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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(六) 大軍壊滅の巻

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 厳島戦記(六) 大軍壊滅の巻
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                       第二部「月山攻囲戦」

 


 弘中方明は、兄・隆包の命令に従って、毛利元就の陣へと駆けた。
 そこには、元就の次男・元春が馬上で待っていた。


 「おおっ、元春殿っ」

 「方明殿、参られたか。父上に会いに参られたのであろう。
  父上は先ほど、兄上と共に陶殿の陣へと向かわれた。
  もしかしたら弘中殿がここに参られるかもしれぬから、
  その時は陶殿の陣へ連れてくるようにと、私がここに残された」

 「なんと。元就殿は我が兄と同じことを思われたわけか」

 「火急の事態のようだぞ。我らも陶殿の下へ急ごう」

 「おうっ」


 元春と方明は、馬の腹を蹴りつけた。



 月山富田城の塩谷口攻略を取り仕切っていた陶隆房の陣に、
 毛利元就と弘中隆包はほぼ同時に駆けつけた。

 ちょうど二人を呼ぼうと思っていたところだったのか、
 隆房は少々明るい顔をしていた。


 「おう、弘中殿に毛利殿。ちょうど伝令を走らせる所だったわ。
  見たか。吉川らが塩谷口を突破して月山を駆け上がっておる。
  我らもすぐに、月山富田城へと駆け込むぞ」

 「何を見ているのだ、陶殿!」


 弘中隆包の突然の大声に、隆房はやや驚いた。
 隆包は塩谷口を指差しながら、必死の形相で隆房に言う。


 「あれは攻めているのではない。迎えられて入城しているのだ。
  吉川、山名らは我らを裏切り、尼子側へ寝返ったのだぞ」

 「なに…、馬鹿な!」

 「塩谷口を突破したのではなく、塩谷口を守る牛尾や宇山が
  手はずどおりに道を譲って彼らを城へ通したに違いない」

 「手はずどおり…、手はずとは何の手はずだ」


 陶は一瞬、隆包が何を言い出しているのか理解できなかった。
 快進撃に思えていた突撃が、実は敵軍への逃亡だったのである。
 あまりにも鮮やかな裏切りは、予想を超えていた。

 毛利元就も弘中と同じ意見だった。
 いささか混乱している隆房は、元就に思わぬ一言を投げる。


 「元就殿。…安芸の連中が裏切る中、毛利はなぜここにおる」

 「毛利は、大内の傘下でござる。あの裏切りに関わりはない。
  安芸の国人をひとまとめに考えてしまう気持ちもお察し申す。
  だが今は一刻を争う事態。そんな疑いは、後になされいっ!」


 毛利元就が陶隆房に食ってかかったところに、
 その子元春と弘中方明が駆けつけた。
 緊迫した空気の中、元春と方明は事の次第を察知した。

 話を頭の中で整理しようと動きが鈍っている陶隆房を前に、
 弘中隆包は現れたばかりの弟に、急いで伝える。


 「吉川、山名、三刀屋、三沢、山内、本城ら芸備の国人衆が、
  寝返って月山富田城へ入場した由、本陣の義隆様に伝えろ。
  そして早急のご判断とお下知を促せ。今すぐ行けぇっ!」

 「はっ…!」


 方明は下りたばかりの馬に再び飛び乗り、
 大内義隆が本陣を構える北の経羅木山へと駆けていった。

 本当に裏切りなのかどうか、確実に確認をしたわけではないし、
 大将の陶隆房がそれを判断したわけでもない。
 弘中隆包は責任なら後でいくらでも負うつもりでいた。

 それほど、大内軍の存亡がかかった事態に思えたのである。



 弘中隆包や毛利元就の見立ては、正しかった。

 吉川興経、山名理興、三刀屋久扶、三沢為清、山内隆通などの
 芸備の諸豪たちは、着陣の頃から密かに尼子側に通じていた。

 そして、大内側の苦戦を見て鮮やかに寝返ったのである。

 寝返った国人領主たちの軍勢を吸収して、
 月山富田城の尼子軍の兵力は瞬く間に膨れ上がった。

 攻囲に苦戦している今、安芸や備後の領主たちの兵力が
 そのまま尼子勢に移ったのでは、もはや戦いにならない。

 突然の形勢逆転。
 大内軍営は、突然の出来事に大きな混乱と動揺が生じた。



 「もはや退くしかあるまい。山口まで早急に撤退だ」

 月が明けて、大内義隆は全軍に総退却を命じた。

 経羅木山の本陣には多数の武器や兵糧が残されるほど、
 大内軍は乱れながらの退却となった。

 この機を逃す尼子軍ではない。
 月山富田城から、大軍が大内軍追討のために撃って出た。

 


 攻城のため月山山麓の塩谷口付近まで陣を進めていた
 陶隆房、弘中隆包、毛利元就たちは、
 必然的に追撃の格好の餌食となった。


 「隆房殿。我らが殿(しんがり)を務める。
  早く兵をまとめて逃げられよ」


 弘中隆包は、塩谷口攻撃の軍を取り仕切る陶隆房に、
 大内本隊の退却に遅れないように逃げることを勧めた。


 「しかし、弘中殿は」

 「我らや毛利軍は、既に撤退の準備が進んでござる。
  万が一にそなえて内密に退く備えを進めていたことは、
  陶殿には申し訳なかったが、このような事態になった以上、
  その我らが尼子の追撃を防いで大内を守る。さあ」

 「弘中殿。すまぬっ…」


 陶隆房は、心の底から隆包に詫びたかった。

 出雲遠征へ反対していた隆包に、自分は罵声を浴びせてきた。
 その遠征が隆包の予想どおりに失敗に終わり、
 そして隆包は盾となってその自分を守ろうとしている。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 退却の準備が十分に整っていない陶隆房の軍勢は、
 あらゆる備品類を置いたまま、慌てて西へと逃げ出した。

 弘中軍と毛利軍は、逃げ戻る大内軍の最後尾となって、
 尼子勢の猛追を防ぎながらの危機的な撤退を余儀なくされた。



 大内義隆の本隊は、尼子に味方する領主たちの追撃に遭い、
 散々に打ち崩されながら、西へと逃げた。

 揖屋(島根県東出雲町)の浦まで逃げ戻ってきた時、
 その沖には大内水軍の帆船が碇泊しているのが見えた。

 大内軍はほぼ全軍が陸路を進んできたため、船には限りがある。
 
 そこで義隆は、溺愛する養嗣子の義持を船に乗せて山口へ戻し、
 自分は本隊をまとめて陸路で帰国することを選んだ。


 「尼子の水軍は東に集中していて、西への海路にはおらぬ。
  山口へ向かう海路は、追撃の危険が少ない帰路じゃ。
  わしは、この大軍を何としても山口へ連れ戻さねばならぬ。
  おまえは安全な海路で山口へ戻り、我らを出迎えてくれ。
  わしは必ず生きて戻るからな。しばしの別れぞ」

 「はい、父上」


 父と山口での再会を誓った晴持は
 揖屋沖に碇を下ろす本船へ向かうために、小舟に乗った。


 ところが、我が子を見送る義隆の眼前で、悲劇が起こる。


 周章狼狽した大内軍の敗兵たちが、我が命惜しさに、
 先を争って晴持の乗る小舟に次々と飛び乗り始めたのである。

 大勢が乗っては、小さな舟は沈んでしまう。
 晴持の護衛の将が「どけいっ」と兵卒たちを海に蹴り落とす。

 だが、逃げ惑う敗兵たちは小舟を追って続々と泳いでくる。
 大勢の兵が小舟に取りつき、ついに舟は転覆してしまった。
 晴持の姿は、あっという間に波間に消える。


 「晴持…っ!」

 目の前で、我が子が海へと投げ出され沈んでいく様を見て、
 大内義隆は今にも海に飛び込みそうなほど、激しく取り乱した。

 そこへ、尼子の大軍が再び追いついて大内軍を襲う。
 狂ったように我が子の名を泣き叫ぶ義隆は、
 従者たちにその体をつかまれて無理やり連れ戻された。


 山口へ敗走する最中、義隆は晴持が溺死したことを知らされた。

 愛を注いだ子は、無惨にも海の藻屑と消えたのである。
 享年二十。
 あまりにも若い死だった。


 大内義隆は、泣き崩れた。
 尼子への恨みや裏切った領主たちへの怒りなどではない。
 ただただ、泣きに泣いた。



 壊滅的な惨敗を喫した大内軍は、
 出征前とは変わり果てた姿で山口へと逃げ戻ってきた。

 悲しみにくれる主君義隆をはじめ、諸将も命からがら逃げ延びた。


 ただ、その最後尾で盾となって
 尼子軍の猛追を阻んでいた弘中隆包と毛利元就の部隊は、
 絶体絶命の危機の真っ只中にあった――――。

 
 (つづく)

 


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  『厳島戦記』武将列伝 [六]
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 ■吉川興経 (きっかわおきつね)

 安芸国(広島県)の国人領主・吉川氏の当主。毛利元就の妹を
 母に持ち、叔母が元就の妻であるなど、同じ安芸国人の毛利氏と
 深く結びついていた。大勢力の大内氏と尼子氏の間で寝返りを
 繰り返して安泰を図るが、やがて元就の野望の犠牲になっていく。
| 『厳島戦記』 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) |









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