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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(十四) 謀叛騒動の巻

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 厳島戦記(十四) 謀叛騒動の巻
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                       第四部「周防大政変」




 大内御殿は、増改築を繰り返して巨大迷路のようである。

 その豪華絢爛ぶりに、弘中方明の目は四方へ泳ぐ。
 あちこちに古美術品や異国の陶器などが飾られていて、
 およそ武家の執政の場とは思えない煌びやかさであった。

 勘合貿易を独占し、関門海峡や筑前博多の制海権を握る大内氏が
 いかに莫大な財力を誇っているかが分かる。



 「弘中河内守様、ご到着にございます」と、
 小座敷衆の一人が大きく声を発して、ふすまを開けた。
 
 そこには、百人は入ろうかという広い接見の間が広がっていた。
 見事な庭園も見渡せ、大きな開放感のある空間である。

 そしてその上座には、六ヶ国の守護職・大内義隆が座していた。


 広い接見の間ではあるが、その空間の中に見えたのは
 大内義隆を含めて三人だけだった。

 上座の大内義隆の左手前に座っているのは、
 奉行衆の筆頭である、相良武任(さがらたけとう)。

 そして、義隆の前でかしこまっているのは、
 忠臣の名高い水軍の将である、佐東銀山城城主、
 冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)であった。


 「おお、方明か。待っておったぞ。さあここへ」

 大内義隆は嬉しそうな声をあげて、方明へ手招きをした。
 方明はかしこまって「はっ」と返事をすると、
 義隆が勧める、冷泉隆豊の右側に腰を下ろして頭を下げた。


 
 庭園からの爽やかな風を横顔に受けながら、
 大内義隆は嬉しそうに、方明へ声をかける。


 「隆包の働きは十分に我が耳にも届いておるぞ。
  隆包は元気にやっておるかの」

 「それはもう。兄はただ今、佐東大田川の河口に、
  船舶の碇泊できる大きな港を建造中でございまして、
  この大事業のためどうしても安芸を離れることができず、
  山口へは愚弟の私が代役としてまかり越しましてございます。
  お屋形様に接見できぬ不義をお許し下さい、とのこと」

 「よいよい。安芸を平定し豊かにすることこそ、
  安芸守護代として何よりの義であるぞ。ところで……」


 義隆は閉じた扇子をくるくると回し遊んでいた右手を止め、
 改めて弘中方明に向かい直した。


 「実は、隆包にはつい先日、相談事を文にて伝えておっての。
  もし万一の有事の時にはいかにするのがよいかと」

 「伺っております」

 「おお、そうか! で、隆包は何と」


 大内義隆は身を乗り出した。


 方明の兄・弘中三河守隆包は、宿老中の「三家老」でも
 大内家庶流でもない、新しい守護代である。

 家老同士の対立が次第に深まってきた大内家臣団において、
 遠い安芸国から客観的に国全体を見ることができる
 弘中隆包の意見は、義隆にとっては貴重に思えるのだろう。

 義隆だけではなく、文治派筆頭の相良武任の眉も動いた。
 弘中隆包の動向は気にしていないというそぶりを見せながら、
 横目で方明を見て、その言葉に耳を傾けている。


 「隆包は何と申しておったのだ」

 「はっ。兄が申すに、有事の際には、
  冷泉隆豊殿に相談されるのが最善であろう、
  とのことにございます」

 「そうか」


 義隆は、方明の口を通して出てきた隆包の言葉にうなずく。

 その答えの中に名前が出てきた、当の冷泉隆豊は、
 方明の横で目を落としたままだが、安堵の息が漏れた。

 顔色を変え始めたのは、右筆の相良武任である。

 「有事の際」とは何を表わしているのかは明らかではないが、
 信じられないことだといった顔つきで、
 義隆の許しもなく突然に方明に問い詰め始めた。


 「弘中三河守殿が申していたのは、冷泉殿だけか」

 「はい」

 「この武任、奉行衆の筆頭としてお屋形様にご信任を頂き、
  国の行政全般を執り仕切ってまいったのだぞ。
  この相良武任を差し置いて、どうして冷泉殿なのだ」


 まるで自尊心を傷つけられた子どものような面持ちで、
 相良武任は弘中方明に言葉を浴びせ始めた。

 大内義隆は武任の癇癪に対してどうしていいのか分からず、
 冷泉隆豊は無言でかしこまったままである。

 相手が筆頭奉行であるにも関わらず、方明は平然と言う。


 「さあ。兄の考えでござるから、私には分かりかねます。
  私に分かることは一つ。
  別に武任殿の名前は出していなかったな、ということだけです」

 「さようなことはあるまい」

 「さようなことが、あるのでござる。そんなことよりも、
  これは兄の考えでもなく、誰の差し金でもなく、
  私個人の足りない頭の中で思うことですが、よろしいか」

 「何だ」

 「武任殿、あんた、評判悪いよ。
  確かに奉行衆の筆頭ともなれば、とても重責ではあろうが、
  武官筆頭の陶隆房殿といがみ合えば、大内家中が揺れることなど
  子供や犬猫にだって分かる理屈でござろう。
  それを、陶殿やその家臣たちの領土を召し上げて困らせたり、
  他の守護代へ合力を頼んで裏から手を回したり、
  ねちねちとした政治活動をやっておるから、評判悪いのだ。
  大内家は代々武家の国。武家らしく正大にいきましょうぞ。
  一人ひとりが仲良くやろうと思えばいいことでしょう」


 息もつかぬほど心の内をまくしたてる弘中方明の横から、
 「お屋形様の御前であるぞ」と、冷泉隆豊が小声でたしなめた。

 方明は頃合いを見て言い終わり、そ知らぬ顔をしている。

 あんた呼ばわりされた相良武任の公家顔が、
 痛憤の色へと変わっていく。

 武任はもともと無骨で粗野な武官の連中が好きではないが、
 面と向かってここまで思いのたけをはっきり言われたこともない。

 怒りに紅く顔を染めた武任は、平手で思いきり床を叩くと、
 立ち上がって、主君に挨拶をすることもなく、
 ドカドカと荒い足音を立てて接見の間を出て行った。



 一瞬の静寂が、接見の間を包み込んだ。
 困り果てた大内義隆は、苦笑しながら溜め息をついた。


 「はっきり言いすぎるのう、方明は」

 「申しわけございませぬ」

 「武任があれだけ怒るのも無理はない。
  実は、先ほどここに、隆房が参ってな」


 そう言えば、先ほど御殿の入口で陶隆房に出会ったな、
 と方明は思い出した。

 陶隆房が大内義隆に呼ばれた理由は、
 方明も耳にした、一昨日の謀叛の噂のことであった。



 事の次第は、こうである。

 天文十九年(1550)九月十五日、
 大内義隆は山口総鎮守の尊称を持つ今八幡宮にて、
 京より下向してきた貴族衆や、山口に滞在する文化人を集めて、
 大規模な管弦の宴を催すことになっていた。

 連日連夜の遊興にふける大内義隆であったが、
 その管弦の会の前日に相良武任が、

 「陶隆房殿が、居城・富田若山城(=山口県周南市)にて
  兵を揃え武具を備え、明日頃に山口に進軍する陰謀の気配あり、
  と、街中のみんなが申しております」

 と、陶隆房の企みの疑惑を強く伝えてきた。

 大内義隆は陶隆房の忠義を信じているから取り合わなかったが、
 相良武任は、陶隆房の狙いは義隆よりも武任自身である、
 ということがよく分かっていたので、気が気でならない。

 「管弦の会に出席される貴族たちに危害が及びますぞ」と
 武任が必死でせきたてるので、義隆も万が一に備え、
 数千騎の軍勢を大内御殿に集めて、当日を迎えた。

 ところが、陶隆房の軍勢は山口には一兵も現れなかった。


 そこで大内義隆は、翌々日の九月十七日、
 疑惑の真相究明のために陶隆房を御殿に呼んだ。

 義隆は両者の意見を聞こうと、相良武任も呼んでいたが、
 陶隆房と相良武任の言い争いが激化すると困るので、
 相良武任には声の届く奥の間にて控えさせることにし、
 逆上して飛び出してこないように、冷泉隆豊に武任を見張らせた。

 陶隆房は、江良房栄、宮川房長らの豪傑を従えて参上した。

 そして、十五日の謀叛の噂について、
 義隆が相良武任の名を出さずに隆房に尋ねると、


 「城内にて兵を集めて鍛錬をし武具を揃えて手入れするは、
  武人として当然の務めにござろう。
  それを聞いて謀叛だ叛意だと言うは、戦を任されたことのない、
  頭だけで生きている文弱な文士の戯言としか思えませぬ。
  そもそも、街中のみんなが申しておる噂とのことですが、
  街中のみんなとは、具体的にはどこの誰と誰なのですか」


 などと飄々と答えるので、大内義隆には返す言葉もない。

 そして、明らかに武任を見下しているような言い草に、
 隣りの間に控えていた武任は、怒りに切歯していたのである。


 弘中方明が陶隆房に会い、江良房栄といざこざを起こしたのは
 この詰問から退出している時のことだった。

 方明は、陶隆房と入れ違いで大内御殿にやってきたのである。

 陶隆房の皮肉を耳にしていたばかりの相良武任にとって、
 弘中方明の本音は怒りの火に油を注ぐようなものであった。


 
 大内義隆は困った。

 義隆は国政を顧みず芸事に耽った愚君と言う人もいるが、
 決して政治に興味がないわけではなかった。

 行政は奉行人の仕事であり、軍事は武官の仕事であり、
 それぞれが互いの長所を仕事に活かし助け合うことが
 国家経営の要であると思っている。

 有能な人材にそれぞれ相応の仕事を任せた上で、
 長たる自分の役割は、朝廷や室町幕府など中央との折衝や、
 国内文化の推奨と発展であると認識していた。

 だから毎日のように、中央政府の貴族たちの接待や、
 文化人との交流や芸能の吟味などに明け暮れていたのである。

 ところが、義隆の理想の政治とはかけ離れて、
 武断派と文治派はお互いを憎みあっている。

 憎しみ合わず、何とか仲良くしてもらいたい。


 今は目の前に、武断派とも文治派とも言わず、
 どちらにも属さない中立の立場にある冷泉判官隆豊と、
 弘中三河守隆包の弟・弘中方明だけがいる。

 大内義隆は、そんな想いを二将にささやかに語った。


 「大内家中は皆、国内外に誇る有能な名臣ばかりじゃ。
  皆が一人ひとりその力を発揮してくれておるからこそ、
  今の大内の世は歴代随一の勢力を持つに至っておる。
  だから誰一人欠けることなく、皆で国を大きくしたいのだ。
  皆で仲良く力を合わせ、良き国作りをしたいのだ」



 義隆がそう語った瞬間。

 庭園の方角から接見の間の中に突風がいきなり舞い込んだ。
 ふすまや掛け軸が、慌しく強風に揺れる。

 義隆も、また隆豊と方明も庭を見た。

 先ほどまで晴れ渡っていたはずなのに、
 突然暗くなって、どしゃ降りになった。
 庭に大粒の雨が叩きつけられる。
 

 急変した天候に驚いて「ひどい雨だのう」とつぶやきながら、
 大内義隆は立ち上がって縁側に歩み、雨の轟音響く庭園を眺めた。

 その時、バリバリと大きな雷が鳴ったかと思うと、
 御殿に併設された築山殿の上空に、
 炎のように赤い大きな雲が湧き上がって見えた。

 「何じゃ、あの雲は…」

 大内義隆は、怪しい赤光を放つ雨雲を不安げに眺めた。


 義隆の背中越しに赤雲を見た弘中方明には、
 先ほど晴天を見上げた時に感じた怖気が蘇ってくる。

 この山口に、何かが起こる――――。


 暗い雨幕の向こうに漂う赤い妖雲は、
 その前兆を知らせるかのごとく、奇怪な形でうねっていた。



 その突然の大雨の日の夜のこと。

 再び、山口の街から相良武任の姿が消えた。


 武任の威厳を恐れもしない陶隆房に身の危険を感じたのか、
 それとも弘中方明の直球の本音が逆鱗に触れたのか、
 この時点では誰もよくその真意が分からなかったが、
 相良武任は豪雨に紛れて、どこかへ出奔してしまったのである。


 陶隆房ら武断派にとっては、
 相良武任が偉そうに権威を振るうのが許せないわけだから、
 五年前に一度武任が失脚して山口を去った時のように、
 今回もとりあえず政局が一段落するものと思われた。

 ところが、この後に表れるたった一通の書状が、
 この繁栄極める山口の街を、
 大きく揺るがす事態へと向かわせることになる――――。



 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [十四]
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 ■冷泉隆豊 (れいぜいたかとよ)

 大内家家臣。安芸銀山城城主。大内水軍を指揮し、安芸国への東征、
 伊予国への南征と大内勢力拡大に尽力した。智勇に優れ、武断派と
 文治派の対立深まる大内家臣団の中で、中立派として仲介役となり、
 最後まで主君・大内義隆に忠義を尽くして、壮絶な最期を迎える。

| 『厳島戦記』 | 16:04 | comments(0) | trackbacks(1) |









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