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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
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厳島戦記(一) 吉田郡山の巻

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 厳島戦記(一) 吉田郡山の巻
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                       第一部「郡山籠城戦」




 毛利元就は、風を待っていた。


 天文九年(1539)、安芸国吉田(現=広島県安芸高田市)。

 吉田郡山城の眼下には、三万余という尼子の軍勢が取り囲んでいる。
 城を守る毛利軍は、およそ二千足らず。

 吉田郡山城の堅固さと、毛利元就の巧みな戦術で、
 圧倒的な兵力差にも因らず尼子軍に苦戦を味わせるものの、
 両軍共に疲労が募り、にらみ合いの硬直状態にあった。

 静まり返ったこの対峙中の形勢を動かし始める、風。
 元就は、そんな風を待っていた。



 時は、戦国時代。
 応仁の乱を契機に、全国は群雄割拠の時代が続いていた。


 その頃の中国地方では、二つの勢力が覇を広げていた。

 周防国(現=山口県)を本拠とする大内氏と、
 出雲国(現=島根県)を本拠とする尼子氏である。

 安芸国吉田の小勢力であった毛利家は、
 その二大勢力に挟まれ、
 常に、どちらに従属するかで揺れ動く存在であった。


 永正十三年(1516)に毛利家当主の毛利興元が急死し、
 幼少ながらその後を継いだ長男の幸松丸も七年後に九歳で死去。

 そのため、興元の弟である元就が毛利家の家督を継いだ。


 彼こそが、後に中国地方を制覇する英雄・毛利元就である。

 しかしまだこの頃の毛利は、安芸の小豪族に過ぎず、
 後にその名の知られる毛利元就も、大変な苦労を重ねた。

 嫡男ではない元就が家督を相続することをめぐって家内が分裂。
 元就の異母弟・相合元綱がすぐに謀反を起こした。
 その裏では、安芸の侵攻を目論む尼子氏が糸を引いていた。

 元就は相合元綱とその一派を誅殺して家中の動揺を抑え、
 この混乱の黒幕である尼子氏との断絶を決意。
 周防の大内氏の傘下に属することを明らかにした。


 やがて、大内氏の隆盛を築いた大内義興が死去して
 その長子である大内義隆(おおうちよしたか)が家督を相続。
 一方、尼子氏を大勢力へと導いた尼子経久も、
 隠居して孫の尼子詮久(あまごあきひさ)に家督を譲り、
 中国地方の覇権は次世代の者たちが担うようになっていた。

 尼子家当主となった尼子詮久は、離反した毛利を許せず、
 三万の大軍を率いて石見路から吉田荘へと攻め込み、
 毛利元就の守る吉田郡山城を包囲したのである。


 後に言う、「吉田郡山城の戦い」である。



 尼子勢を眼下に見下ろす吉田郡山城の土塁から、
 風はまだかと曇天を仰ぐ、毛利元就。


 その後ろには、まだ初々しい甲冑姿の若武者が控えていた。

 一人は元就の長男、毛利隆元(もうりたかもと)。
 長らく山口の大内義隆の元で人質生活を送っており、
 先日帰国を許されて山口から吉田に戻ってきたばかりである。

 そしてもう一人は、次男の少輔次郎。
 まだ元服も済んでいない弱冠十歳の子供だが、好奇心旺盛で、
 父や兄の心配をよそに、自ら参戦することを選んでいた。


 「風か」

 元就の発した言葉を耳にして、隆元と次郎は空を見上げた。

 二人の息子には肌に何も感じることができなかったが、
 元就には、一陣の風が駆け抜けた気がしたらしい。

 するとその直後に、背後から伝令の声が聞こえた。


 「大内軍より、ご使者ご到着!」


 「来たか」と元就は振り返って、急いで歩き出した。
 慌てて、隆元と次郎がその後に続く。



 「隆包殿、よくぞお越し下さった!」

 真っ先に声を挙げたのは、隆元だった。


 そこに立っていたのは、大内家の武将、
 弘中隆包(ひろなかたかかね)であった。

 弘中隆包は毛利隆元と年齢も近く、
 主君の大内義隆から同じ「隆」の字を賜った名を持つ者同士、
 親交を深めた仲だった。

 長らく山口で人質生活を送った隆元にとって、
 隆包との友情はその辛さを忘れる貴重なものであった。



 弘中家は鎌倉時代より周防国岩国(現=山口県岩国市)の領主で、
 代々、鎮守である白崎八幡宮の大宮司を務めている家系である。

 隆包は、大内氏に仕えた弘中下野守興勝の嫡男で、
 父の興勝が隠居をして家督を継いでからは、
 大内家の旗下に参じ、また白崎八幡宮大宮司の座も継いだ。

 吉田の毛利氏、岩国の弘中氏は
 共に大内勢力にとって東の守備を任された存在とあって、
 以前より互いに大きな親交があった。



 この度、尼子軍の吉田郡山城への進軍を知った元就は、
 山口の大内義隆に援軍を要請。

 大内義隆は、陶隆房(すえたかふさ)を総大将に任じ、
 毛利を救うべく二万の軍勢を向かわせた。

 東方の地理に明るい岩国領主の弘中隆包も牽引役として同行。

 陶隆房率いる二万の大内軍は、山口を経ち海路へ出て、
 厳島神社にて戦勝祈願を行なった後に、吉田へと向かった。

 毛利家と親交の厚かった弘中隆包は、
 自ら援軍到着を知らせる使者となり、
 真っ先に吉田郡山城へ駆けつけたのだった。



 「よくぞ駆けつけて下さった、弘中殿。元就でござる」

 「元就殿。お久しぶりにございます。ご無事で何よりです。
  間もなく大内軍が到着する旨をお伝えに参りました」

 「首を長くしてお待ちしておりました。心が躍らんばかりです」

 「宮島の厳島神社に寄り、この度の戦勝を祈願して参りました。
  この戦、必ずや我らに勝利のご加護がございましょう。
  さっそくですが、現況はいかがかと」

 「こちらをご覧下され」


 元就は手にしていた郡山城近辺の布陣図を広げた。
 隆包も覗き込むように、元就と共に床に腰を下ろす。
 隆元と次郎が、元就の脇に座した。


 隆元は傍から、父元就と弘中隆包の手際の良さに見入っていた。

 会ってからすぐに綿密な軍略の確認が始まり、
 あっという間に今後の戦術の動きが出来上がっていく。

 十二月三日に、陶隆房(すえたかふさ)率いる大内軍の援軍が
 吉田荘に到着し、見渡しのいい場所に布陣すると、
 尼子勢は大内軍と毛利軍の合流を阻止する動きに走るはず。
 そこで年内は牽制しながら、年明けに襲撃を行なうべきだ、
 という算段を確かめ合った。

 山奥にある吉田の地は、年が明ける頃には深い雪に閉ざされる。
 大軍で遠い地に進軍している尼子軍は、必ず兵糧の調達に困り、
 著しく士気が低下するであろう、という目論見である。



 「私も、出陣致します!」

 突然、次郎が甲高い声を張り上げた。

 固い表情で話し合っていた元就も隆包は、
 それを聞いて思わず噴き出してしまった。

 元就は次郎の背中を押して、隆包に紹介した。

 
 「これは次男の少輔次郎です。暴れん坊で困ってましてな。
  元服もまだだと言うのに、戦に出ると言って聞かぬ」

 「次郎殿は立派な眼をしてございますな。
  闘志獅子の如く、もはや初陣を飾られてもおかしくない」

 「さようですかのう。今回の戦いで、嫡男の隆元がようやく
  初陣を務めることになるのですが、
  弟の次郎の初陣はまだ早いのではないかと思っておって」

 「いや、初陣は齢で決めるより心で決めるのがよいかと存じます。
  私にもまだ初陣を果たしておらぬ弟が山口におるのですが、
  戦の機会が頂けるならば、今すぐにでも戦場に立たせたい。
  次郎殿にとっては、今こそ絶好の初陣の機会ではありませんか。
  初陣が早ければそれだけ、名将に育つのも早い」

 「ふうむ」


 元就は心配そうに、息巻く次郎を見た。

 弘中隆包の賛同という大きな助力を得た次郎は、
 大きめの甲冑を鳴らしながら、刀の柄を握ってみせた。

 その初々しさに、隆包も微笑む。



 隆元と次郎の兄弟は、大内軍へと戻る弘中隆包を見送った。
 隆元は晴れやかな表情で隆包に言った。

 「隆包殿、父に次郎の初陣を推して下さって感謝申し上げる。
  父も次郎を戦場に立たせることを決意したようでござる」

 「次郎殿は我が弟に比べればしっかりしておられる。
  必ずや初陣も大きな成功を収めよう。のう、次郎殿」

 隆包は次郎の肩当てを軽く叩いた。
 次郎は眼を輝かせて「はい!」と大きく返事をした。


 「では隆元殿、次郎殿。我ら、共に力を合わせて、
  尼子軍を追い返しましょうぞ」

 「はい。隆包殿もお気をつけてお戻り下され」


 隆包はうなずくと、郡山城を駆け下りていった。

 隆包に闘志を評された次郎は、心を熱くしながら
 風のように遠く去っていく隆包の後姿を見送り続けた。



 弘中隆包の進言で、毛利元就に初陣を許された少輔次郎。

 この弘中隆包と毛利少輔次郎の二人は、
 やがてその運命が大きく絡み合うことになるのだが、
 そのような将来を、この時の二人はまだ知る由もなかった――――。


 (つづく)




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  『厳島戦記』武将列伝 [一]
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 ■毛利元就 (もうりもとなり)

 安芸国(広島県)の小勢力から一代で中国地方全土に勢力を広げた
 智謀に長けた戦国大名。その緻密な軍略で大内氏、尼子氏を滅ぼし、
 九州にまでその勢力を広げていった。稀代の謀将と謳われる。
 三人の息子に結束の大切さを諭した「三本の矢」の逸話が特に有名。
| 『厳島戦記』 | 23:54 | comments(1) | trackbacks(0) |
はじめまして、臆病野州と申します。
毛利好きということで、たまたま面白そうな小説だなと思い、今回一通り拝見させていただき、思ったことがあったのでコメントさせていただきました。
とても弘中愛が伝わってくる感じで、毛利好きとしてはツッコミどころも有りましたが…面白いなと率直思いました。また、弘中家について新たな見方ができ、失礼ながらたいへんためになりました。
まだまだ弘中家のことは明らかになっていないこともあるかと思いますが、これからも執筆活動頑張ってください。
| 臆病野州 | 2016/09/01 8:02 AM |









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