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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(十八) 西京炎上の巻


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 厳島戦記(十八) 西京炎上の巻
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                       第四部「周防大政変」




 頭上から振り下ろされる、猛将・江良房栄の大太刀。


 黒頭巾の若武者――――弘中方明の姿が、
 江良房栄の視界から一瞬消えた。

 槍でその太刀を受け払いながら、真横に身を転がしていたのである。

 獲物を喰らい損ねた江良房栄の太刀は、
 まるで重い鉄槌で家屋を取り壊すかのように、
 目の前の木壁をメキメキと斬り裂いていった。

 壁に食い込んだ太刀を引き抜くのに生じた一瞬の隙に、
 床に返った黒頭巾の武者は、
 軽やかに立ち上がってすぐに床を踏みしめ、身構えた。


 (海の男か…?)と、江良房栄は横目で追いながら思った。

 身を起こしても体の振れない均衡能力には足腰の強靭さが要る。
 荒海に慣れた船乗りには、その力が備わっている。
 この男の動きには、船乗りのようなその均衡感覚が見て取れた。


 再び江良房栄が太刀を振り上げようとしたその時、
 黒頭巾の武者は、江良房栄から逃げ出して入口へと走り出した。

 「止めろ!」と、江良房栄の指令が随行の部下たちに飛んだが、
 方明の前に立ち塞がろうとした部下の一人は、
 その左肩を方明の槍に突かれて、血飛沫を上げながら倒れ込んだ。

 そこに人壁の突破口を見た方明は、
 迫り来る他の部下共を槍で押しのけながら、外へと飛び出ていく。


 槍を持った怪しい黒頭巾の男を取り逃がしてしまい、
 部下たちは上司である江良房栄の顔色を伺った。

 しかし、江良房栄は一度舌打ちをしただけで、
 すぐに堂内をズカズカと歩き回り始めた。

 山口市中には他の陶軍の諸将たちが走り回っているから
 黒頭巾はいずれ捕まるに違いない、と思ったのであろう。

 房栄はこの寺に誰もいないことを確認すると即座に、
 部下たちに命じて寺の中へ次々と松明を投じさせた。

 その寺は、松明の火を受けて、あっという間に燃え上がった。
 空を焦がすような火炎が、御堂を包み上げていく。



 山口は、京の都を模した都市計画で造られた街であるから、
 街の中に城砦はなく、主君は大内御殿にて政務を執る。

 その大内御殿に併設された築山館に、
 大内義隆とその側近や新鋭部隊は立て籠もっていたが、
 街中に火の手が上がるのが見え、人々の怒号や悲鳴を耳にして、
 もはやここで命の限り防戦するしかない、と覚悟を決めた。

 豊前国(=大分県北部)守護代の杉重矩ばかりか、
 大内家の一族であるはずの石見国(=島根県西部)守護代・
 問田隆盛までも、陶隆房の反乱に加勢しているという。

 大内義隆も、自分に味方する者の少なさをようやく自覚した。


 冷泉隆豊など忠義の部将たちが武器を取って、
 迫り来る陶軍に対して応戦をし始めたのだが、
 義隆の寵愛を受けていた安富源内と清ノ四郎という近習たちが、

 「この築山館は防戦には向きません。取り囲まれたら終わりです。
  それよりも、山を背にした法泉寺にて応戦してはどうでしょう。
  法泉寺で耐え忍んでいる間に、きっと援軍も来るでしょう」

 と、大内義隆に進言を始めた。

 主君の安全よりも、自分たちの命が惜しいだけの進言だったが、
 寵愛する彼らの言に大内義隆はあっさりと納得し、
 京から訪問してきた公家たち客人を連れて、北の門から脱出した。

 冷泉隆豊たち側近の部将たちは、そのことを知らされておらず、
 主君が北の門から落ち延びていったという報を伝え聞いて、
 慌てて、守っていた築山殿を放棄して、義隆の馬を追う。

 あまりの混乱ぶりに、ますます義隆の護衛部隊は脱落していった。



 「山口が…、燃えている」

 大内義隆は、逃げ込んだ法泉寺の山門から、
 赤く炎に燃え盛る山口の街を眺めた。

 見慣れた街の、見慣れない様子。

 当時国内最大の栄華を誇っていた山口の壮麗で絢爛たる街が、
 一夜にして火の海と化している。
 義隆はまだ信じられない心地であり、頭が錯乱していた。



 築山殿から落ち延びた大内義隆が山口を逃れて
 安芸国(=広島県)や筑前国(=福岡県)などに逃げ出すと、
 また土豪たちを集めて勢力を回復し、ややこしいことになる。

 その前に大内義隆を成敗しなければならないと焦る陶隆房は、
 すぐに義隆の籠もる法泉寺へと軍勢を進めた。



 法泉寺には、敗北の空気が漂っていた。

 大内義隆を追って親衛部隊が法泉寺に辿り着いた時には
 六千人はいたはずの守備兵が、今や三千騎に激減している。

 これが、六国にわたり覇を唱えた守護大名の権威なのか。
 側近たちは胸を痛める。


 そんな中、法泉寺の御堂の奥で震える大内義隆を救おうと、
 名乗りを挙げた客人がいた。

 前の関白、二条尹房(にじょうただふさ)である。

 公家第一の位でもある関白まで上り詰めた公家・二条尹房公は、
 応仁の乱により失脚して京の都を追われたが、
 大内義隆を頼って周防山口まで下向してその世話になっていた。

 荒れた京の都に代わって公家社会を尊重する街となった山口で、
 前の関白という自分の経歴には、まだ大きな価値がある。

 その自分の価値が、この絶体絶命の危機を救うのならば、
 それを最大限に利用するべきであろうと考えたのである。

 思わぬ戦乱に客人たちを巻き込んで鎮痛していた大内義隆は、
 二条尹房公の申し出に、涙を流さんばかりに喜んだ。



 「興盛様、興盛様―――!」

 弘中河内守方明が、江良房栄など陶軍の猛追から逃れて
 辿り着いたのは、長門国守護代の内藤興盛の邸宅だった。

 大内義隆の重鎮・内藤興盛の安否が心配で駆けつけてみたが、
 内藤興盛は混乱する様子もなく応接の間に平然と座っていた。


 そしてそこには、方明が見知った人物もいた。


 「ザビエル殿ではないか…」

 方明は思わず声をかけた。
 昨年、方明が岩国まで送ったフランシスコ・ザビエルの一行だった。
 
 
 ザビエルは昨年、大内義隆に拝謁してその逆鱗に触れた後、
 弘中方明が岳父・堀立直正を通して堺の富豪を紹介したことから、
 その伝手を頼って堺、そして京の都へと上洛した。

 しかし、天皇の御所も足利幕府も
 応仁の大乱によって既にその権威を失っていたため、
 ザビエルは失望して、数日のうちに京の都を去っていた。

 そして、これからは周防山口が都に代わる大都市になる、
 と考えたザビエルは、再び大内義隆に拝謁しようと、
 平戸(=長崎県平戸市)の港で舶来品をかき集め、
 再び大内義隆に謁見することにした。

 珍しい舶来の品々を贈られて気を良くした大内義隆は、
 あっさりと山口でのザビエルの布教活動を許可し、
 街中に教会を建てる資金も援助したのである。

 そこで、ザビエル一行は仮の教会を建て活動拠点としたが、
 富田若山城で蜂起した陶隆房の軍勢が山口に乱入して、
 大内義隆の援助を受けたその教会を破壊したので、
 ザビエルたちは内藤興盛を頼ってここに逃げてきたのであった。


 内藤興盛は、ちょうどやって来た弘中方明に相談した。


 「ザビエル殿は異邦からの客人だ。大内家中の戦乱のせいで
  命を落とすようなことがあっては、どんな大問題になるか分からぬ。
  方明、何とか彼らを逃がす手立てはないだろうか」

 「はあ…。では、豊後国(=大分県南部)へ行かれてはどうでしょう。
  ちょうど今、ポルトガルからの交易船が豊後に着岸している、
  という噂を聞いております」

 「それはまことか」

 「はい。昨年に当主になられた大友義鎮(おおともよししげ)殿は
  異文化に明るく、本格的に南蛮貿易に着手される様子。
  ザビエル殿らを温かく迎えてくれましょう」


 方明の提案を通訳から伝え聞いたフランシスコ・ザビエルは、
 ポルトガル船のことを知って、大いに喜んでうなずいた。

 そして是非とも豊後に渡りたいと願い出た。


 「豊前(=大分県北部)からの陸路よりも、海路がいいでしょう。
  私はこれから岩国へ戻りますから、
  また船着場までザビエル殿を導いて護衛し、船で送り出します。
  興盛様、大友義鎮殿への紹介状を書いて頂けませんか」


 弘中方明の進言を内藤興盛が了解して筆を用意しようとしたその時、
 その内藤邸に一人の使者が駆け込んできた。

 京からの客人、前関白・二条尹房公からの使者であった。

 前関白の遣いとあっては、会わないわけにはいかない。
 内藤興盛は下座へと移り、弘中方明もその後ろに控える。
 言葉の分からないザビエルは、その横でキョロキョロしている。


 上座に座した尹房公の使者は、書状を出して口を開く。

 「ただ今、二条尹房様をお連れのご主君・大内義隆公は、
  奸臣・陶隆房、杉重矩らの軍勢に取り囲まれ、
  法泉寺にて立て籠もっておられ、危機的な状況にあられる。
  大内義隆公は、実子の義尊殿に家督を譲られる決意をなされた。
  内藤興盛殿にはその国政を今後も任せるとのことゆえ、
  義隆公と陶隆房の和睦の儀を、今すぐ調えて頂きたい」


 三家老の陶氏、杉氏に追い詰められている大内義隆は、
 二条尹房公を通して、残る三家老の一人、内藤興盛に
 仲裁してほしいと泣きついてきたわけである。

 弘中方明は平伏したまま、内藤興盛の対応を観察していたが、
 興盛の口から出た使者への返答は、
 方明の予想の中には全くない答えだった。


 「私は以前から、それが最前の方法だと何度も進言してきましたが、
  お屋形様は一向に聞く耳を持って下さらなかった。
  三日前ぐらいならば、私の力で何とかなったでしょうが、
  ここまで事態が悪化しては、私とて陶殿を止められぬ。
  こうなった以上、お屋形様はご自害あるべし」


 方明と同じく、使者もその返答は予想もしていなかった。

 忠臣の名高い内藤興盛の、迷いのない返答ぶりに、
 尹房公の使者は恐れから唇を震わせて、声を絞り出す。


 「な…内藤殿。ご主君を…ご主君を見殺しになさる気か!」


 「見殺さぬよう、ずっとお屋形様には進言してまいったのです。
  今日この事態を招いたのは、お屋形様が選んだ道にござる。
  このような事態の中にあっては、大内の家を守るために、
  大内家当主として取る道は、御腹を召される他あるまい」


 使者は腰を抜かして立てないほど、その返答に驚いている。

 もはや、家中随一の忠臣として国内外にその名の知られた宿老、
 内藤興盛でさえ、大内義隆を救えない事態になっている。


 弘中方明は、その事態の深刻さを心に深く感じた。

 この大事変の中、内藤興盛の邸宅を陶軍が襲わないのも、
 恐らく陶隆房と内藤興盛との間で話がついているからに違いない。

 方明は、二条尹房公の使者と内藤興盛が対面するその後ろで、
 中座してザビエル一行を連れ出し、邸宅を発った。

 キリスト教は、自ら命を絶つことを大罪とすると聞いた。
 内藤興盛は主君に対して自刃を要請しているわけだから、
 ザビエルにその内容を聞かせるべきではない、
 と方明は思ったのである。


 ザビエルは、弘中方明に守られながら山口を出て、
 そして、岩国から大友義鎮の治める九州豊後へと旅立っていった。

 それが、フランシスコ・ザビエルと弘中河内守方明の
 最後の別れとなった。
 
 豊後国へ渡ったフランシスコ・ザビエルはその後、
 豊後守護職・大友義鎮、つまり後の大友宗麟に大きな影響を与え、
 我が国の宗教史に大きくその名を残すことになる。



 陶隆房、杉重矩らの軍勢が続々と取り囲み始めた法泉寺。

 宿老・内藤興盛からも見捨てられたことを知った大内義隆は、
 ついにその命運が尽きたと感じて、うなだれた。

 安富源内ら寵臣の近習がちょっと席を外した隙に、
 側近の部将・冷泉隆豊が書状を手に現れて、ささやくように言った。


 「お屋形様。大切なお話が」

 「何じゃ」

 「実を言うと、安芸国守護代の弘中三河守隆包殿から、
  有事の際の手引きの策を頂いておるのです」

 「何っ。隆包から!?」


 大内義隆は飛び上がって、眼を見開いた。


 弘中隆包は現在、出雲国(=島根県東部)の尼子晴久が
 安芸国への侵攻を目論んでいて予断ならぬ事態、という
 吉田郡山城(=広島県安芸高田市)の毛利元就からの救援要請で、
 尼子軍の侵入を抑えるために安芸国内に留まっており、
 この緊急の事態でも山口へ駆けつけることができない状態にあった。


 思い起こせば確かに、弘中隆包はかつて、弟の方明を通じて、
 「有事の際は、冷泉隆豊を頼るように」と言っていた。

 その弘中隆包が、密かに冷泉隆豊へ一策を献じていたのである。

 大内義隆は、冷泉隆豊を頼るようにという弘中隆包の助言を
 すっかり頭の中から忘れていたことを大いに恥じ、
 同時に、弘中隆包の忠義の深さに大きく励まされた。

 心の底から元気がにじみ出るような心地がした大内義隆は、
 すがる気持ちで身を乗り出し、冷泉隆豊に聞いた。


 「冷泉判官。して、して、隆包は何と申しておるのだ?」

 「はっ。長門国の仙崎港(=山口県長門市)で船に乗り、
  石見三本松城(=島根県津和野町)へ逃れられよ、とのこと」

 「三本松城…。城主の吉見正頼は、我が姉の婿じゃ」

 「はい。そして、津和野三本松城の吉見正頼殿には、
  隆包殿の叔父上、弘中兵部丞頼之殿が仕えております」

 「ん、そうであったな」

 「既にその弘中頼之殿が須佐まで出迎える手はずが整っており、
  仙崎港にもその船が手配されているそうでございます」

 「おお…お…。やはり、やはり弘中三河守隆包じゃ!
  三河守がおぬしを頼れと言っておったこと、
  肝に銘じておくべきであったわ。許せ」

 「弘中殿こそ、真の忠臣でございます。
  その弘中殿は今、安芸にて尼子と対峙しておりまする。
  この隆豊、弘中殿に代わり、お屋形様をお守り致します」

 「隆豊よ。わしは、隆豊と隆包の忠義、生涯忘れぬぞ…」


 大内義隆は涙を潤ませながら、冷泉判官隆豊の手を取った。


 冷泉隆豊たちは、一日中奮戦して陶軍を寄せ付けなかったが、
 八月二十九日の夜に、裏口から大内義隆を逃がした。

 大内義隆一行は、わずか百騎足らずの護衛兵と
 京の都からの客人たちを伴って、
 日本海に面する長門仙崎へと、徒歩で落ちていった。





 法泉寺の北門から山口を逃れて美東綾木(=山口県美祢市)を抜け、
 深川湯本(=山口県長門市)の大寧寺の脇道を通り、
 大内義隆一行がようやく仙崎港へとたどり着いたのは、
 九月一日未明のことだった。

 そこには、安芸国守護代・弘中隆包が万一のために用意させた
 石見へ向かう船が待っていた。

 側近の冷泉隆豊は、大内義隆たちをその船に乗せると、
 自らは再び南に向かって、陶軍の追撃を食い止めると言う。

 大内義隆は冷泉隆豊の忠義に心を打たれながら、仙崎を出港した。
 陸を見ると、冷泉隆豊たちがいつまでも見送っていた。



 陸を離れてとりあえず難から逃れたと思われた一行だったが、
 そこで予想もしない出来事が起こる。


 仙崎港を出て一時も経たないうちに、海上に突風が吹き始め、
 高い波浪に船が大きく揺れ始めた。

 日本海の荒波には慣れている老練の船乗りたちは、
 「これぐらいの波具合であれば、石見には余裕で着けますよ」
 と自信を持って言い、不安がる一行を安心させた。


 ところが、その中で大内義隆だけが狂気の声を挙げる。

 一行は驚いて義隆をなだめようとするが、
 義隆は船室の一隅を指差して、あわわと口を震わせている。

 その指の先には、誰が見ても何もない。
 だが、義隆は何かに怯えてギャアギャアと騒いでいる。


 大内義隆だけは、その船室の端に、
 苦しそうにもがく、若者の姿が見えていたのである。


 「は…、晴持…っ!!」


 義隆の震える口から、一人の名前が漏れた。


 八年ほど前の月山富田城で大敗を喫した時に、
 揖屋(島根県東出雲町)の海の中に沈んでいった、
 最愛の養嗣子・大内晴持の姿が見えていたのである。

 「苦しいっ…」「なぜこんな目に…」とうめく晴持の姿。
 大内義隆の心胆が、大きな戦慄に締めつけられる。

 随行する側近たちには、その子供の姿は見えない。
 だが大内義隆は恐怖から逃げ惑うように暴れ回る。

 全身鳥肌を立たせて発狂したように船内をのた打ち回る義隆に、
 側近たちはなす術なく、大いに戸惑った。


 「許せ、晴持、許してくれぇーーーーっ!!!!」

 
 激しく揺れる船体の中で狂い叫ぶ、大内義隆の姿。

 六国を統べる覇者としてその栄華を誇った大内義隆の命運は、
 誰の眼にも、風前の灯として映っていた―――――。



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  『厳島戦記』武将列伝 [十八]
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 ■江良房栄 (えらふさひで)

 陶家家臣。大内家中最強の武人として、陶隆房の下で数多くの戦功を
 挙げ続けた猛将。陶隆房の反乱の後にも陶軍の中心的部将として活躍
 する。安芸国(=広島県)で暗躍する毛利元就からも恐れられる存在
 となるが、やがて周防岩国にて弘中隆包と対決の時を迎える。
| 『厳島戦記』 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0) |









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