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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(十) 隆景誕生の巻

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 厳島戦記(十) 隆景誕生の巻
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                       第三部「芸備経略戦」




 安芸木村城(=広島県竹原市)は絶体絶命の危機にあった。

 二年前に若き当主・小早川興景が死去してから
 当主が決まらないという不安定な時期に、
 尼子国久率いる出雲の新宮党に取り囲まれたのである。



 木村城の将兵たちは一丸となってよく守っていた。


 その中心となっていたのは乃美宗勝(のみむねかつ)。

 乃美氏は小早川氏の庶流に始まる家柄なので、
 竹原小早川氏の家臣たちは、当主が不在である今、
 小早川の血を引く乃美宗勝を中心に何とかまとまっていたのである。
 
 しかし、乃美宗勝は普段は小早川水軍を率いる提督である。
 陸上の野戦にはそれほど慣れていない上に、
 相手は山岳戦にめっぽう強い出雲の新宮党であるから、
 平山城である木村城を守り続けるのにも限界があった。

 
 いよいよ新宮党が城外の乃美隊を飲み込もうとした時、
 西から勢いよく、鬨の声を挙げた一軍が駆けて来て、
 城を向いた尼子新宮党の横腹を突き破った。

 全滅を覚悟した乃美宗勝は信じられない様子でその一隊を見た。
 「おおっ、あれは河内守殿っ…!」と、宗勝は歓喜の声を挙げる。

 先頭で槍を振るうのは、弘中河内守方明。
 安芸守護代・弘中隆包の実弟である。

 弘中方明は、当主である兄の隆包が山口へ出仕している時には、
 弘中領である周防岩国(=山口県岩国市)の海軍を預かる身で、
 同じく海軍を率いる乃美宗勝とは以前から親交がある。

 その弘中方明が、竹原小早川氏の危機を救うために、
 大内の援軍として駆けつけたのである。
 乃美宗勝はその応援を見て、心の底から感銘に震えていた。


 思わぬ援護を受け、乃美ら小早川勢は再び奮起した。

 予期しなかった敵襲で、新宮党の先鋒隊は壊滅。
 木村城は落城寸前のところで、その危機を免れたのだった。



 弘中方明は、安芸守護代の代官として木村城に入城した。
 木村城の将兵たちは、危機を救った方明の軍勢を快く迎え入れる。

 乃美宗勝ら小早川家臣たちが、かしこまって下知を待つ。
 その姿を見て、若い方明は明るく言い放った。


 「皆々、まあそう固くならずに、くつろいで聞いてくれ」

 「は…っ?」

 「安芸守護代のそのまた代理、弘中河内守方明だ。
  守護代の意向を伝えようと思うのだが…」


 方明は兄から預かった書状を広げながら
 「守護代殿の書は、堅苦しいんだよなあ」と言って頭をかく。

 小早川家臣たちは思わずどっと笑った。
 弘中三河守隆包の謹厳実直な性格は大内傘下に知られており、
 方明の呑気さはその実兄とは全くかけ離れているのが可笑しい。

 籠城の緊張からようやく放たれた中で、
 久々に心から笑みがこぼれる小早川家の家臣たち。

 方明も一緒になって笑いながら、書状の内容を伝えた。


 「要するに、小早川興景殿の死去で当主が定まっていない今、
  竹原小早川家は何よりも早急に、当主を立てることが先決。
  興景殿のご正室は、毛利興元公のご息女、
  つまりは、毛利元就殿の姪にあたるお方でござるが…」


 そう言いながら、方明は横に控えさせていた少年を指した。


 「こちらは、毛利元就殿の三男、徳寿丸殿だ。
  奥方のご実家である毛利家より、この徳寿丸殿を迎え、
  竹原小早川家の新たな当主とされよ、ということだ」


 小早川の臣たちは、目をまばたかせてその伝を聞いた。

 凛として構えるその徳寿丸の姿を見て、
 竹原小早川家の諸将たちはしばらくざわついていたが、
 先代興景が男児のないままこの世を去った今、
 とりあえずは当主を置かねば、小早川氏は滅びてしまう。

 守護代弘中隆包の意向はすなわち、守護大内義隆の意向でもある。
 また奥方の実家から養子を迎えるのも、理屈に問題は無い。

 諸将たちは次第に納得して、新たな当主を前に深く頭を下げた。

 その様子を見て、方明は喜んで口角を上げた。


 「おお、みんな納得して下さって、この河内守は助かったぞ。
  不満爆発で小早川水軍によって瀬戸内の海に放り込まれたら
  どうしようかと冷や冷やしていたんだ。よかったよかった」


 小早川の家中が再び笑いに湧いた。
 弘中方明は、徳寿丸のほうに体を向きなおす。


 「徳寿丸殿。今日から竹原小早川家の当主でござる」

 「はい」

 「山口の大内義隆様も、この家督相続を喜んでお許しになり、
  義隆様はその名の『隆』の一字をおぬしに賜られた。
  徳寿丸殿は、これより『隆景』と名を改められよ」

 「謹んで、その名を承ります」


 徳寿丸は、大内義隆公の書状を代官方明から受け取った。

 そして諸将の前で、簡略化した元服の儀が執り行われる。


 ここに、竹原小早川氏の新しい当主が誕生した。

 毛利家からやってきた利発そうな新たな主君を仰ぎ、
 当主不在の日々を送ってきた諸将たちは安堵の表情を見せた。


 小早川隆景(こばやかわたかかげ)。

 若くして小早川家当主となった彼は、
 後に豊臣政権下で五大老の一人として活躍するほどの
 天下の名将へと成長していくことになる――――。




 一方、本家である沼田小早川家の居城・高山城も、
 備後の山名理興の猛攻に遭って落城寸前の危機にあった。

 小早川家重臣の田坂義詮(たさかよしあき)、
 乃美隆興(のみたかおき)らが城外で山名軍を食い止めている。

 毛利元就の要請を受け、毛利と同じく大内側の安芸国人の一人、
 中野鳥籠城(=広島市安芸区)の阿曽沼広秀(あそぬまひろひで)が
 沼田小早川氏を救うため援軍に駆けつけたが、
 山名理興軍の怒涛の勢いはもはや止まりそうにない。

 
 混戦の中、阿曽沼広秀は山名理興の姿を見つけて叫んだ。

 「山名理興、そこにおったかっ」

 「ん、鳥籠城の阿曽沼か」

 「一国人の杉原が、山名の名跡と神辺の名城を得られたのは
  大内義隆様の強い後押しがあってのことであろう。
  その大内への恩義を忘れ、月山富田城で平気で寝返りおって。
  この忘恩の輩め。恥を知れ!」

 「この戦の世に、何を寝言を言っておる。死んでおけっ!」


 山名理興は全軍に総攻撃を命じた。
 その勢いを防ぎきれず、阿曽沼広秀も絶体絶命の危機に陥った。

 理興は愉悦の表情で、疲労困憊の阿曽沼広秀へ太刀を振り下ろした。

 そこへ一人の若武者が飛び出て、その刀を受け止めた。
 広秀が「源右衛門っ」と声を張り上げる。

 阿曽沼軍の親衛隊を務める若き武士、井上源右衛門であった。

 ところが、山名軍の幾人と斬り合ってきた源右衛門の刀は、
 理興の一撃を受けて、根元からパキリと刀身が折れてしまった。
 もはやこれまで、と源右衛門は最期を覚悟した。

 「小僧が。邪魔するなっ」と理興が再び太刀を振り上げたその時。


 理興は背後から重なる絶叫を聞いた。

 後発の部隊が、見えなかった敵襲を受けていたのである。
 風のように現れた援軍は、弘中隆包率いる大内軍であった。


 その一隊が、山名軍の大将旗を目がけて一直線に突き進んでくる。
 そこには勇将、弘中三河守隆包の姿があった。

 山名理興も、そして阿曽沼広秀や井上源右衛門も目を見開いた。
 理興は、背筋が一瞬で凍りついた。


 「ひ、弘中三河守…!」

 「おう、理興。月山富田城以来だのう」


 隆包の刀が理興の首を狙った。理興は刀身で受けるのが精一杯だった。

 馬上で二人の刀の鍔が競り合う。
 押し合いながら、二人は睨み合った。


 「出雲では地獄を見たぞ。理興」

 「いくらでも恨め。家名を守るための裏切りなど、世の常であろう」

 「借り物の家名だろうが。
  おのれのような忘恩の小賊ごときに、恨みなどないわ」

 「なにぃっ!」


 人一倍気位の高い山名理興は、隆包の戯言に逆上した。
 そして力任せに隆包の刀を押し離すと、
 渾身の力を込めて隆包に一太刀振り下ろした。

 だが、その太刀は空を切る。目の前の隆包の姿は消えていた。
 その瞬間、左から迫り来る一閃が横目に見えた。
 とっさに構えた左手の籠手の隙間を、刀の先が縫った。

 「ぎゃあっ」と理興が声を挙げて、右手の太刀を落とした。
 刀にえぐられ血がにじみ出る左手をかばった理興は、
 痛みと恐怖とで、馬上でガクガクと震え始めた。

 一気に戦意を喪失した山名理興は、
 「退却、退却じゃ!」と叫びながら隆包の視界から逃げ回る。

 山名軍は総崩れとなって、東へと逃れていく。
 弘中軍や沼田小早川軍の追撃で、山名軍は惨敗を喫した。



 高山城の家臣たちは、守護代弘中隆包を城に迎え入れる。
 平伏する将兵たちの最前には、
 重臣・田坂義詮が幼い子供を抱えて座っていた。

 わずか二歳の沼田小早川家当主、小早川繁平である。
 田坂の腕の中で、安心して眠っている。

 隆包は、諸将の前でこれまでの奮闘を讃えた。


 「皆、まだ幼き繁平殿を中心によく城を守ってくれた。
  私がこの度、安芸の守護代に任じられた弘中隆包である。
  先の月山富田城の戦いで、先代正平殿は立派な最期を遂げられた。
  私もまた、その撤退戦の地獄で、九死に一生を得た。
  小早川家は私も全力で盛り立てよう。共に力を合わせよう」


 沼田小早川家の家臣団は、安芸守護代の言葉に深く平伏した。
 危機を免れ安堵を得たことに涙を流す将もいる。

 沼田小早川家の高山城もこうして、危機から救われた。



 安芸中野の鳥籠城から援軍に駆けつけた阿曽沼広秀も、
 危機から救い出してくれた弘中隆包に深く礼を述べた。

 その傍らには、包帯姿の井上源右衛門の姿もあった。
 山名理興に斬り殺されそうになっていた武者である。

 見ると、まだ二十歳前後の若武者だった。


 「源右衛門殿。命を賭して主を守るその意気、感服でござる。
  おぬしのような武人がいれば、阿曽沼殿も安心であろう」

 「私のような者が、守護代様にそのようなお言葉を頂けるとは、
  恐悦至極にございます。ありがとうございまする」

 「そう言えば、源右衛門殿の刀は理興に折られていたのう。
  私が今使っていた刀だが、よければ使わぬか」


 そう言うと隆包は、腰に挿した刀を鞘ごと抜き取った。

 漆黒に光る鞘に収まった、朱色の柄を持つ長剣である。

 源右衛門は両手を震わせながら、隆包からその太刀を受け取る。

 大内家中で武士の鑑として名の知られた弘中三河守が、
 自分の命を救った太刀を、一兵卒の自分に与えてくれた。
 源右衛門は口では言い表せない感銘に、震えた。

 「ありがとうございます。大切に、大切にいたします!」と、
 源右衛門は何度も何度も頭を下げた。
 ところが、その後に源右衛門は思わぬ質問を発した。


 「守護代様。この名刀、名はいかに」

 「ん?」

 
 頭を垂れたままの源右衛門からの問いかけに、隆包は戸惑った。


 「それは別に名刀ではないぞ。我が領・岩国の街の刀鍛冶に
  多く作らせている量産型の刀の一つに過ぎぬ。名など無い」

 「いえ、守護代様より賜りし大切な刀なれば、私には名刀です。
  その名を頂き、親の如く子の如く、大切にしとうございます」

 「んん…」


 妙なことを言う若武者だと、隆包は苦笑しながら空を見た。
 そして思いつきで、その刀に名をつけた。


 「その刀は、馬上の山名理興の身をえぐり、御身を救った。
  ゆえに、『駒切』(こまぎり)という名など、どうだ」

 「駒切、でございますか。
  素晴らしいお名前を頂戴し、ありがとうございます」


 井上源右衛門は「駒切」と名付けられた刀を両手で掲げ、
 そして我が子を可愛がるかのようにしっかりと抱きかかえた。

 その無邪気な若武者の姿に、隆包は温かく微笑む。



 この後、弘中三河守隆包が譲ったこの「駒切」の太刀は、
 今一度、この若武者・井上源右衛門の命を救うことになる。

 そして、弘中隆包と井上源右衛門は思わぬ再会を果たすのだが、
 それはまだ、二人も予期しない何年か後の話である――――。


 (つづく)



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  『厳島戦記』武将列伝 [十]
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 ■小早川隆景 (こばやかわたかかげ)

 毛利元就の三男。小早川家の当主となり、毛利隆元、吉川元春の
 二兄と共に毛利家の発展に尽くす。小早川水軍を率いて厳島合戦、
 九州遠征、木津川口戦などで活躍した名将。天下統一を果たした
 豊臣秀吉の政権下では五大老の一人として国政にも大きく関与する。
| 『厳島戦記』 | 18:37 | comments(0) | trackbacks(0) |









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