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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(二十) 大内大揺の巻


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 厳島戦記(二十) 大内大揺の巻
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                       第五部「防芸謀略戦」




 「尼子からの脅威が容易ならぬ時の策を、書き記してござる」

 「弘中殿…」


 秋風の吹き抜ける吉田郡山城(=広島県安芸高田市)にて、
 弘中隆包は毛利元就に、一巻の書状を手渡した。

 書状を受け取った毛利元就は、
 隆包の瞳の奥から、只ならぬ眼光を感じていた。


 「陶殿と斬り合うおつもりではないでしょうな」


 毛利元就は、吉田郡山城を出る弘中隆包を見送りながら問う。

 元就の嫡子であり、現在は当主である毛利隆元も、
 父の横で心配そうに弘中隆包の表情を見た。

 弘中隆包は、元就の問いに小さく首を振って、
 「元就殿、隆元殿。安芸を頼みますぞ」とだけ答えた。

 そして、吉田郡山城から山口への道を駆けていく。


 毛利元就と隆元は、何度もこうして吉田郡山城を発つ
 弘中三河守隆包を見送ったことがある。

 今日もまた弘中隆包の一隊を最後まで見届けていたが、
 毛利元就は十年前のことを思い出していた。


 尼子軍が吉田郡山城を包囲し、毛利勢が危機に陥った時、
 周防山口から陶隆房と弘中隆包が援軍を率い、
 共に力を合わせて勝利した。

 毛利元就は弘中隆包と「百万一心」の言葉を誓った。
 それが初めて、ここで弘中隆包を見送った時であった。

 そして出雲遠征の大敗の際には
 共に殿軍を務めて生死を分かち合った。

 その後、弘中隆包は安芸国の守護代となり、
 毛利元就はその隆包から安芸国人領主たちの盟主に認められ、
 二人は共に、芸備の安泰と発展のために手を取り合ってきた。

 この十年は、二人の盟友にとって激動の期間であった。


 十年前のことを思い出しながら、毛利元就は半ば確信していた。

 十年を共に生きてきた弘中隆包と言葉を交わすのは、
 今日が最後なのだということを―――――。



 天文二十年(1551)九月一日、
 大内義隆、長門大寧寺にて自刃。


 その報は、安芸の弘中隆包や毛利元就にも瞬く間に伝わった。

 守護大名・大内義隆と、その家臣団の筆頭である
 周防国(=山口県東部)守護代・陶隆房との確執は、
 以前から誰もが知り及ぶところであった。

 その衝突の日はいつになるかと懸念されていたが、
 いわゆる「大寧寺の変」が起こったその時、
 安芸国守護代の弘中隆包は、出雲国(=島根県東部)の尼子勢が
 安芸を脅かしているとの報を受けて、その侵攻に備えて前線にいた。

 豊前国(=大分県北部)守護代の杉重矩、
 石見国(=島根県西部)守護代の問田隆盛など
 大内家の評定衆に名を連ねる守護代たちがこの事変に加わったが、
 同じ守護代の職にある弘中隆包は、完全に蚊帳の外であった。

 しかも、侵攻をちらつかせていた尼子勢も一向に攻めてこない。

 尼子を待ち受ける中で主君の凶報を聞かされた弘中隆包は、
 ついにこの前線を離れて周防山口へと戻ることを決意し、
 有事に備えてその対応策を戦友の毛利元就に託したのである。



 主君・大内義隆を自害に追い込んだ後の陶隆房の行動は、
 矢のごとく速かった。

 もともと陶隆房が抱いていた大内義隆の政治への不満は、
 隆房ら武断派を退けるように讒言を繰り返していたという
 右筆の相良武任を重用していたことに対してある。

 隆房らが兵を挙げて山口の街へ突入した時、
 その不和の原因である張本人・相良武任は、
 石見国(=島根県西部)へ出張していて留守だった。

 隆房の挙兵を知った相良武任は、その害が自らに及ぶのを恐れて、
 以前に世話になった筑前国(=福岡県北部)守護代の
 杉興運を頼って、船を使って北九州へと逃亡した。

 そして花尾山(=福岡県北九州市八幡東区)にある
 花尾城に籠もっていたのだが、陶隆房に味方する軍勢が押し寄せ、
 あっという間に討たれて、その首級は山口へと送られた。

 さらに、相良武任を匿った筑前守護代・杉興運も、
 義隆・武任の一味と見なされて陶隆房側の軍勢に追い詰められ、
 杉興運は主君・義隆に殉じて腹を切り、その生涯を閉じた。


 陶隆房らの対抗勢力として名の挙がっていた相良武任、
 そして杉興運の死で、「大寧寺の変」における混乱は
 一時の収束を迎えた。


 以前から評定衆の杉重矩や問田隆盛らをはじめ
 各地の武人の多くが陶隆房の主張に賛成をしていたから、
 家臣が主君を自害させたという天下の一大事のわりには、
 その混乱は思ったほど大きくはならなかった。

 それだけ国内に義隆政権の改革を求める者が多く、
 陶隆房の蜂起は大勢の家臣に歓迎されていたのである。



 ところが数日経って、冷静になって事変を見つめ始めた頃、
 陶隆房はある問題に直面したことを知り、肝を冷やした。
 大内家を根本から揺るがす大事態である。

 ちょうどそんな時に、安芸国から守護代の弘中三河守隆包が
 山口に到着したという報が知らされた。


 「ついに来たな…」と、隆房は気を引き締める。

 大内義隆の評定衆として政権を支えた六人の守護代のうち、
 豊前国守護代の杉重矩、石見国守護代の問田隆盛と共に、
 周防国守護代である陶隆房は挙兵して周防山口に攻め込んだ。

 長門国(=山口県西部)守護代の内藤興盛は静観の立場を取り、
 筑前国守護代の杉興運は義隆側の人間として追われ自害した。

 残るは、安芸国守護代の弘中隆包である。

 弘中隆包は大内家中でも只ならぬ智勇の持ち主であり、
 陶隆房としては、何としても弘中隆包との衝突は避けたかった。



 陶隆房の反乱で、山口の街は大半が灰燼と化していた。

 大内家が居住空間としていた築山館は全焼しており、
 政務を執る大内御殿も、半分が焼けて無くなっている。

 焼け残った御殿の一角で、陶隆房は政務を取り仕切っていた。


 そこに、荒々しい足音を立てて弘中隆包がやってきた。



 ちょうど江良房栄が陶隆房の命を受けて退室している時、
 弘中隆包が廊下の上をこちらに向かってくるのが見えた。


 「おう、弘中殿。ようやく山口に帰って……」

 「どけ」

 「……!」


 大内家を手中に収めた筆頭家老・陶隆房の部将として
 偉そうに声をかけようとした江良房栄であったが、
 弘中隆包の姿から大きな気魄を感じて、無意識に道を譲った。

 西国では並ぶ者はいないと言われる猛勇の持ち主の江良房栄には
 これまで恐れを抱いた相手など一人もいない。

 ところが、普段は穏和で温柔な性格であるはずの弘中隆包の眼光が、
 その江良房栄に身の危険を感じさせ、つい隆包を避けた。
 房栄自身も、自分の身体の反応に驚いていた。

 江良房栄は息を飲みながら振り返り、
 陶隆房に向かって歩みを進める弘中隆包の姿を見つめた。


 陶隆房は、幼馴染の隆包を笑顔で迎えようと立ち上がったが、
 弘中隆包はそのまま表情を変えることなく進んで、
 隆房の前に立つと睨みつけるようにその目を直視した。


 「大内のためだっ…」


 今にも斬りかかってきそうな隆包の気魄に押されたのか、
 陶隆房の口からとっさに出た言葉は挨拶ではなく、
 この度の挙兵の理由だった。


 「わしは、大内家の将来をより強く盤石にしたいと思っただけだ。
  しかしお屋形様は、奸臣の相良武任などを重用し、
  遊興接待にうつつを抜かしては財政を逼迫させていた。
  だから、家督を譲られるようにお諌めしたのだ」

 「……」

 「お屋形様はご抵抗なされたが、最後には観念なさって、
  武士らしく御腹を召され、我らの声を聞き届けて下さった。
  決してわしは、お屋形様には手を出しておらぬ」


 黙ったまま眼前に立っている弘中隆包に対して、
 陶隆房は視線をそらさずに、その弁明を語り続ける。


 「我らはのう、弘中殿。お屋形様一代の家臣にあらず。
  大内家の末代までを見据えてお仕えしている身であろう。
  お屋形様もそれを組んで立派な最期を遂げられた。
  わしも断腸の想いだが、この現実を受け入れなければならんのだ」

 「陶殿…。して、義尊様はどこに」

 「……!」


 弘中隆包が突然口にした、大内義隆の嫡子・義尊の名を聞いて、
 陶隆房の言葉は止まってしまった。

 直面している問題というのが、まさにそれなのである。


 弘中隆包も、陶隆房が挙兵をした心情は理解できる。

 大内義隆が武断派を軽視して相良武任ばかりを取り立てるのは
 家中の混乱を招くからと、隆包からも再三意見書を送っていた。

 陶隆房は、若い頃から筆頭家老の重責を意識してきた武士であり、
 自分一人の利益だけで動く人間ではない。

 主君を殺して政権を簒奪するという「謀叛」をしたわけではなく、
 強制的に引退させる、いわゆる「主君押し込め」を謀ったに過ぎない。

 主君大内義隆を改心させること、
 そして陶隆房の蜂起を止めることはできず、一代の悲劇は起きたが、
 大内家そのものは、その後も続いていかなければならない。

 そこで必要となるのが、後継者、
 つまり義隆の嫡子である大内義尊の存在である。

 後に立てる後継者があってこそ、主君の押し込めには大義がある。


 だが、陶隆房から語られた義尊の居所は、
 隆包が予想していた答えの中でも最悪の答えであった。



「義尊様は……、お亡くなりになった」

 「……!」


 弘中隆包の表情は、みるみる青ざめていく。

 陶隆房は右手で隆包の肩をつかみ、
 放心をさせないかのように揺すりながら言った。


 「わしではないぞ、弘中殿。決してわしらでは…。
  わしは義隆公にご引退して頂き、
  義尊様に当主の座に就いてもらいたかったのだ。
  しかし…」


 陶隆房の眼から、ひと筋の涙が頬を伝い落ちる。


 「杉重矩だ。重矩の軍勢が、大寧寺から逃げる義尊様を捕らえ、
  我らの命令を待たずに、義尊様を…義尊様の首を討ったのだ。
  ……わしもつい先ほど、そのことを知らされたばかりだ」

 「……」

 「先ほど、相良武任から義隆公に出された申状が見つかってのう。
  それによると、我らに謀叛の疑いがあると義隆公に伝えたのは
  武任ではなく重矩であったという。…ようやく分かったのだ。
  全ての元凶は、我らにすり寄ってきた杉重矩だったとな」



 かつては陶隆房とは犬猿の仲であった豊前守護代・杉重矩は、
 最近になって突然隆房に同調をするようになり、
 隆房と一緒になって蜂起して大内義隆を追い込んだ。

 だが、その杉重矩は単独でその嫡子・大内義尊を追って捕らえ、
 陶隆房の意に反してその首を斬ってしまったのである。

 陶に寄り添いながら、杉重矩は心を同じくしていなかった。

 後から見つかった「相良武任申状」を見てよく考えてみると、
 大内義隆も相良武任も、陶隆房に対して敵意はなかった。

 この混乱の発端は、全て杉重矩にあった――――。


 そのことを知った陶隆房の激昂ぶりは、凄まじかった。

 隆房は腹心の江良房栄や宮川房長らに命じて、
 何食わぬ顔で領国豊前へと帰っていく杉重矩を追討させた。

 弘中隆包が、江良房栄とすれ違ったのは、
 その陶隆房からの命令を受けて退室をしている時だったのだ。


 杉重矩は江良房栄らに追いつかれて交戦したものの、
 やがて大内家中最強の江良軍に打ち破られ、
 長門国の長興寺に追い詰められて、その命を絶った。

 杉重矩の首級はすぐに山口の陶隆房の元に送られ、
 謀叛の教唆扇動、並びに主家殺害の罪で獄門に晒された。



 主君大内義隆の自刃をはじめ、その嫡子・義尊、
 奉行人筆頭の相良武任や筑前国守護代・杉興運、
 水軍の将・冷泉隆豊ら数多くの人間を死に追いやったこの事変は、
 豊前国守護代・杉重矩をも誅伐する事態となった

 さらに、主君義隆から和睦の仲介を依頼されたものの断った宿老、
 長門国守護代・内藤興盛は、自らの責任を重く見て、
 孫の隆世に家督を譲り、隠居した。



 大内家臣団の筆頭家老としての地位にあった陶隆房には、
 ますますその双肩に大内家の今後の重責が圧し掛かる。

 杉重矩の強い教唆によって兵を挙げた自らの行動を顧みて、
 陶隆房は深い後悔の念に心をえぐられていた。

 主君を死に追いやり、そして後継者をも失った今、
 自分の蜂起がいかに軽挙だったかを思い知らされたのである。


 隆房は家臣筆頭として、大内義隆の葬儀を立派に執り行い、
 国内混乱の元凶として杉重矩の首を、義隆の墓前に捧げた。
 
 そして大内の再興を心に誓い、剃髪して、
 全薑(ぜんきょう)という号を名乗った。



 大内の未来のために、いつまでも心折れているわけにはいかない。
 主君不在の大内の今を支えるのは、自分しかいないのだ。

 自分が全てを背負わねばならぬ――――。

 陶隆房は、大内義隆の墓前で長い弔いを終えて目を開けると、
 立ち上がって、再び政治の世界へと歩んでいった。



 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [二十]
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 ■弘中方明 (ひろなかかたあき)

 大内家家臣。安芸国(=広島県西部)守護代に出世した兄の弘中隆包
 に代わり、領国周防岩国(=山口県岩国市)の統治及び水軍の指揮を
 任される。毛利水軍を率いる小早川隆景や赤間関代官となる堀立直正
 などと親交が深く、後に「門司城の戦い」でも大きな活躍を見せる。
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