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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(二) 宮崎長尾の巻

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 厳島戦記(二) 宮崎長尾の巻
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                       第一部「郡山籠城戦」





 吉田郡山城包囲戦は、年明けに一気に慌しくなった。


 天文九年(1540)九月、三万余の尼子軍が吉田郡山城を包囲。
 毛利元就は山口の大内義隆に援軍を依頼し、
 二千足らずの軍勢で巧みに尼子の大軍を牽制していた。

 同十二月三日、陶隆房を総大将とする大内軍の援軍二万が
 吉田に到着、郡山城からやや離れた天神山に本陣を構えた。

 尼子軍の総大将、尼子詮久(あまごあきひさ)は、
 本陣を見渡しの良い三塚山に移す。

 そして年が明けて天文十年(1541)一月十三日。



 夜明けと共に、吉田郡山城から毛利軍が撃って出た。

 その中には、毛利元就の次男、少輔次郎の姿があった。
 まだ元服も果たしていない少年だが、これが初陣となる。

 城外の小早川興景、宍戸元源の軍勢がこれに加わった。


 尼子軍は不意を突かれた。

 毛利、小早川、宍戸の軍勢の標的は尼子本陣ではなく、
 本陣より南にある宮崎長尾の地に陣を張っていた、
 吉川興経・高尾久友・黒正久澄らの尼子勢だったのである。

 突然の奇襲に慌てた宮崎長尾の尼子勢は、統率を失いかけた。
 高尾豊前守久友は討ち取られ、黒正久澄は狼狽して逃亡。

 残る吉川興経(きっかわおきつね)は、
 正面から毛利軍と衝突して奮戦した。

 毛利軍の中に、明らかに若年の少輔次郎の姿があるのを見て、
 吉川興経は侮るなかれと奮起して、毛利軍に襲い掛かる。

 しかし、毛利軍の真の目的は宮崎長尾の陣の撃破ではない。
 十分な戦果であると判断して、次郎は退却の声を挙げた。
 毛利軍は吉川勢を尻目に、迅速に宮崎長尾から郡山城に撤退した。

 毛利少輔次郎の初陣は、成功を収めた。



 三塚山の本陣から宮崎長尾を見下ろしていた尼子詮久は、
 本陣を固めるため、宮崎長尾に援軍を出せずにいた。
 高尾、黒正の軍勢がもろく崩れていく様子を眺めるしかなかった。

 気になっていたのは、正面にいる陶隆房の大内軍である。
 大内軍の主力が正面から本陣を攻撃してくるのを防ぐため、
 山麓から本陣にかけて配備した兵を動かせなかったのである。


 宮崎長尾の陣を散々に荒らした毛利軍が郡山城へ撤退する頃、
 尼子詮久の居座る三塚山の本陣が突然、大混乱に陥った。

 大内軍の武将、弘中隆包が、陶隆房の大内軍主力から分離し、
 迂回して三塚山の背後から本陣へ奇襲をかけたのである。

 突然本陣に現れた弘中隆包の軍勢に、尼子詮久は危機に立たされた。
 本陣の尼子軍は周章狼狽し、次々と大内軍に倒されていく。

 


 陶隆房の攻撃に備えて山麓にいた尼子軍の猛将・尼子久幸は、
 総大将の危機を知って本陣へ向かい、敵軍を撃退しようとしたが、
 防戦の途中で大内軍から放たれた矢に当たり、あえなく戦死した。

 山麓に布陣していた尼子軍が続々と、本陣へ救援に駆けつけてくる。
 弘中軍はそのうち、再び風のように三塚山から去っていった。

 総大将の尼子詮久の命はかろうじて無事だったものの、
 三塚山の本陣は無残にも、尼子勢の死体で埋め尽くされていた。



 その夜、尼子詮久は全軍に総退却を命じた。

 吉田に侵攻してから既に五ヶ月が経過し、食糧の補給も難しく、
 冬の寒気で士気が著しく低下することに加えて、
 山口から大内義隆率いる援軍が向かっているとの情報も入った。

 尼子軍は、夜陰にまぎれて出雲国へと退却していった。

 大雪が毛利軍の追撃を阻んでくれたことが幸いであったが、
 戦死した尼子久幸の首も持ち帰ることができないほどの慌しさで、
 あまりの多くの損害を出した、目に余る惨敗だった。
 


 尼子勢を退けた大内軍は、勝利に湧いた。

 総大将の陶隆房をはじめ、山口から援軍に駆けつけた諸将は、
 吉田郡山城に入城し、毛利元就たちと喜びを分かち合った。


 三塚山本陣の奇襲で大きな働きを見せた弘中隆包は、
 宴会の騒がしさから少し離れた窓から、郡山城下を眺めていた。

 気にかけた毛利元就は、隆包に歩み寄った。


 「いかがされた、弘中殿。もう呑まれぬか」

 「ここは良い城ですな、毛利殿。堅牢さはもちろんだが、
  毛利家中の団結が申し分ない。言わば、人が城を成している」


 隆包の目は酔っていなかった。
 そして大勝に浮かれてもいなかった。

 常に明日を考え、将来を見る将なのだと、元就は感じた。
 元就は隆包に並んで、窓から吉田の地を見渡す。
 

 「今の毛利の団結を作るまでに、いろいろな苦労があり申した。
  家中をまとめるために、実の弟や功臣を誅殺したこともある。
  山口の大内一門は弘中殿や陶殿をはじめ、一つにまとまっている。
  私は、大内の家臣団のような団結を見習ってきたのです」

 「確かに、大内家中はそれぞれが血縁で結ばれ強く結ばれています。
  しかし、いつ砂壁のように崩れていくかも分かりませぬ」

 「…我が毛利のように、大内に付いたり尼子に付いたりと、
  浮いた存在の者が家中にいると、結束を欠くということですな」

 「いえ、決して毛利家のことを言っているわけでは」


 隆包は慌てて首を振った。元就は、戯言だと笑った。
 勝利の宴の喧騒を遠くに聞きながら、隆包は元就に言う。


 「人の結束こそ、戦勝の要でありましょう。
  大内を盤石にするには、人の結束を強めねばなりませぬ。
  人の結束は、それぞれの義の心によって成るもの」

 「義の心」

 「主従、常に義心を持つことで、百万一心の結束が成る。
  百万一心の結束こそ、最も強き国を作るのだと存じます」

 「百万一心、…とは?」


 聞きなれない言葉に、元就は首を傾げる。

 隆包は、目の前の壁に指でその字の形をなぞってみせた。
 元就はその指先の動きを凝視した。


 「百万一心、と書くとこのように、
  『一日一力一心』という字になるのです。
  一日一日を、一人ひとりが力を合わせ、心を共にすることで、
  大きな力と成りどんなことも叶う、という意味でござる」

 「百万一心…。毛利も、かくありたいものです」

 「元就殿がまとめ上げた毛利こそ、百万一心に向かっております。
  元就殿のその心を、私もこれから多いに学ばせて頂きたい」

 「何を言われる、弘中殿。こちらが願うことでござる。
  我が子・少輔次郎も、弘中殿の言うとおり見事に初陣を果たした。
  隆元や次郎も、弘中殿の智勇を深く慕っておるようです。
  是非これからも、共に力を合わせましょう」


 毛利元就と弘中隆包は、目を細めてうなずき合った。

 二将は互いを認め合っていた。
 大内の家臣団に二将がいる限りは衰えることはない。
 そのようなことも互いの心には芽生えていたかもしれない。



 陶隆房や弘中隆包たち大内の援軍が山口に帰った後、
 隆包から改めて結束と義心の大切さを伝えられた元就は、
 家臣たちと共に更なる結束を誓った。

 かつて相合元綱を擁立して毛利に叛旗を翻したため誅殺した
 渡辺勝(わたなべすぐる)の嫡子・渡辺通(わたなべかよう)は
 備後(=広島県東部)国人の山内直通の下に逃亡していたが、
 これを許し、毛利家臣としてその武勇を振るうよう呼び戻すなど、
 毛利軍を優れた人材で固めることに注力した。


 また毛利元就は、さらに吉田郡山城の堅牢を強めるべく、
 姫の丸の建造にかかった。

 この頃、城の建設には「人柱」を立てるのが常識だった。
 今後の戦勝を祈願し、生贄の人間を生き埋めにするのである。

 しかし、弘中隆包から百万一心の言葉を聞かされた元就は、
 領内の欠けることを良しとせず、人を埋める人柱の代わりに、
 「百万一心」と刻んだ等身大の石柱を埋めることにした。

 それ以降、「百万一心」は毛利家中の信条となっていく。



 尼子氏が吉田郡山城の戦いの惨敗で大きな損害を被ったことにより、
 中国地方の形成は、尼子氏よりも大内氏に向き始める。

 その大内の家臣団の中で、
 その智謀を光らせる毛利元就と弘中隆包。

 互いを認め合うこの二将はやがて、
 大内家をめぐる数奇の運命の波の中で、
 互いの智略を戦わせることになる――――。
 


 (つづく)




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  『厳島戦記』武将列伝 [二]
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 ■弘中隆包 (ひろなかたかかね)

 周防国(山口県)岩国の領主で、大内家に仕える家臣の一人。
 秀でた智勇を大内義隆に認められ、安芸国(広島県)守護代として
 安芸西条の槌山城の城主となり、同じく安芸の毛利元就と共に
 備後の守備を担った。後に、厳島海戦にて元就との対決を迎える。
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