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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(十一) 毛利両川の巻

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 厳島戦記(十一) 毛利両川の巻
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                       第三部「芸備経略戦」




 「何だって!?」


 安芸の西条槌山城(=広島県東広島市)に驚きの声がこだまする。

 安芸守護代としてこの槌山城を拠点に
 芸備の平定に全力を注いでいる、弘中三河守隆包の声だ。


 安芸木村城に置き、城主となった小早川隆景を助けながら
 芸備経略の下準備を進めていたはずの実弟・弘中方明が、
 突然槌山城に若く美しい女性を連れてやって来て、
 「この女を妻に迎えることにしたよ」などと言うのである。

 隆包は、唖然とした。



 弘中河内守方明は、不思議な弟だ。

 隆包と方明の弘中兄弟の性格は、真逆と言っていい。
 謹厚朴直な隆包に対して、方明は明朗闊達の気性。

 兄の活躍が光るため、方明は落ちこぼれの弟という印象が強いが、
 実際には多忙の隆包の代役として外交のために東西に走ったり
 岩国の水軍を取り仕切ったりと、隠れた活躍を重ねている。

 武芸においても馬術、剣術に秀でる隆包には劣ると思いきや、
 どこぞで槍術を学んできて、岩国では無双の槍使いになっていた。
 常に、隆包にはない持ち味を、身につけてくる。


 隆包や方明をよく知る親友の毛利隆元や吉川元春は、

 「隆包殿は常に迅速果敢で、まるで風のような武者だが、
  対して方明殿は、縦横無尽に現れ自由奔放に見えて、
  実は忠実に兄の風に乗っている、まるで雲のような武者」

 と、弘中の二兄弟を共に評していた。


 風の兄と雲の弟は、正反対の人柄ながら妙に馬が合った。
 それぞれの長所で互いを補いあっているかのようだ。

 幼い頃から諸学に聡明だった兄の隆包とは違って、
 学問については疎かったが、好奇心は至極旺盛で、
 ふらりと放浪しては隆包の見知らぬものを見聞きしてくる。

 方明は元服してからも、実直に任務を遂行する隆包をよそに、
 突然どこかに姿を消したかと思うと、そのうち何かを持ち帰ってきた。

 ただし、意味もなく行方をくらますわけでもない。
 父である興勝の「弟は嫡流を助けよ」との教えどおり、
 持ち帰るものは必ず、兄隆包の役に立つものばかりだった。



 だが、今回持ち帰ってきたのは生身の女子である。
 いつもにも増して予想外の方明の行動に、隆包は困惑する。


 「方明。妻に娶ると言っても、いったいどういう御方なのだ」

 「これは、堀立壱岐守殿の娘、於光(おこう)殿です」

 「堀立壱岐守…。堀立直正(ほたてなおまさ)殿のご息女か」

 「おお、兄上は堀立殿をご存知だったのか」

 「いや、直接会ったことはないが…」
 

 安芸国内の情報収集に余念のない隆包は、その名を知っていた。


 堀立壱岐守直正。

 佐東大田川(=太田川)の河口にある祇園(=広島市祇園町)に
 堀立という地があり、堀立直正ら堀立氏はそこを拠点として
 瀬戸内海沿岸に手を広げる大商人である。

 瀬戸内の海域は数多くの海賊衆がひしめく危険地帯であり、
 武士である堀立氏は商船を守る屈強な水軍を組織していた。
 そのため、村上水軍など瀬戸内の諸勢力とも交流がある。

 芸備の経綸のためには何とか協力を得たい相手ではあるが、
 余所者である周防(=山口県)の連中との関係を
 嫌っている様子も見え、まだ会う機会を得てもいなかった。


 ところがこの方明、独りでフラリと祇園に遊びに行った際、
 堀立直正と偶然に出会って意気投合してしまい、
 その人柄を気に入られて娘の於光を嫁に勧められたのだという。


 「それで会ってみたら、まあこのように美しいのでね、
  嫁に迎えることになりました。あっはは」

 「あっはは、ではないわ」


 「義兄上様、どうぞ宜しくお願い致しまする」と、
 方明の後ろに控える於光が三つ指をついて慎ましく頭を下げた。

 「めでたい、めでたい」と笑いながら扇子をあおぐ方明に
 隆包は呆れて大きな溜め息をついた。



 ところが、この弘中方明の突然の婚姻が、思わぬ利を生む。


 弘中氏の親戚となった佐東大田川河口の商人・堀立直正は、
 経済的な面からも、そして水軍の軍事的な面からも、
 安芸守護代の弘中隆包に全面的に協力を始めたのである。

 弘中三河守の廉潔な人柄は、かねてより堀立直正の耳にも届き、
 いつかは親交を得てみたいと思っていたようである。

 以前から岩国の海域を防衛していた弘中水軍は小勢力だったが、
 堀立直正の助けもあり、次第にその船数も増え軍事力が増した。


 そこで弘中方明は、岩国に留めていた弘中水軍を東へ進め、
 竹原木村城(=広島県竹原市)の小早川水軍と合流させた。

 芸備の安泰を脅かしている元凶でもある、
 山名理興の立て籠もる神辺城(=広島県福島市)へ向かって、
 海から徐々に攻略を始めるためである。



 そんな頃。
 安芸郡山城の毛利元就にも、変化が起き始めていた。


 その契機となったのは、天文十四年(1545)秋、
 元就の正室が四十七歳で病死したことであった。

 安芸国人・吉川国経の娘であった毛利元就の正室は、
 吉川氏の居城・小倉山城からの輿入れのため「小倉の方」と呼ばれ、
 元就の子、隆元・元春・隆景らを産んだ。法名は妙玖となった。


 元就は葬儀を終えると突然、隠居を国内外に宣言。
 そして毛利家の家督を、長男の隆元に譲ることにした。

 安芸国の情勢が定まらぬ中での隠居を聞き、
 室を失った毛利元就の悲しみの深さを誰もが思いやった。


 ところが、謀将・毛利元就は、
 実際には政局から去っていなかった。

 長子毛利隆元に内政の全権を譲渡したのは表面上の形であり、
 その裏では密やかに画策を始めていたのである。

 舞台裏に身を引くこの機会を、元就は待っていたのかもしれない。
 正室の死去は、活かすべき好機だと思ったのであろうか。



 陰に潜む毛利元就の謀略の手が最初に伸びたのは、
 月山富田城の攻囲戦で尼子側に寝返り毛利に大打撃を与えた、
 安芸国人・吉川興経(きっかわおきつね)である。


 その吉川家中に、尼子側につく興経の不義理を嘆く者々がいた。
 その筆頭は興経の叔父・吉川経世(つねよ)である。

 元就は、死去した妻・妙玖の兄にあたる吉川経世と謀って、
 吉川興経の子・千法師がまだ幼少であることを理由に、
 元就の次男・毛利元春を、強引に吉川興経の養子に押し付けた。

 興経は、宮崎長尾で敵として現れた元春に嫌悪感を示したが、
 叔父の経世は兵を挙げて当主興経を捕らえ、
 幼少である嫡子の千法師と共に強制的に隠居させてしまった。

 こうして、毛利元春は吉川興経の養子に迎えられることとなり、
 ここに、後の世にその名の轟く西国屈指の名将、
 吉川元春が誕生することになる。


 その三年後、吉川興経は元就の陰謀で謀反の疑惑をかけられ、
 共に幽閉されていた嫡男・千法師もろとも殺害されることになる。

 そして養子となった吉川元春が吉川氏の当主となることで、
 毛利元就は吉川氏の乗っ取りに成功したのであった。


 表舞台から退き、長男隆元に毛利家の家督を継がせ、
 次男元春を吉川家、三男隆景を竹原小早川家へと送り込んだ元就。

 毛利本家を、吉川、小早川という二つの名家が守る。

 吉川氏と小早川氏が同じ「川」の字を有していることから、
 この体勢は「毛利両川」と呼ばれることになる。



 「美しい景色だなあ」


 朝日を浴びてキラキラと光る海の景色を見て、
 若干十四歳の当主・小早川隆景は、無邪気に深呼吸をした。


 鞆の浦(=広島県福山市鞆町)は、
 瀬戸内海域の中でも屈指の景勝地である。

 隆景率いる小早川水軍と、弘中方明率いる弘中水軍は、
 備後神辺城の山名理興を討伐するために備後国まで東進し、
 この鞆の浦を制圧し、鞆城(ともじょう)を築城した。

 ここを、神辺城攻略の拠点とするためである。



 「いやあ、美しい。魚も透き通って見えそうなほどだ。
  この地では、人と魚は心を通わせることができるかもしれぬ。
  魚が人に恋する講談なんか作れそうだ」

 「面白いことをおっしゃる方だな、隆景殿は」


 鞆城内から飽きずに鞆の浦を眺めている小早川隆景の後ろで、
 弘中方明は明るく笑いながら言った。


 隆景は、鞆城の美しい長めに心を奪われた。

 生まれ育った実家毛利家の吉田郡山城(=広島県安芸高田市)は
 安芸国の山奥であったし、大内義隆の人質として生活をしていた
 周防山口(=山口県山口市)もまた内陸の街であったから、
 隆景にとって鞆の浦の海の輝きと潮の香りは、格別に思えた。


 周防山口から後見人のごとく隆景に同行してきた方明は、
 強力な水軍を有する竹原小早川家の当主となった隆景に、
 自分の知る限りの水軍経営と軍略を教え込んできた。

 これまでは乃美宗勝という優秀な将が小早川水軍を率いてきたが、
 今後は当主の小早川隆景もその水軍を自由に操らなければならない。

 「徳寿丸殿は必ず、天下を揺るがす名将に育つ」

 出会った時からそう確信していた弘中方明は、
 乃美宗勝と共に、小早川隆景を支え守る役目を果たしてきたが、
 華々しい初陣を飾ってもらうのは今しかない、と感じていた。


 「隆景殿。我らがこれから挑むのは、天険の名城・備後神辺城」

 「はい」

 「その難しい城攻めが、隆景殿の初陣となるのです」

 「何とかなるでしょう」と、隆景は背伸びをしながら言う。

 「えらく余裕ですなあ」

 「方明殿の楽天的な性格が、伝染したのかもしれません」


 振り返って陽気な笑顔を見せる隆景。
 それは人任せに仕事を投げ出したわけではなく、
 何か心に確信を秘めている朗らかさだ、と方明は察した。

 その推察が当たっていることは、すぐに判った。


 「神辺城攻めが初陣になると言っても、
  神辺城を攻めるだけが『神辺城攻め』ではないでしょう」


 と言いながら隆景は、
 鞆城も神辺城も描き込まれている備後福山一帯の地図を広げ、
 神辺城のはるか東側にある地点を指差した。

 「龍王山…」。方明は、生唾を呑んだ。

 この少年当主には、見えている。
 この神辺城攻略をどのように詰んでいくか、その手が見えている。


 「槌山城の弘中隆包殿が、神辺平野から神辺城を囲むでしょう。
  ならば我々は、水軍の利を生かして水辺から行けばいい」

 「ふむ」

 「城を落とすには遠回りなれど、我々の使命は城を落とすことではなく、
  隆包殿たちの正面の本隊が早く城を落とせる手助けをすることです」

 「その通りです、隆景殿」

 「そもそもこの度の神辺城攻略の目的は、奪取よりも芸備安泰が第一。
  無駄に時間をかけてしまえばそれだけ損失が大きくなる。
  それに、方明殿は先日ご婚姻されたばかりでしょう。
  戦を早く終わらせて、奥方にご安心を差し上げないと」


 隆景の言葉に、方明はつい吹き出す。

 陽気に笑っている隆景を見ながら、
 方明は、まるで宝石の原石を見つけたかのような喜びを
 心の奥底に感じて、その身を震わせた。



 神辺城は、神辺平野を望む黄葉山に築かれた山城で、
 黄葉山全体を要塞化し、山麓を流れる高屋川を外堀に見立てた、
 備後国随一の堅牢さを誇る名城である。

 備後国の行政拠点に相応しい強固な備後神辺城であるが、
 内部の下剋上であっさりと城を奪ってしまった山名理興とは違い、
 正面からの力押しでは、短期でそう簡単に落ちるものではない。

 安芸守護代の弘中隆包は安芸国人領主の平賀隆宗・広相の兄弟に
 神辺城を取り囲ませたが、なかなか簡単に攻め込めない。


 そこで鞆城に布陣する小早川隆景は、弘中方明や乃美宗勝らを伴い、
 神辺城の正面の神辺平野に展開する平賀軍と全く逆側の
 野々浜(=広島県福山市大門町)へ軍船を着けた。

 そして備前と備後の境(=岡山と広島の県境)にある
 龍王山(=福山市坪生町)の要害を急襲し、
 あっという間に攻め落としたのだった。

 この疾風迅雷の龍王山砦攻めが、小早川隆景の初陣となった。





 大内勢の神辺城攻略の準備が、着々と整い始めた。


 正面に平賀隆宗軍、遠く背後の支城・龍王山砦に小早川隆景軍。

 さらに、西条槌山城の弘中隆包が周防の大内軍を引き連れて進軍、
 吉田郡山城の毛利隆元も、吉川元春と合流して神辺に向かう。


 後の世にいう「備後神辺城の戦い」が今まさに、
 最終局面を迎えようとしていた――――。


 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [十一]
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 ■吉川元春 (きっかわもとはる)

 毛利元就の二男。安芸国人・吉川興経から家督を継ぎ吉川家当主に。
 毛利家中きっての勇将で、各地を転戦して輝かしい軍功を重ね、
 実弟の小早川隆景と共に父元就や兄隆元、また甥の輝元を支える。
 生死を共にした大内家臣・弘中隆包と、やがて死闘の運命を辿る。
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