍋寿丸殿しかいない。
  宗像家の将来を思うならば、ここは家のために身を退くべきだ」

 「……」


 「私は、弘中様に従いとうございます。
  鍋寿丸様は、私にとっても大切な弟。継承に依存はありません」


 進み出たのは、菊姫だった。

 「何を言うの、お菊!」と泣き叫ぶ山田局の横で、
 菊姫は両手をついて、穏やかな表情で弘中隆包に言った。


 「これからは、亡き夫の霊を弔いながら、
  宗像家の行く末を祈願して生きてまいりまする」

 「お菊殿…」


 菊姫は深く頭を下げた。
 若くして未亡人となった美しき姫君は、自らの運命を受け入れた。

 弘中隆包の言葉を聞いて、自分にできることは何かと考えた時、
 家中が収まるには自分が潔く退くのが最善であると解ったのである。

 菊姫は、母の山田局の故郷である、
 白山城の麓にある山田荘にて余生を送ることを決めた。

 家名を想う若き菊姫の聡明な判断に、弘中隆包は大きく感謝した。



 弘中隆包は弟の弘中河内守方明に命じて、
 菊姫と山田局とその侍女たちを山田荘まで送らせた。

 鍋寿丸の側近である重臣・石松但馬守が
 「まだ領内は不穏で何が起こるか分からないから」と言って、
 野中勘解由、嶺玄蕃ら家臣を数名、弘中方明の護衛につけた。

 菊姫と山田局は、弘中方明や宗像家家臣たちに守られながら、
 数台の荷車を従えて白山城を後にした。


 山田荘は、寂しげな山里であった。

 生家に到着した山田局は、部屋に籠もってすぐに泣き崩れる。

 それに対して、菊姫は凛然とした態度で侍女たちを取り仕切り、
 邸宅の中に荷物を運び入れるのを指揮した。
 方明や供の者たちも手を貸す。
 
 一通り落ち着くと、菊姫は応接の間に弘中方明らを招き入れた。


 「河内守様。何から何まで、ありがとうございます」

 「いや、礼には及びません」

 「今宵は、月がきれいですね」


 菊姫は、縁側から見える空に浮かぶ月に目をやった。

 白山城から気丈に振る舞っていた菊姫が、
 月を見るなり肩の力を落とし、寂しげな目になるのを、
 方明は見逃さなかった。

 力のない声が、菊姫から漏れる。


 「夫は、立派に武名を残せたのでしょうか……」


 手の届かぬ場所へ行ってしまった夫・宗像氏雄の姿が、
 遠くに輝く月に重なったのかもしれない。


 寂しげな菊姫を見て、弘中方明は一冊の古い経典を取り出した。
 その表紙には、血で一句がつづられている。


 「これは……?」

 「私の師でもある、大内水軍の冷泉隆豊殿が書き残したものです。
  冷泉殿は主君大内義隆公に忠義を尽くして最後までつき従い、
  この血の句を残して、大寧寺にて戦死しました」

 「まあ……」

 「宗像氏雄殿も最後まで義隆公を見捨てず、冷泉隆豊殿と共に
  大寧寺で反乱軍を相手に壮絶な立ち回りを演じたそうです。
  次々と主君を捨てる家臣が多かった中、
  氏雄殿は武士として立派な最期を遂げられたのです」

 「……」


 菊姫の美しい瞳から、涙がこぼれ落ちた。


 家中の者は、大宮司職の相続問題にばかり気を取られて、
 周防山口で死した当主の死に様など気にもかけてくれなかった。

 だがこうして、夫の最期を初めて詳しく伝え聞くことができ、
 夫が勇ましく生きた証を見つけることができた。

 冷泉隆豊の血塗られた辞世の句を見れば、
 宗像氏雄の戦死がいかに凄絶であったかは容易に想像がつく。

 母が横で悲しみに暮れようとも全く涙一つ見せなかった菊姫が、
 夫の死を改めて振り返り、はらはらと涙を流している。


 つらいのは、これからかもしれない。
 まだ若い姫君には、これからも強く生きて欲しい。

 そう思った弘中方明が、
 涙で頬を濡らす菊姫に声をかけようとした、
 その時―――――。



 弘中方明は鋭い殺気を感じて、
 腰の帯刀に手を伸ばしながら、素早く振り向いた。

 しかし、その殺気は弘中方明の横を素通りする。

 「……!」
 方明は不測の事態に、目を見開いた。

 護衛として控えていた宗像家家臣、野中勘解由が、
 太刀を振り上げて菊姫に斬りかかったのである。

 野中勘解由の凶刃が、菊姫の左肩から右脇を一直線に斬りつける。
 菊姫は涙と共に血飛沫を上げながら、床に倒れた。

 野中はさらに力を込めて、その菊姫の身体に太刀を突き下ろす。
 ザクリという鈍い音が刃先から漏れる。


 「野中っ―――――!」

 弘中方明は、刃先を引き抜いてさらに一撃を加えようとする
 野中勘解由の腕を掴み取ったが、
 無常にもその刀は菊姫の身体を貫通した。

 弘中方明が強引に胸ぐらをつかむと、
 ようやく野中勘解由はその動きを止めた。

 しかし、凶刃を浴びた菊姫はそのまま動かなくなった。


 「野中…! 何ということを―――――!」

 「この女、河内守殿に懐剣で斬りかかる素振りを見せたゆえ、
  その前に河内守殿をお守りしたのでござる」

 「どこにそんな素振りがあった!」


 弘中方明は野中勘解由の襟ををつかみ上げて怒鳴ったが、
 「あっ」と何かに気がついたような声を上げると、
 野中勘解由を床に投げ飛ばして、奥の部屋へと駆けた。


 時は既に遅かった。

 そこには、血を刀から滴らせて立っている嶺玄蕃の姿があった。

 そしてその足下の血だまりの中には、
 山田局と四人の侍女の無惨な屍体が転がっていた。


 血の臭いに満ちた異様な光景に、弘中方明は息を飲む。

 「謀叛の気配があったゆえ、成敗致しました」と、
 悪気もなく言いながら刀を仕舞う嶺玄蕃。

 怒りが止めどなく湧き上がってきた弘中方明は、
 走りこんで嶺玄蕃の横っ面を拳で殴りつけた。

 その勢いで嶺玄蕃は吹っ飛んで、音を立てて血の池の中に倒れた。


 「おまえら……。誰の指図だ。誰の差し金でこんなことを」


 弘中方明は拳を握り締めた。
 怒りに震えが止まらない。

 だが、野中勘解由も嶺玄蕃も、
 「反抗の意志が見えたゆえ」
 「斬らねば、弘中河内守殿が斬られていたゆえ」
 と繰り返すばかりである。

 どちらも宗像家の家臣であり、弘中方明に制裁の権限はない。

 菊姫や山田局が弘中方明らを殺そうと企てた証拠はないが、
 かといって殺そうという意志がなかったという証拠もない。

 やり場のない怒りに、弘中方明は大きく吼えた。

 その響きを受けてか、
 月の光を映して光る侍女たちの血の海が、虚しく揺れた。



 歴史ある宗像大社大宮司の相続問題を背景に、
 無抵抗の女性六名が虐殺されたこの騒動は、
 血塗られた戦国の歴史の中でも指折りの惨劇と言われ、
 舞台となった山田の里の名を取って「山田事件」と呼ばれる。

 天文二十一年(1552)三月二十三日のことであった。


 この事件の後、菊姫たち六女を祀った山田地蔵尊増福寺周辺では
 怨霊騒ぎが度重なり、宗像家中を脅かしていく。

 この話は「菊姫伝説」として、後の世まで永く伝わることになる。



 この山田事件の真の黒幕は、誰か――――。


 血潮に染まる惨劇を目の当たりにした弘中河内守方明は、
 しばらくはその惨事を止められなかった自分を責めていたが、
 やがてその黒幕の名を知る。

 そして、気難しい部将の揃う大内家中において
 明朗快活な性格が知られていた弘中方明は、
 その時からまるで別人のように豹変していくのであった――――。
 


 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [二十三]
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 ■宗像氏貞 (むなかたうじさだ)

 筑前宗像(=福岡県宗像市)の宗像大社の第八十代大宮司職。
 周防大内氏の傘下にあった第七十七代宗像正氏の庶子であるが、
 鍋寿丸の名であった七歳の時、家督継承を巡る「山田事件」を経て
 大宮司職と宗像家当主を継ぐ。後に立花家と激闘を繰り広げる。


 ▽『厳島戦記』のご意見やご感想などは
  筆者までお送り下さいませ。→ hironaka@m-c-ken.net

| 『厳島戦記』 | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |









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