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Timestageのメンバーが、歴史にまつわる雑談を気まぐれに語っていくブログ。
門司戦記(十三) 西国無双の巻
―――――――――――――――――――――――――――― 
門司戦記 〜雷雲の陣〜
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  (十三) 西国無双の巻 
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 戸次鑑連(べっきあきつら)の愛刀、
 雷切(らいきり)の刀身が、
 弘中方明(ひろなかかたあき)の槍を
 押し込みながら、ぎりぎりと首を狙う。

 弘中方明は片膝を地に着きながら
 雷神の太刀を全力で押し返しているが、
 もはやそれに耐える力は残されていない。

 死刑執行の刃が、首元まで迫っている。


 弘中方明は、残る力で声を振り絞った。


 「親父どのーーーーっ!」


 その声で、明神曲輪(みょうじんくるわ)の様子が
 大きく動く。

 方明の声を合図に、
 土手の上にいた堀立直正(ほたてなおまさ)が
 右手の刀を大きく振り上げた。

 その直後、土手の上で明神曲輪を囲む
 毛利軍の弓箭部隊が一斉にその矢を構え、
 大友軍と交戦していた毛利の将兵たちも
 その土手の上へと一気に退散した。

 刃を交わしたままの戸次鑑連と弘中方明が残され、
 大友軍の第二陣と共に、
 曲輪を囲む毛利の矢の標的となった。


 「待て、方明を射てしまう!」

 毛利軍の総大将・小早川隆景(こばやかわたかかげ)が
 慌てて堀立直正に駆け寄った。

 だが、堀立直正が小さくうなずいたのを見て、
 弘中方明・堀立直正の義父子の信頼関係の間で
 意思疎通ができていることをすぐ見抜いた。

 土手に上がった冷泉元豊(れいぜいもととよ)、
 桂元親(かつらもとちか)ら若手の将たちも、
 心配そうに追いつめられる弘中方明を見つめている。

 静寂と緊迫感が、門司城の中に張りつめた。



 「負けを認めたか、風神の弟」


 戸次鑑連は、周囲の毛利軍の動きを察知し、
 目の前に押さえつけた弘中方明に言う。

 周囲の毛利兵への合図を、
 好敵手の最後のあがきの声だと見たのである。

 弘中方明は自嘲気味に小さな笑みを見せながら、
 戸次鑑連に言葉を返す。


 「ああ……。あんたの勝ちだ。
  この門司城の中に、あんたを超える武人はいない」

 「ゆえに、道連れにその身を捧げるというか。
  賢明な死に様よ」

 「いや、取引だ。戸次殿」

 「……何だと?」


 戸次鑑連の眉が動く。

 至高の武人にとって、土壇場の足掻きは気に障る。

 この雲将もちまたの俗人と同類であったか、
 という残念な表情が見て取れた。

 しかし、弘中方明は言葉を続ける。


 「戸次殿、あんたももう分かっているはずだ。
  大友軍の突入は、毛利の罠にかかっていて、
  後ろの本軍ももう危機だってことを」

 「……」

 「それでも雷神自ら乗り込んできた理由は
  俺にだって分かる。
  周りの毛利の矢が狙うは、俺とあんたじゃない」
 
 「……!」


 鬼戸次の喉から、うなり声が上がった。

 堀立直正の発射合図を待つ毛利の弓箭部隊は、
 武を合わせる戸次鑑連と弘中方明ではなく、
 最初の一斉射撃を受けて
 瀕死の状態で地にうめく大友の先鋒部隊に
 さらにとどめを刺すことを狙っていたのである。

 先鋒部隊の突入失敗を知りながら
 戸次鑑連が自ら後続で乗り込んできたのは、
 生き残った彼らをできる限り助け出すためであった。

 雷切の刃を防ぐ槍に両手を奪われている弘中方明は、
 顎で周囲に横たわる二将を差し示そうとする。
  

 「由布源兵衛、小野弾介……。
  彼らはいずれ天下に名を残す槍使いになるぜ。
  彼らに矢傷がなければ、俺は負けていただろう。
  あの若人たちを、ここで殺すのは惜しい」

 「む……」

 「だから、彼らを連れて、ここは退け。
  だが、門司城のこの先を望むなら、
  毛利の矢は、あんたも俺も、彼らも射抜く」


 戸次鑑連にも、今回の門司城攻略作戦は
 根本的に失策であったことは分かっている。

 主君・大友義鎮(よししげ)の本陣にも
 危機が迫っているかもしれないのだ。

 すぐにでもこの門司城の罠から味方を救い出し、
 後方へと引き上げなければならない。

 弘中方明の申し出た駆け引きは、
 まさにその戸次鑑連の葛藤を突いていた。


 「……二言はなかろうな」

 「毛利が大友軍を射れば、俺もろともだ。
  担保はこの弘中方明の身一つ。信じろ」

 「いいだろう」

 
 戸次鑑連は、弘中方明から太刀を引いた。

 強烈な力から開放された弘中方明は、
 槍の柄を地に突いて、かろうじてその身を支える。

 
 戸次鑑連が雷切を掲げて、合図を出した。

 すると、戸次鑑連を乗せた大きな輿を担いでいた
 黒い鎧の大友兵が、瞬く間にその輿を分解し、
 そこに何枚もの板が出現した。

 そして、明神曲輪に横たわる将兵の中で、
 息のある負傷者を次々とその輿に乗せていく。

 輿が担架の代用となっていたのである。

 (戸次隊の輿って、このためにあったのか……!)

 そのあまりにも素早い大友軍の処置に、
 その渦中にいる弘中方明も、
 彼らを取り囲んでいる毛利の将兵たちも、
 呆気にとられている。

 戸次鑑連は由布源兵衛、小野弾介の若き二将を
 軽々と担ぎ上げて、輿の一つに乗せた。

 そして、再び戸次鑑連の合図と共に、
 負傷者を担架として輿をかつぎ上げていた部隊は、
 一気に明神曲輪から城門の外へと駆け下りていった。

 戸次鑑連はその殿(しんがり)となって、
 毛利軍ににらみを利かせていた。

 輿部隊が全て退却をしたのを確認して、
 戸次鑑連は最後に弘中方明に雷切の先を向けて言った。


 「弘中殿。この勝負、おぬしの負けではない。
  引き分けのまま、退かせてもらおう。
  だが、次の勝負はおぬしを葬る」

 「正攻法じゃ、俺はあんたには勝てないから、
  次は俺のやり方で、あんたの喉元を狙うぜ。
  次こそは、俺が雷神から勝ちをもらう」

 「いいだろう、どんな方法でも挑むがいい」


 戸次鑑連と弘中方明、雷雲の二将は、
 その眼光で火花を散らしながらも、
 再戦を楽しみにするかのように笑い合った。

 そして戸次鑑連はきびすを返し、
 悠々と門司城から引き上げるのであった。


 毛利軍の若き総大将・小早川隆景は、
 戸次鑑連の卓越した武術と用兵を目の当たりにして、
 固唾を飲みながら呟く。

 「豊後の雷神、まさに西国無双の武人なり……。
  彼が九州にいる限り、
  毛利が大友を凌駕するのは至難の業だろうな……」


 冷泉元豊ら、若き毛利の将たちは次々に土手を駆け下り、
 雷神との死闘でもはや歩く力をも使い果たし
 明神曲輪の中央で立ち尽くす弘中方明に
 肩を貸して心配の声をかけた。

 弘中方明がその身を捧げた駆け引きをしなければ、
 今頃あの化け物のような強さの雷神は、
 毛利の将兵たちをさらに切り刻んでいたであろう。

 戸次鑑連を無傷で取り逃がしたことよりも、
 今以上に被害が拡大しなかったことに、
 明神曲輪の毛利兵たちは安堵の息をついたのだった。


 そして、戸次鑑連隊が大打撃を受けたのと同じく、
 他の大友軍の各隊も、毛利軍の調略によって、
 甚大な損害を被っていた……。


 (つづく)





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  『門司戦記』武将列伝 [十三]
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 ■桂元親 (かつら もとちか)

 毛利家家臣。父は「厳島の戦い」で大きな戦功を立てた
 宿老の桂元澄(もとずみ)。武芸に秀でた若き武将で、
 同じく重臣・赤川元保の子・赤川元徳(もとのり)と
 共に毛利軍の若手を引っ張る。冷泉元豊(もととよ)ら
 大内の降将たちを当初味方として認めていなかった。
| 『厳島戦記』 | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(十二) 雷雲激突の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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 (十二) 雷雲激突の巻 
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 毛利軍、大友軍の両軍が入り乱れているはずの
 門司城の明神曲輪(みょうじんくるわ)が、
 肌を刺すような緊張感を伴う一瞬の静寂に包まれた。

 大友軍随一の猛将、
 戸次鑑連(べっきあきつら)が地に降り立つ。

 若き日に雷に打たれたことで歩行困難となり
 輿の上での戦を余儀なくされたと思われていた
 鬼戸次が、その両脚で立ち構えているのである。

 それは敵の毛利軍だけではなく、
 味方の大友軍の将兵でさえも、
 ほとんど誰もが見たことがない光景だった。


 戸次鑑連が繰り出した愛刀・雷切(らいきり)の一撃を
 かろうじて避けた弘中方明(ひろなかかたあき)は、
 素早く両手の槍を握り締め直した。

 数々の戦場をくぐり抜けてきた弘中方明も、
 鬼戸次の並ならぬ気魄に、
 身の毛がよだつほど身体の芯が強張る思いがした。


 「やはり只者じゃねーな……、豊後の雷神は」


 呼吸を整えるようにつぶやく弘中方明。

 それに対し、不敵な笑みをこぼしながら、
 戸次鑑連が答える。


 「おぬしの槍も、見上げたものだ。
  この雷神を輿から降ろすとは」

 「……」

 「さすがは、周防の風神の血よ」

 「……!」


 雷神の口から出た風神という言葉に、
 弘中方明は一瞬面食らった。


 「……知っているのか、兄上を」

 「無論。忠節に生きた風神、
  いつかは出会いたかったものだ」


 周防の風神。

 先年の「厳島の戦い」で凄絶な討死を遂げた
 方明の兄・弘中隆包(たかかね)のことである。

 生前の弘中隆包は、その疾風迅雷の用兵術で
 周防国(=山口県)の風神と称されていた。

 大内氏への忠義をまっとうした弘中隆包が
 最後に仕えていた主君は、
 大内義長(おおうちよしなが)。

 戸次鑑連が家督相続前から支え続けている
 大友義鎮(おおとも よししげ)の実弟である。

 主君の弟君が隣国の大内氏を継ぐことになった時、
 戸次鑑連は密やかにその身を案じ、
 常に大内氏の動向に気を向けていた。

 そして、風神・弘中隆包の忠義を聞き及び、
 大内義長の運命を内心で彼に委ねたのである。

 天運の流れによって、その弘中隆包は厳島に討たれ、
 大内義長もこの世を去ることになったが、
 戸次鑑連は弘中隆包の死に様を伝え聞いて、
 武士としてかくありたいと心に思っていた。

 武士は武士を知る。

 出会うことのなかった風神と雷神の運命が、
 今ここで弘中方明によって繋がれた。


 そして、戸次鑑連は厳島に散った風神だけではなく、
 その弟の弘中方明のこともあらかじめ知っていた。


 「風神を支えた岩国の雲、弘中河内守か。
  噂に違わぬ、槍の腕よ」

 「俺の名も知っていたのか……」

 「源兵衛からも、弾介からも聞いている。
  ザビエル殿からもな」

 「……!」


 弘中方明はさらに驚く。

 門司城突入の際に槍を合わせた
 源兵衛こと由布惟信(ゆふ これのぶ)に、
 小野弾介(おのだんすけ)。

 また、周防山口(=山口県山口市)の政変の時に
 方明によって豊後国への逃亡を手助けされた
 異国の宣教師フランシスコ・ザビエル。

 彼らによって、弘中方明の勇は、
 天下にその名の轟く雷神の耳に届いていたのである。

 大内や毛利を陰ながら支えてきた
 岩国の雲将・弘中方明の名も、
 戸次鑑連の頭の中にはしっかりと刻まれていた。


 「だが、この雷神の武は封じることはできぬぞ。
  見せるがいい、雲の武を!」

 「……!」


 あっという間に、戸次鑑連は間合いを詰めて
 弘中方明の前で
 雷切を持つ手を大きく振りかぶっていた。

 弘中方明は慌てながらもとっさに身を返し、
 その電光石火の大太刀を間一髪で避ける。

 雷切が明神曲輪の地をえぐり、電気の花が散った。

 弘中方明は反射的に槍先を叩き込むが、
 翻った雷切の刃がそれを弾き返し、
 槍を握った両手に電流のような刺激がほとばしる。


 「ぐっ……!」


 戸次鑑連のと剛腕と敏速は、
 完全に弘中方明の予想を超えていた。

 海の戦いに明け暮れ
 敏捷さは誰にも負けなかった弘中方明を
 はるかにしのぐ速度で、
 戸次鑑連の雷切の刃は方明の身に迫っていく。

 弘中方明は自らの浅はかさを恥じ、後悔した。

 天下にその名の轟く勇将とは言え、
 戸次鑑連を輿の上だけの不随の将だと侮っていた。

 輿からの攻撃はあらゆる想定をして、
 討ち取ることはできるだろうと思っていたのである。

 戸次鑑連が両脚で地に立った時点で、
 弘中方明の考えつく限りの対策は全て消し飛び、
 もはや決定打の糸口が全くつかめない。

 力に押されてはよろめき、
 素早く身を起こしては斬撃に追いつかれ、
 弘中方明は雷神に圧倒的に追い詰められていった。

 その一方的な一騎討ちの凄まじさに、
 大内軍を殲滅していく明神曲輪の毛利勢も、
 固唾を呑むばかりで近づけない。


 誰が見ても息が上がり
 持久力に限界が来ている弘中方明に、
 雷神の大太刀は容赦なく襲いかかる。

 そして、槍で大きくその攻撃を振り払ったために
 広い隙ができてしまった弘中方明目がけて、
 戸次鑑連はその大太刀を頭上に振り下ろした。

 弘中方明はその一撃を真正面から槍で受ける。

 しかし、その強烈な圧力に押され、
 また片膝をついた。

 戸次鑑連はその槍を真っ二つに折らんばかりに
 雷切の刃をギリギリと捻じ込んでいく。

 重なる武器越しににらみ合う両将。

 弘中方明は歯を食いしばりながら押し返そうとするが、
 戸次鑑連の力は弱まることなく迫ってくる。


 「弘中殿っ!」

 弘中方明の危機を見かねた若き三将が、
 取り囲む毛利軍の中から飛び出した。

 冷泉元豊(れいぜいもととよ)、
 桂元親(かつらもとちか)、
 赤川元徳(あかがわもとのり)の三名である。

 しかし、弘中方明は渾身の声を振り絞り、

 「来るなっ────!」

 と、彼らの加勢を制した。

 冷泉元豊、桂元親、赤川元徳の足が
 その声でピタリと止まる。

 毛利軍の中ではその武勇を誇る彼らであっても、
 この戸次鑑連という桁違いの猛将の前では、
 その一振りで命を散らすことになるかもしれない。

 たとえ一方でこの雲将の相手をしながらも、
 いとも簡単にもう一方の敵将も切り裂いてしまう、
 戸次鑑連はそれほどの卓越した武の持ち主なのだ。

 弘中方明の覚悟の声を聞き、
 戸次鑑連はますます踏み込んで雷切に力を込める。


 「どうした、風神の弟よ。
  その首級、そのうち落ちるぞ」


 槍で防いでいる雷切の刃の直線上に、
 自分の首の位置がある。

 門司城明神曲輪の中央で、
 弘中方明は足下の地面に埋められそうなほど、
 戸次鑑連の大刀に圧しつけられていた。

 豊後の雷神の前に、成す術無し。

 弘中方明は、絶体絶命の危機に陥る────。



 (つづく)






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  『門司戦記』武将列伝 [十二]
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 ■杉彦三郎 (すぎ ひこさぶろう)

 毛利家家臣。かつて大内氏三家老の一つであり九州の
 守備を任された杉氏の一将で、大内氏滅亡の後に毛利氏に
 従属。門司城の支城・三角山城の主将に任じられる。
 「門司城の戦い」で配下の内通により城を大友軍に奪われた
 ことにより、門司城攻防戦はさらに熾烈を極めていく。

| 『厳島戦記』 | 02:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(十一) 雷神降臨の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(十一) 雷神降臨の巻 
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明神曲輪(みょうじんくるわ)で
大友軍の先遣隊をほぼ全滅させた毛利軍だったが、
さらに城門から新手の鯨波が耳に入る。

猛将・戸次鑑連(べっきあきつら)の
第二陣である。

討ち果たした先鋒隊に劣らぬ勢いで、
次鋒隊は城門から明神曲輪まで駆け上がり、
待ち構えた毛利軍に激しくぶつかる。

両軍の刃を交える激しい金属音が、
門司城の中に幾度も響く。


若将の冷泉元満(れいぜいもとみつ)は、
敵の中に、咆哮して戦斧を振り回す
どこか派手な存在感を放つ若武者を目にした。

今度こそ武勲を上げてやるとばかりに
太刀を構えて走り出そうとすると、
「おい、大内勢は引っ込んでろ」と、
二人の味方から肩を押しやられた。

元満よりも少し年長の、
桂元親(かつら もとちか)、
赤川元徳(あかがわ もとのり)の二将だった。

桂元親は、毛利古参の重臣である桜尾城城主、
桂元澄(もとずみ)の子。

赤川元徳は、毛利家の筆頭奉行人である宿老、
赤川元保(もとやす)の子。

どちらの父も
毛利元就が中国地方に雄飛する前からの股肱の臣。

そのため二人とも、
自分たちは次代の毛利を受け継ぐという誇りから、
厳島合戦の後に従属してきた大内勢の新参者を
下に見ていたのである。

桂元親も赤川元徳も、まだ若い。

大内勢の中でも特に若い冷泉元満らを
どこか蔑視していた。

冷泉元満を押しのけた桂元親と赤川元徳は、
恐らく同世代であろう敵将に向かって、
刀を振り上げながら突進した。


「桂元澄が子、桂兵部大夫元親!」

「赤川元保が一子、赤川又右衛門元徳だ!」


毛利家中の名門であることを名乗りながら、
戦斧の若武者に走り寄る。

その二人の突撃に気付いたその若き敵将は、
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、
戦斧を構えながら、雄叫びのような声を放った。


「わしは、吉弘統清(よしひろむねきよ)じゃァァ!」


吉弘統清と名乗ったその将は、
豊州三老の一人・吉弘鑑理(あきまさ)の一族で、
鑑理がその武勇を見込んで戸次隊に預けた若者だった。

大きな身体とは裏腹に、
吉弘統清は眼にも止まらぬ速度で、
その毛利の二将に向かって突っ走り、飛びかかった。

まず、その巨体は赤川元徳目がけて落ちてきた。

全体重が宙から乗った戦斧の力を十分に受けられず、
赤川元徳は後方へ吹っ飛ばされ、背中から落ちる。

その隙に背後から桂元親が刀で突いたが、
吉弘統清は素早く振り向くとその一撃を戦斧で弾き、
桂元親の腹部を片足で蹴り上げた。

突然の激痛に、桂元親は片膝をつく。

吉弘統清の並外れた敏捷力は、
桂元親や赤川元徳の目には追えなかったのである。

目の前の桂元親の首を落とそうと、
吉弘統清は容赦なく右手の戦斧を振り下ろした。

だが、大きな刃音が、
その強力な戦斧を防いだ。

死を覚悟した桂元親が恐る恐る見上げると、
そこには、冷泉元豊(もととよ)が、
吉弘統清の斧を太刀で受け止めていた。


「何だァ? てめえは」

「毛利の将、冷泉五郎元豊」


絶好の獲物を邪魔された吉弘統清は、
とたんに目を血走らせて相手の刀を払い、
再び地に響くような雄叫びを上げ、
敵の頭を叩き砕くべく戦斧を打ち振るう。

だが、冷泉元豊はその気迫に全く動じず、
戦斧の一撃を冷静に払いのけて、
その小手に太刀を素早く叩き込んだ。

その衝撃で、吉弘統清の腕から戦斧が地に落ち、
次の瞬間には、吉弘統清の首に
冷泉元豊の太刀の刃が深々と食い込んでいた。

豪傑・吉弘統清は
前のめりに地に倒れ、絶命した。


冷泉元豊は刀身にまとわる鮮血をさっと払うと、
目の前で膝をついて硬直する桂元親に手を貸した。

唖然として一部始終を見ていた赤川元徳も、
我に返って駆け寄ってくる。


「大丈夫か、元親殿、元徳殿」

「あ、ああ……。助かったぞ、元豊殿」

「すまぬ、元豊殿」

桂元親と赤川元徳は、肩をすくめながら礼を言った。

先ほど、その冷泉元豊の弟・元満に、
大内勢である冷泉家を見下した発言を
したばかりだったからである。

しかし、冷泉元豊も自分たちの立場を分かっている。

自分たちの武勲で見直してもらう他はない。

「元親殿、元徳殿。大友勢はまだ来る。
共に敵を打ち砕こう」

「おう!」

桂元親も赤川元徳も、毛利と大内のいがみ合いを忘れ、
頼れる同世代の冷泉元豊と共に、
新手の大内勢を迎え撃つ。

彼らの先を走る兄の姿を見て、
冷遇を感じていた冷泉元満も気を奮い立たせ、
兄の背中を追った。



大友勢の勢いは止まらず、
後方からどんどん明神曲輪に押し進んでくる。

優勢のはずの毛利軍は、
その背後に大物の気配を感じていた。

そしてその予感は、間もなく的中する。

両軍を押し分けるように、
城門から異様な黒い塊が突進してきた。


「……雷神、来たかっ!」


大友の兵を次々に槍で突き倒していた弘中方明が、
待ち侘びたように高らかに声を上げた。

城門を突破して明神曲輪に突入してくる
その黒い塊。

それは、
漆黒の鎧に身を包んだ屈強の兵たちに担がれた
大きな輿(こし)だった。

その輿の上に座りながら大太刀を振るい、
避け遅れる敵兵を次々に払いのけている頑強な一将。

それこそ「豊後の雷神」、
戸次鑑連であった。

九州全土にその名を轟かす、西国無双の豪将。

若き頃にその大太刀で雷光を斬り裂き、
下半身不随という代償と引き換えに、
その大太刀は雷切(らいきり)という
妖刀となったという。

その後は幾度となく九州各地での戦において、
輿に乗って敵中に突入しては、
手にする雷切で敵軍を斬り伏せてきたという鬼武者。

主君・大友義鎮(よししげ)に
九州最大の勢力を授けたその一番の功臣である。

九州全土がその名に打ち震える雷神、
戸次鑑連の姿が、その輿の上にあった。


黒鎧に身を包んだ戦士たちが形作る
輿を掲げた重戦車の勢いはとてつもない気魄を放ち、
その威圧感に毛利兵も無意識に道を開けてしまう。

それはまるで、巨大な船が進む時に
波が左右にかき分けられる様に似ていた。

その兵の割れていく軍道を、
戸次鑑連の黒い輿は平然と駆け上がっていく。


その存在感に圧倒される毛利の将兵の中で
なぜか愉悦のような感情が起こっていた弘中方明は、
手に握る槍を振り回しながら
その鬼戸次の重戦車に突っ込んでいった。

輿の上の戸次鑑連が、
左方の毛利兵を斬り払おうとしたその時、
弘中方明は輿の右側から走り込んで跳躍した。


「もらった―――――っ!」

弘中方明は、輿の上の雷神に、
渾身の一撃を繰り出した。


これまでに陶晴賢(すえはるかた)、
江良房栄(えらふさひで)など、
西京の猛将たちとも刃を交え、
瀬戸内海域でその槍を振るい続けた弘中方明。

その自分の槍が、ついに九州最強の名将を捉える。

九州という大きな的を貫くような気持ちで、
方明はその槍を突き出す。


だがその槍先に、予想した手ごたえがない。


(いない――――!?)


弘中方明は目を見開いた。

今までその輿の上に乗っていた大柄の戸次鑑連が、
自分の一撃と共に、ふっとその姿を消し、
方明の槍の刃先は空を斬っていた。

どんな頑強な者でも輿から叩き落とせるほどの
勢いの一撃だと確信していた方明は、一瞬戸惑う。

弘中方明が着地したその転瞬。

これまで体感したことのない冷気を、
背中にゾクリと感じた。

そして右の耳がブォンと耳障りな音を察知し、
気付くとそこに大太刀の刃が迫っていた。

「ぐうっっ!」

とっさに槍を戻してその一撃を受けた弘中方明だが、
まるで稲妻のような衝撃が
攻撃を受け止めたその槍から身体全体を走り抜け、
方明の足は地から浮き上がり、全身が吹き飛んだ。

地に転がりながらも慌てて起き上がり
両手で槍を構え直す弘中方明。

その目の前には、
とてつもない気魄を放ちながら見下ろす
大柄の武者の姿があった。


「……立てないというのは、嘘か……」


弘中方明は、うめくように呟いた。

毛利の将兵たちも、大友の将兵たちも、
その姿に注目する。

雷を斬って半身不随と言われていた鬼戸次が、
しっかりと、
その両脚で明神曲輪に立っている。


門司城という大地に今、
豊後の雷神が降り立ったのである―――――。


(つづく)





―――――――――――――――――
『門司戦記』武将列伝 [十一]
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■戸次鑑連 (べっき あきつら)

大友家家臣。豊州三老の一人。その猛勇は「豊後の雷神」
「鬼戸次」の名で九州全土に恐れられた西国無双の名将で、
主君・大友義鎮(後の大友宗麟)を九州最大の勢力に
押し上げた功臣。後に筑前立花家の名跡を継いで立花道雪
と名を変え、養子の立花宗茂は柳河藩の初代藩主となる。
| 『厳島戦記』 | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(十) 一網打尽の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(十) 一網打尽の巻 
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門司城の明神曲輪は、大乱戦となった。

九州最大の勢力に拡大していく大友家の
露払いとして西国にその名の知られた
戸次鑑連軍の先鋒隊は、聞きしに勝る奮闘ぶりだった。

毛利軍による矢の雨と包囲攻撃を受けて、
血みどろになりながらも、
凄まじい抗戦を見せていた。


毛利の若き将・冷泉元満(れいぜい もとみつ)は、
敵軍の気迫を見ていっそう気を奮い、
猛者揃いの大友勢に飛び込んでは敵兵を斬り伏せていく。

そして視線の先に、自分と同じぐらいの若い武者が
刀を振り上げて突進してくるのが見えた。

敵将・大庭作介(おおばさくすけ)である。

大庭作介が全力で振り下ろした一撃を、
冷泉元満は真正面から太刀で受けた。

だが次の瞬間、元満は息を呑む。

(しまったっ……!)

敵の刀筋は太刀で防ぎ切ったものの、
重心を落とした大庭作介の突進の勢いに押され、
地面に滴る敵兵たちの血に足を取られて、
身体が後方に吹っ飛ばされたのである。

体勢の崩れた相手を見逃す大庭作介ではなかった。

「死ねええぇぇっ!!」

大庭作介は、転んだ冷泉元満に飛びかかり、
その首に刃を突き立てようとした。

死を感じた冷泉元満は一瞬硬直したが、
その大庭作介が突然、首から鮮血を噴き出し、
元満の横にどさりと倒れて動かなくなった。

その一瞬の出来事に目を丸くする冷泉元満の前には、
兄・冷泉元豊(もととよ)の姿があった。


「兄上……」

「油断するな、元満!
我ら冷泉の戦いぶり、存分に敵に見せてやろう」

「……はい!」


兄に手を引いて身を起こされた元満は、
顔にふりかかった敵の血を拭って、太刀を握り直す。

大内家の名将・冷泉隆豊(たかとよ)の二子は、
おぼろげにしか父の顔を覚えていないが、
その血脈が身に流れていることを誇りに思っている。

「大寧寺の変」で、父は見事な散り際を見せたという。

父のような武心に生きるには、
自分たちの死に場所が、
こんな勝機に乗った戦場であってはならない。

元豊・元満の冷泉兄弟はそんなことを思いながら、
再び大友軍の中に飛び込んでその武勇を見せつけた。



戦友・大庭作介が敵将に討たれた姿が、
遠く視界に写った小野弾介(おのだんすけ)は、
さらに逆上して、握った槍に力を込める。

だが、全身全霊を賭けた渾身の一撃は、
いとも簡単に弘中方明の槍に防がれてしまった。


「言ったはずだ、冷静になれってな」

「……!」


弘中方明は小野弾介の槍の刃先を払いながら、
まるで子供に諭すように言った。

先日、和布刈神社の境内で手合わせをし、
冷静さを失った小野弾介を海に放ったことを、
方明もしっかりと覚えていたのである。

「黙れえええっ!」

弾介は踏ん張るとすぐに跳躍して槍を振り下ろすも、
それもまた弘中方明が槍で受け止める。

小野弾介は怒りに任せて次々と攻撃を繰り出すが、
方明はそれを一つ一つ受け流していった。

溢れ出す怒りから続く攻撃は強烈ではあるが、
冷静さを失って大振りになり動きに無駄が多く、
また血を噴く無数の矢傷が鋭敏さを奪っていた。

それを見抜いていた弘中方明は、一瞬の隙を見て
自らの槍を相手の槍に絡めて素早く払うと、
小野弾介は身体の均衡を失った。

「ぐわぁっ!」

地面に倒れてようやく、
小野弾介は憤怒の麻痺から覚めて、
矢傷の痛みに全身を襲われ、のたうち回った。

弘中方明は、無念に転がる小野弾介を見下ろしていた。

自分にもあった、むしゃらな若き日々。
そんな若き武者たちが、次代を築くのである。

それを思うと、弘中方明には
恐らくこれからその能力を発揮するであろう彼に、
とどめの一撃を刺すことをためらってしまう。

小野弾介は、うめくように何かを叫んでいた。

一度は不覚にも関門海峡に突き落とされた相手に、
またしても情けをかけられるのか―――――。

そして、あまりの出血で意識が飛び始め、
いよいよ死出の旅を感じた小野弾介の脳裏に、
和布刈神社で自分を救った上官、
由布惟信(ゆふ これのぶ)の顔が浮かんできた。

いや、脳裏ではない。

今、その由布惟信本人がまさに、
身を挺して弾介の前に立っていた。

惟信も敵勢の奇襲によって全身に矢を浴び、
傷だらけの身体になっていたが、
弘中方明から小野弾介を守ろうと、
最後の力を振り絞って立ちはだかったのである。

(由布様……!)

口に出す力もなく、弾介のまぶたは閉じていった。


横たわる小野弾介を飛び越えてきた由布惟信が、
弘中方明に槍を突き出し、
方明はとっさにその攻撃を槍で受け止める。


「やっぱり来たな、由布源兵衛」

「ああ。この者は我が軍の将来を担う逸材でな。
我が命と引き換えてでも、この者の命は助ける」


槍をぎりぎりと合わせにらみ合いながら、
両者は和布刈神社以来の言葉を交わした。

そして、苛烈な突き合いが始まった。

由布惟信と弘中方明。

両軍きっての槍の使い手による一騎討ちである。


だがこの勝負は、完全に弘中方明に分があった。

由布惟信は明神曲輪の先頭に立って突入したため、
毛利軍の奇襲に真っ先に晒され、
多くの矢を受けて大きく負傷していたからである。

絶体絶命の窮地に気迫だけで立ち向かっているものの、
やはり全身の深い矢傷は
どんどん由布惟信の体力を奪っていく。

槍を振るうたびに全身からは鮮血がにじみ出し、
やがて防御一辺倒になっていった由布惟信は、
弘中方明の槍を受け払うのが精一杯になってきた。

そしていよいよ力尽き、
由布惟信は大きく槍を振り払ったと同時に
片膝を地に付き、前のめりに地に倒れた。


小野弾介に、由布惟信。

虫の息で地に伏す二人の勇将を見つめながら、
弘中方明はどこか無常を感じていた。

自分の武がこの二人の武者に勝ったわけではない。

彼らは重傷の身体で立ち向かってきたのであり、
もし無傷の二人と死闘を演じていたとしたら、
恐らく自分のほうが負けていたであろう。

二人の槍使いは、軍の失策によって
その武勇を発揮できず、敵襲に晒されたのである。

兄・弘中隆包の姿が、ふと脳裏をよぎった。

毛利軍にその智勇を恐れられながらも、
総大将・陶晴賢の失策のために、
毛利軍にただ一人取り囲まれて討死していった、
岩国の風神の姿が―――――。

いつの世も、
組織の過誤が幾人もの人材を苦しめる。

目の前の血塗られた地獄絵図を見ながら、
弘中方明は世の非情を噛みしめた。


由布惟信もが力尽き、
明神曲輪に突入した大友軍の先鋒隊が
奮戦虚しくついに全滅したというその時。

城門の方向から、
けたたましい跫音が雪崩れ込んでくるのが聞こえた。

その新手の敵に、
優勢の毛利勢は圧倒されることになる―――――。


(つづく)




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『門司戦記』武将列伝 [十]
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■冷泉元満 (れいぜい もとみつ)

毛利家家臣。「大寧寺の変」で主君・大内義隆に従って
凄絶な最後を飾った大内氏の名将・冷泉隆豊の次男。
毛利家臣となり、兄・冷泉元豊と共に門司城の戦いに赴き
大友氏と交戦する。水軍の将として織田信長軍とも戦い、
後に豊臣秀吉の朝鮮半島進出でも出兵し活躍する。
| 『厳島戦記』 | 16:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(九) 明神曲輪の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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 (九) 明神曲輪の巻 
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永禄四年(1561年)十月十日。


この日は、門司城を包囲してきた大友軍が、
いつにも増して、じりじりと城に歩み寄っていた。

特に先陣を務める
戸次鑑連(べっきあきつら)軍の先鋒隊は、
門司城口へと近づき、突撃体制を整えていた。

城内にいる稲田弾正と葛原兵庫助の二将が呼応し、
辰の刻に城門を開いて戸次軍を迎え入れる
という手筈になっていたからである。


城口である明神曲輪(みょうじんくるわ)の城門へと
近づいていく戸次軍の先鋒隊は、
気勢盛んな若武者揃いだった。

戸次鑑連の軍勢は常に大友の先陣を任されるため、
常に諸将が一番乗り、一番首を獲得し、
どの戦においても戸次軍が恩賞や感状を総ざらいする。

その上、戸次鑑連が部下の育成にも非常に長けており、
戸次軍からは続々と良将が生まれるとあって、
大友家中の者たちは、自分たちの息子や家臣を
戸次軍に預けたがった。

そのため、戸次鑑連軍には大友家臣団の各家から
腕自慢の強者が集まっており、
その層の厚さが九州最強の名を欲しいままにしていた。

由布惟信(ゆふこれのぶ)などは、
由布氏の当主の座を若すぎる息子に譲ってまで
大友氏の直臣という身分を捨て、
戸次鑑連の直属の臣下となったほどである。

この門司城包囲戦でも、
進んで戸次鑑連軍に入隊した大友の若武者たちが、
一番乗り、一番首の武功を狙って、
みなぎる闘志を剥き出しにしていた。



「門司城の一番乗りは、この源介よ。
おまえたちを踏み越えてでも、本丸に突っ込んで、
この刀で総大将の首を取ってやるぜ」


突入を待つ戸次鑑連軍の先鋒隊の中で、
周囲の味方を挑発するように語り始めたのは、
一万田源介(いちまだげんすけ)である。

一万田氏は大友家庶流である家中の名門で、
源介はその一族の中でも武勇に自信があったため、
自ら戸次軍への参入を希望した若者であった。

その発言を皮切りに、若武者たちの舌戦が続く。


「そうはいくか。この弾介が一番槍をもらう」

「へっ、おまえはこの前、そう意気込みながら
敵将に海へと放り込まれてたじゃないか」

「だからよ。あの時の奴も、見つけたらぶっ殺す」


一万田源介の悪態に続いた若者は、
小野弾介(おのだんすけ)、
大庭作介(おおばさくすけ)だった。

戸次先鋒隊の中でも特に血気盛んなこの三人は、
幼き頃から共に
武芸の稽古に勤しんだこともある悪友だった。

中でも最も若い小野弾介は、
この門司遠征が初陣となったのだが、
先の毛利軍の上陸を阻止しようとした際に
弘中河内守と名乗る敵将から海に突き落とされたことで、
その雪辱を果たそうと目を血走らせていた。

そして、そんな三人をはじめ
先鋒隊の多くの荒くれ者をまとめるのが、
戸次鑑連の腹心、由布惟信である。


「合図までもうすぐだぞ。
ちょっとは静かにしろ、小僧ども!」

「す、すみません。由布様」

「どうせ一番槍は、それがしなんだからな」

「あっ、由布様ずるい!」


隊長の由布惟信までもが若い衆の冗談に混ざるほど、
待機中の戸次先鋒隊には余裕があった。

一度に攻め込めない地形の門司城にあって、
一番乗り、一番首の戦功は
またもや戸次軍にあることは確実だったからである。

あとは、その一番乗り、一番首の武功を
先鋒隊の中の誰が獲得するのかが、
彼らの興味の先だった。

そして、内応という名のお膳立ては整っていた。



間もなく辰の刻。


明神曲輪の中から、
細い狼煙(のろし)が上がり始めるのが見えた。

これこそがまさに、
城内の稲田弾正と葛原兵庫助からの
内応準備が整った合図である。

戯れ言を言い合っていた戸次先鋒隊の諸将は、
ついにこの時来たれりと、
それぞれ武器を握り締めて城門を睨みつけた。


辰の刻。

ついに、明神曲輪の城門が
内側から開けられた。


「行けぇ―――――っ!」


闘争心に燃える戸次先鋒隊の猛者たちが、
一斉に鬨の声を上げながら城内へと突入した。

戸次軍の諸将たちには、
稲田弾正と葛原兵庫助から寄せられた
門司城内の地形と布陣の図は完全に頭に入っている。

強靭な守りを見せていた明神曲輪を蹂躙し、
一気呵成に本丸へと駆け登って大将首を獲る、
それが彼らの戦い方であった。


「我れは一万田源介、出会えっ!」

「小野弾介、これにありっ!」

「大庭作介と勝負せよっ!」


一万田源介、小野弾介、大庭作介らが先を争い、
何百何千という戸次軍が明神曲輪になだれ込む。


しかし、彼らは肩透かしを喰った。

広い明神曲輪には、
守備兵が全くいなかったのである。

彼ら先陣が呆気に取られている間にも
長く連なる後続の戸次軍が次から次に
明神尾を駆け上がり曲輪へと押し寄せてくる。


「……!」


次の瞬間、彼らは刮目した。

明神尾の先の出丸、そして周辺の土手から、
弓を構えた毛利兵たちが
一斉に湧き出てきたのである。


(はめられたっ……!?)


戸次軍の諸将が悟ったと同時に、
明神曲輪を取り囲む毛利軍は次々に矢を放った。

戸次軍は、矢の餌食になっていく。

突入した先陣の惨状もすぐには把握できず、
後続の戸次軍は次から次へと明神曲輪になだれ込み、
さらにその血の標的は膨れ上がっていく。


凄まじい惨劇であった。

戸次軍の諸将が先に思い描いていた敵軍殺戮が、
完全に逆転の立場で目の前に繰り広げられる。

内応の成功と勝利への確信しかなかった彼らは、
急転直下の絶望の中で串刺しになっていった。



「うおぉぉぉぉぉ――――っ!!」


矢と血にまみれる戸次軍の中から、
無数の矢を体中に突き刺したままの一万田源介が、
城内に響くほどの大きな雄叫びを上げたかと思うと、
乱れ飛ぶ矢を刀で弾き落としながら、出丸に突進した。

本丸一番乗りの執念が、
気力となって一万田源介を突き動かしたのである。

刀を振り回し、敵兵へ斬り込んでいく。

矢を浴びて傷だらけの小野弾介や大庭作介も、
飛びだした一万田源介の姿を見て、
遅れまじと歯を食いしばり、立ち向かう。


その時、矢の雨に混じって宙を飛んできた一本の槍が、
出丸に上ろうとする一万田源介の喉元を
グサリと突き刺した。

その衝撃で源介の身体は後方に飛んでいき、
槍先を受けたまま地に落ちて、動かぬ人となった。


「源介、源介ぇ――――っ!」


共に功を競ってきた戦友を目の前で失った小野弾介は、
衝撃のあまり彼の名を叫びながら、
危険を顧みず源介に走り寄ろうとした。

すると、毛利軍の矢が止んだ。

同時に、毛利の将兵は刀や槍を手に、
壊滅的な戸次軍へと一気に襲い掛かる。

逆襲の総仕上げが始まったのである。


痛みをこらえて駆け寄ろうとする小野弾介の目の前で、
地に横たわる一万田源介の屍体から、
毛利の一将が、突き刺さった槍を抜き差した。

その姿を見て、
小野弾介の怒髪は尋常なく逆立つ。


「この野郎………。出やがったな!」


その相手は、先日弾介と和布刈神社で槍を合わせた
弘中河内守方明だったのである。


あの時に関門海峡に放られた屈辱が蘇る。

そして、壊れたように地に臥す戦友の姿。

二度までも自分の前に現れ、
その行く手を阻む敵の槍使いへの憎悪が天を衝く。

小野弾介の憤怒が沸騰し、
全身の矢傷から血が噴き出した。

その痛みも怒りに忘れ、
弾介は愛槍を両手で強く握り締めながら
左腕に深く刺さった矢を、
猛獣のように歯で噛みちぎって吐き捨てた。


阿鼻叫喚の地獄と化す明神曲輪の中で、
小野弾介は力を振り絞り、
槍を振り上げて弘中方明へと襲いかかった――――。


(つづく)



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『門司戦記』武将列伝 [九]
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■小野弾介 (おの だんすけ)

大友氏家臣。後に名を小野鎮幸(しげゆき)と変え、
戸次鑑連(=立花道雪)の家臣となり、由布惟信と共に
家中の双璧として立花家を支えた。数多くの戦功を積み、
豊臣秀吉から日本七槍の一人に数えられる。次代の主君・
立花宗茂の改易中は加藤清正に客将として迎えられた。
| 『厳島戦記』 | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(八) 術計応酬の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(八) 術計応酬の巻 
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毛利軍総大将・小早川隆景は、
血に汚れた書状を読み終わると、
溜め息をつきながら足元を見下ろした。

そこには二人の首と屍体が横たわる。

弘中方明と冷泉元豊が城内で討ち取った
大友軍との内通者、
稲田弾正と葛原兵庫助である。

門司城内に妙な不安が起こってはならぬと、
方明らが息のない彼らを
幕舎の中に引きずり込んでいた。


「こういうことだったのか…。
元満、今すぐ杉彦三郎をここに呼んできてくれ」

「はっ」


冷泉元豊の弟・元満は、小早川隆景の命を受けると、
一礼して天幕を出て行った。

小早川隆景と共にいるのは、
弘中方明、冷泉元豊、仁保隆慰、堀立直正。

今、城内でこの内応を知ったのは、
冷泉元満を合わせてこの六名しかいない。

特に仁保隆慰は、自身が城代を務める門司城の内部で
このような恐ろしい謀略が渦巻いていることを知り、
衝撃を隠しきれずに唇を震わせている。

その様子を見て、小早川隆景は
仁保隆慰を責めることなく優しく声をかける。


「隆慰、これはおぬしのせいではない」

「いえ、面目次第もございませぬ……」

「気にするなって。
これからどうするかを一緒に考えよう」

「はい……」

「さて、この大友の書状なんだが…」


隆景は、弘中方明が稲田弾正から奪った書状を
一同の前で広げて見せた。


「計画は周到に練られていたようだね。
十月十日の辰の刻に、稲田らが狼煙で合図した上で、
明神曲輪(みょうじんくるわ)の城門を開き、
大友軍が全軍で突入するという手筈になっている」

「三日後ですね。まことに来るでしょうか」

「この書状の日付は、今日になっている。
恐らく大友から届いた最新の連絡に違いない」


冷泉元豊の問いに、隆景は日付を指差して答えた。

幸運なのは、この書状が計画決定を知らせるものであり、
稲田と葛原からの返信が不要であることだった。

もし今後も何かしらのやり取りが必要であれば、
返信の字体の違いを読まれる危険性もあるからだ。


敵軍の全軍突入の日時が分かれば、
あとは選択肢は二つしかない。

それまでに敵軍を壊滅させてしまうか、

もしくは、その突入を逆手に取るかである。

小早川隆景が、弘中方明に尋ねる。


「今の大友の布陣から見て、
先鋒として明神曲輪に突入してくるのは…?」

「戸次鑑連(べっきあきつら)に
間違いないでしょう」

「戸次鑑連……。西国無双の鬼戸次だね。
やっぱり強いのかな」

「私も実際に姿を目にしたことはないのですが、
先日、由布惟信、小野弾介ら戸次隊の将たちと
手合わせをしたところ、尋常ではない強さでした。
彼らが心酔する戸次鑑連、恐らく豪傑でしょう」


門司城を取り囲む大友軍の中で
城の口である明神曲輪に最も近いのは、
名将・戸次鑑連の一隊だった。

戸次鑑連の軍は、九州でその戦力の高さを見せ続け、
西国随一の強さだと恐れられていた。

戸次鑑連は、数人の兵に担がれた腰に乗り、
その上から大刀を奮いながら戦場を駆け抜けるので、
その気迫から敵は必ず裂かれて突破を許してしまう、
と言われている。


「九州諸国では、戸次鑑連の輿での突撃は
『鬼戦車』と恐れられているとか。
何でも、雷を斬ってから脚が動かなくなり、
輿に乗るようになったらしいですぜ」


商人出身ならではの情報網を持つ堀立直正が、
自分が知る戸次鑑連の逸話を話す。


彼は若かりし頃、戦場で天からの落雷を受け、
手にした大刀でその稲妻を斬り裂いたという。

その稲光の衝撃で、一命は取りとめたものの
下半身不随となり、輿に乗るようになったという。

しかし、雷電を一刀に斬り裂き
「雷切」(らいきり)と名付けられたその大刀で、
戸次鑑連はその後も敵の将兵を斬り続け、
戸次の名を聞くだけで逃亡する敵軍も続出した。

戸次鑑連現る所に、大友の敗北無し。

「雷神」「豊州の鬼戸次」の異名は、
本州の小早川隆景らの耳にも当然届いていた。

そして、鬼戸次本人には会わなかったものの、
その配下の由布惟信や小野弾介らと槍を合わせた
弘中方明は、戸次隊の強さは鑑連本人の武だけでなく、
武芸に秀でた武者揃いの総合力にあると感じていた。

そんな強敵が、今まさに
門を破って突入しようとしているのである。

毛利の将たちにも緊張が走る。


冷泉元満が、杉彦三郎を連れて戻ってきた。

小早川隆景が指差した傍らの二つの首を見て、
杉彦三郎はギョッとして目を見開いた。

隆景は杉彦三郎に問いかける。


「彦三郎、彼らに見覚えはあるか」

「は……はい。我が隊の副将、
稲田弾正と葛原兵庫助にございます……。
いかがしたのですか……」

「大友に内通していることが分かった」

「えっ……! あ……あ……」


何も知らなかった杉彦三郎は顔面蒼白になり、
脳内が混乱に陥ったのか、言葉に詰まる。

そして、しばらくすると
たまらず土下座して頭を地にこすり付けた。


「申し訳ございませぬっ!!
そのような謀が我が隊内で行われていたこと、
この彦三郎の一生の不覚でございます!
申し訳ございませぬっ!」

「やめよ、彦三郎」

「この不始末、命をもって償いまする!」

「やめよと言うのに。
いいか彦三郎。大事なのは次だ。将来だ。
此度の一件、断じておぬしの責任ではない。
だが自身の不始末と思うなら、
それを次の勝ち戦に活かすことを考えよ」


小早川隆景は、男泣きする杉彦三郎の手をつかんで
引っ張り立たせた。

同じように隆景に励まされた仁保隆慰も、
杉彦三郎の肩をやさしく擦る。

弘中方明が小早川隆景に考えを語る。


「恐らく三角山城が大友の手に落ちた時も、
稲田と葛原の両名の手引きによるものでしょう」

「そのようだね。
彦三郎、その時の状況は?」


方明の推測に賛同した小早川隆景は、
三角山城の城代だった杉彦三郎に尋ねた。

彦三郎は涙を拭いながら答える。


「はい、確かに出丸を突破された時には、
出丸の守将は弾正と兵庫助を任じておりました」

「うん」

「大友の先鋒の勢いが凄まじかったため、
彼らへ責を問わなかったのです。
あの時、それがしが情け心を持たなければ……」

「いや、だからそれはおぬしの責任ではない。
稲田と葛原の手引きだと分かれば、それでいい。
その時、三角山城に攻め入った部隊は?」

「戸次鑑連の軍勢でした。
一番槍の武者どもがとにかく凄烈な強さで、
遅れて輿に乗った戸次鑑連が駆け上がってくると
我が守備隊は総崩れとなり、門司城へ逃げました」

「そうか。やはり戸次隊か……」


小早川隆景は杉彦三郎の報告を聴いて、
腕を組みながら深くうなずいた。

恐らく大友軍は三角山城を謀略の実験とし、
今回はその総仕上げとして、
三角山城の陥落の時と同じ手を使ってくるだろう。

しかも、総大将である自分が門司城に入城したことで、
大友軍にとっては願ってもない獲物が罠にかかった、
と思っているに違いない。

この絶好の機会を逃すはずがなく、
必ず謀計を強行するであろう。

小早川隆景が無理して門司城に入ったことは、
大きな意味を生んだことになる。

稲田や葛原ら大友の縁者を通じた策謀には、
隆景が危惧していた、
毛利軍内の旧大内派の問題も多分に含んでいる。

この大友の術計を叩き潰すことは、
その問題に鉈を入れる契機になるかもしれない。

小早川隆景は目を閉じ、そのように考えていた。


思案にふける総大将を、じっと見守る毛利の将たち。

小早川隆景は意を決し、
目を強く見開いて諸将に告げた。


「決戦は十月十日だね。
十日辰の刻、来襲する大友軍を迎え撃つ!」

「ははっ!」

「方明、元豊、元満。
三人には明神曲輪の守備についてもらう。
当日までに準備を整えよ」

「お任せ下さい!」


弘中方明、冷泉元豊、冷泉元満の三将は、
意気揚々に応えた。


(ついに会えそうだ、豊後の雷神……。
どれほどの豪傑か、この目で確かめよう!)


弘中方明は、心の中で期待を膨らませる。

九州全土にその武を轟かせる名将・戸次鑑連。

数々の猛将と刃を合わせてきた弘中方明は、
その噂の名将の実力がいかほどのものか、
実際に見定めてみたかったのである。

その雷神の姿が拝める日が、ついにやって来る。

岩国の雲将・弘中方明は、
その対決を待ち望むと同時に、気を強く引き締めた。



永禄四年(1561年)十月十日。

その運命の日はやってきた――――。


(つづく)



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『門司戦記』武将列伝 [八]
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■仁保隆慰 (にほ たかやす)

毛利家家臣。かつては周防大内氏の奉行人であったが、
毛利氏が防長経略にて大内氏を滅ぼした後に毛利氏に
仕えてからは、企救郡代官として門司城に入り城代と
なる。「門司城の戦い」では豊後国から北上してきた
大友氏の大軍による門司城猛攻に耐え抜いた。
 
| 『厳島戦記』 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(七) 通謀露顕の巻

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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(七) 通謀露顕の巻 
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「何奴!」


背後から近寄る足音に感づいた二将は、
腰に下げた刀の柄に手を掛け、
素早く振り返りながら短く叫んだ。

弘中方明が左手に持つ松明の炎は、
その二人の顔を闇の中に浮かび上がらせる。


「これは……、
稲田様に葛原様ではありませんか」


方明は、二人の名を呼びかけた。

出丸で肩を並べて密談をしていたのは、
三角山城を守っていた杉彦三郎の副将である
稲田弾正(いなだ だんじょう)、
そして葛原兵庫助(くずはら ひょうごのすけ)だった。

稲田弾正と葛原兵庫助は両者とも、
話しかけてきたその者が誰なのかを知らなかった。

雑兵の一人だと思い、全身を睨み回す。


「……見かけない顔だな。どこの兵か?」

「拙僧は、堀立壱岐守殿の部隊に加わっている
三蔵主(さんぞうしゅ)と申す者」

「拙僧……。ということは、坊主か?」

「はい、周防岩国(=山口県岩国市)の
琥珀院(こはくいん)の僧兵でございます」


弘中方明は、穏やかに返した。

当然、これは虚偽である。

確かに方明は、六年前の厳島海戦の後に、
岩国の琥珀院にて出家して三蔵主と名乗った。

しかし今は、毛利氏に乞われて還俗し、
毛利家の一将として武家に復帰している。

あえてその名を隠して、
仏門時代の心象で二人に近づいたのである。


「そうか。岩国の坊主が、我らに何の用だ」

「いえ、別にお二人に用があったわけではなく、
向学のためにも城内を見ておこうと」

「堀立殿の指図か?」

「いえ、私は正式な毛利兵でありませんから、
自由に歩き回らせてもらってます」

「そうか。だが、我らを知っているとはな」

「ええ。お二人は大内義長公のおそばに
おられたではありませんか」

「何っ!? おぬし、義長様を知っておるのか」

「ええ。義長公の法話役を務めておりましたから」

「何と!」


嘘である。

怪しまれないように方明の口から出た
とっさの出まかせである。

しかし、元大内家臣だからこそ生まれる真実味が
そこにはあった。


「月に二、三度は山口にお呼び頂いておりました。
私は豊前国の出身でして、
もともと大友家にお世話を頂いてました」

「おお。大友領の者だったか」

「はい。大恩ある義長様が討たれた後、
地元豊前の地理に明るいからと、
今度は堀立殿に招かれたというわけです」

「ほう」

「まさか、厚恩を頂いた義長様の仇である
毛利の軍に招かれることになるとは……。
人の定めとは分からぬものでございます」


方明がつらつらと述べる方便を聞いて、
稲田弾正と葛原兵庫助は驚いている。

そして、少しずつその口元が揺らぎ始めていた。


大内義長は、大内氏最後の当主である。

大内氏筆頭家老の陶晴賢が中心となり
「大寧寺の変」で大内義隆を排除した時、
陶晴賢ら大内家臣団が新当主に迎え入れたのは、
豊後国の大友義鎮の弟、大友晴英だった。

大内義隆の妹が大友義鑑に嫁いでおり、
晴英は義隆の甥にあたるからである。

晴英が大内義長と名を変えて
周防山口に迎え入れられた時、
豊後国からも幾人かの大友の武将が随行した。

しかし、その数年後には
台頭した毛利氏に攻められて大内氏は滅亡。

大内義長は自害に追い込まれてその命を絶ったが、
豊後から追従した諸将の中には、
そのまま毛利軍中に組み込まれた者もいる。

稲田弾正と葛原兵庫助らも、
豊後から周防に入り毛利の将となった一人であった。


弘中方明も、大内家重臣・弘中隆包の陪臣であり、
元は大内義長に仕えていた身である。

しかし、稲田も葛原も弘中方明とは
義長政権時代にはほとんど接点がなかった。

「厳島の戦い」で毛利軍の奇襲により兄が討死し、
弘中方明は大内義長の死を見ることなく出家し、
それからは武家の世界を離れて仏門に入っていた。

毛利に乞われて軍中に加わったのはつい先日のことで、
稲田弾正と葛原兵庫助は
方明の顔を知らなかったのである。


葛原兵庫助が、声を静めて方明に問い始めた。


「坊主……。おぬし、
今も義長様の恩義を忘れておらぬのか」

「それはもう。大内家からは寺に多大な寄進を頂き、
また我らが法話もご熱心に耳に入れて頂き、
義長公ほど恩義あるお方はおりませぬ」

「そうか。もし義長様の仇を討てるとしたら、
おぬしならどうする」

「ははは。義長様の仇となれば、この毛利です。
仇討ちとなれば、城ごと毛利を壊滅させるぐらい
できればいいのでしょうが、それならば
城下の大友との連携が必要になりましょう」

「ほう。そう思うか」

「はい。私もこうやって城内を歩き回り、
門司城の地形と兵の配備は一通り分かりました。
あとは大友と連絡を取り合えばうまくいくでしょう」

「ふむ……」

「日時を示し合わせ、内部で混乱を起こさせ、
外からは一気に攻めてもらう。それだけです」

「なるほど」

「まあ、私はもう毛利の身。
今さら大友家に伝手などございませんから、
義長公の敵討ちなんて遠い夢でございますが」


最初は警戒しながら聞いていた二将は、
流暢に出てくる自称僧兵の話を聞きながら、
次第にちらちらと互いを見合わせ始める。

そして稲田弾正が葛原に小さくうなずくと、
懐から小さくたたまれた書状を取り出して
僧兵と名乗るその男に言った。


「坊主。その遠い夢、果たしてみるか」

「えっ」

「おぬしが持たぬ大友の伝手、ここにあるとしたら?」

「……できるのですか。そんなことが」

「協力するか」

「まさか……、そんな……」


方明は希望がにじみ出すような声を絞り出しながら、
小刻みに震える手を、書状へと伸ばす。

……という演技である。


稲田弾正と葛原兵庫助は、大友の内通者であった。

実は稲田弾正も葛原兵庫助も、
大友軍の知恵袋、田北民部の親戚だったのである。

そのため、二人は緻密に
城外の田北民部と連絡を取り合っていた。

そして、門司城内の様子を報告するため、
二人は夜な夜な、配備を確かめていたのであった。


これから実行される謀計のためには、
城内に一人でも多くの同調者が欲しいところである。

どうやら目の前にいる僧兵とやらは、
大内義長への愚直な想いを持っているようで、
何かと使える協力者になりそうだ、と思った。

それだけ、弘中方明のとぼけた演技力は、
相手を信じ込ませるだけの力を持っていた。


稲田と葛原の両名が心を開きかけたその時、
方明の後方から、声が聞こえてきた。


「方明殿、方明殿〜!
そこにおられましたか〜!」


人気の少ない出丸の端の静けさの中に、
元気な若者の声が近づいてくる。

弘中方明は、全身が冷汗に凍りつく。

走り寄ってくるその声の主は、
小早川隆景と共に入城した
若き毛利の将・冷泉元豊(れいぜいもととよ)だった。

あと一歩で内通の実情を引き出せそうなこの瞬間に
あまりの間の悪さである。


「方明……、弘中方明か!」


稲田弾正と葛原兵庫助は
目の前の自称僧兵が危険人物だと直感し、
顔色を変えて、慌てて刀に手を掛けた。

弘中方明と言えば岩国水軍の将の名であり、
毛利水軍を束ねる小早川隆景に通じていることは
毛利軍中にいる彼らには簡単に分かった。

「おのれ!」と声を上げながら、
稲田弾正は刀を抜き、弘中方明に斬りかかった。

虚偽が露見したことに、方明はチイッと舌打ちすると、
とっさに稲田弾正の眼前に松明の炎を突き出した。

迫った炎の熱さに一瞬視界を奪われた
稲田弾正の刀は、空を斬った。

その間に腰を落としてよじった方明の身体から
鋭い槍の一撃が、稲田弾正の左脚に繰り出される。

片足のたまらぬ激痛に、稲田弾正は重心を崩す。

その揺れた稲田弾正の喉元に、
弘中方明の槍先が深々と突き刺さった。

百戦錬磨の槍が、内通者を一瞬で誅した。

ところが、方明はその大きな手ごたえに焦った。

稲田弾正の甲冑の隙間を見事に突き抜けて
その喉に深く刺さり過ぎた槍が、
すぐには抜けなかったのである。

そこへもう一人からの攻撃の危険が脳裏をよぎったが、
その葛原兵庫助は、一瞬で絶命した稲田弾正を見て、
「ひぃぃっ!」と甲高い奇声を上げながら、
たまらず逃げ出していた。

槍を抜くのが遅れた方明は、叫んだ。


「元豊殿! そいつは敵だ、討てっ!」


その声を聞いた冷泉元豊は、
尋常ではないと瞬間的に感じて、刀を抜き放った。

「どけえええ、小わっぱぁっ!」と
刀を掲げて唸りながら突進してくる葛原兵庫助。

そして勢いにまかせて葛原が刀を振り下ろすと同時に、
冷泉元豊は落ち着いた姿勢で、
その斬撃を見極めながら相手を袈裟斬りにした。

葛原兵庫助は血を噴きながら、
どさりと音を立てて冷泉元豊の足元に倒れる。


その美しい斬り様をしっかりと見届けた弘中方明は、
嬉しそうな笑顔を見せながら元豊に近寄る。


「元豊殿、お見事だ。立派に成長されたな」

「ありがとうございます」

「まるで、お父上の姿を見るようだ」

「まことですか」

「ああ」


冷泉元豊の父とは、
大内氏の水軍を率いていた西国きっての名提督、
冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)である。

冷泉隆豊は、同僚だった弘中隆包と親睦が深く、
弘中隆包から弟の方明の行く末を託され、
若く未熟な方明に水軍の戦い方を叩き込んだ。

後に岩国水軍を率いる弘中方明にとって、
用兵の師だった。

冷泉家によく出入りをしていた弘中方明は、
隆豊の幼い子たち、元豊や元満と
よく話したり遊んだりした。

冷泉隆豊は、天文二十年(1551年)の「大寧寺の変」で、
陶晴賢らに追い詰められた主君・大内義隆に
最後まで付き従い、大寧寺で壮絶な討死を遂げた。

その際、冷泉隆豊の弟である豊英(とよひで)は、
まだ幼かった二人の甥を連れて、
政変に揺れる山口を脱出。

親交のあった安芸国(=広島県西)の国人領主、
平賀弘保(ひらが ひろやす)を頼って落ち延びた。

二人の幼子を手厚く庇護した平賀弘保は
毛利元就に従属していたおり、
元服した二人の兄弟は、毛利元就から名の一字をもらい、
冷泉元豊、冷泉元満と名を変え、毛利家臣となった。

弘中方明と冷泉元豊は敵同士となったため、
その後しばらく会うことはなかったが、
弘中方明が出家後に毛利軍に加わったことで、
ようやく再会を果たしたのであった。

師の実子・冷泉元豊が、
立派な武芸を身に付けている様を見て、
弘中方明は感慨にふけっていた。


「それにしても方明殿、何があったんですか。
いきなり声をかけたのは、まずかったですかね」

「まあね。肝を冷やしたね」

「申し訳ありません」

「いや、まあ結果的にはよかったよ」

「何者なんです、彼らは?」

「大友への内通者だ」

「えっ」

「まだ確認はしていないが、
それらしき物証があるのは分かった」


弘中方明の左手には、
絶命した稲田弾正から奪った書状が握られていた。


「ところで、元豊殿こそ、
何か用があったんじゃないのかい」

「ええ、隆景様がお探しになっていたので」

「そうか、ちょうどいいな」


弘中方明と冷泉元豊は、血まみれで横たわる
内通者の身体を見下ろしながら言った。


弘中方明の手に握られた、
稲田弾正と葛原兵庫助の書状。

この一通の書状の存在によって、
「門司城の戦い」の運命が
大きく揺り動かされることになる――――。


(つづく)





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『門司戦記』武将列伝 [七]
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■冷泉元豊 (れいぜい もととよ)

毛利家家臣。大内氏の水軍提督だった冷泉隆豊が主君・
大内義隆と共に「大寧寺の変」で最期を遂げた幼少時、
弟の冷泉元満と共に安芸国の平賀氏を頼り、元服後に
毛利家家臣となる。父譲りの武勇を認められ、門司城の
城代として弟と共に豊後大友氏に立ち向かう。
| 『厳島戦記』 | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(六) 城内不穏の巻
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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(六) 城内不穏の巻 
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総大将・小早川隆景の決死の入城に、
門司城城内は喜びに湧いた。


「隆景様! よくぞ、よくぞこのような死地まで、
お越し下さいました! よくぞ…!」


嬉し涙をにじませながら感謝の言葉を震わすのは、
門司城城代の仁保隆慰(にほ たかやす)だった。


「この仁保隆慰、隆景様のお手を煩わすほど
大友に追い詰められ、面目次第もございませぬ!」

「いや、隆慰はここまでよく耐え抜いてくれた。
見事な戦功だよ」

「隆景様〜! ありがたきお言葉にございます!」


想いがこみ上げむせび泣く仁保隆慰に、
小早川隆景は優しく微笑んだ。

隆慰のあまりの男泣きに、
城代の三角山城を落とされ門司城に逃げ込んでいた
杉彦三郎(すぎ ひこさぶろう)をはじめ、
門司城の将兵たちの目は涙に潤んだ。


仁保隆慰、杉彦三郎ら門司城の主将の多くは、
もともと、毛利氏に滅ぼされた
周防長門の大内氏の旧臣である。

毛利氏の中では譜代の家臣ではないため、
「いつか毛利からは見捨てられるのではないか」
という不安の中で戦っていた。

しかし、新参者が認められるためには、
何としても城を守りぬいて軍功を見せるしかなく、
城を落とされて敵に降ったところで、
また新参者の扱いが繰り返されるだけである。

そんな辛い奮起の中で憔悴しきっている彼らにとって、
総大将の小早川隆景自らが救援に駆け付けたことは、
何事にも代えがたい喜びであった。

小早川隆景は自ら、門司城の諸将の労をねぎらい、
城の堅守への勇気を与えた。

門司城内の士気は一気に湧きあがる。



総大将を出迎えた諸将たちが持ち場に戻った後、
隆景は、赤間関代官・堀立直正に案内され、
出丸の一つに張られた小さな幕舎に入った。

そこには、他の将兵たちから身を隠すように
弘中方明が隆景を待っていた。


「やあ、しばらくぶりだね、方明さん」

「隆景様。ご無事の入城、何よりです」


朗らかな笑顔の小早川隆景の姿を見て、
弘中方明は一礼する。

初陣以来の頼れる戦友である方明に近寄り、
再会の喜びもほどほどに、
隆景は密談の体勢を取った。


「方明さん、どう感じる?」

「隔たりは深いですね」

「やっぱり……」


かつて息の合った戦に明け暮れていた
戦友二人の会話は、最小限度の短いものだった。

しかし、その内容は実に密度が濃い。


小早川隆景は、門司城の危機の報を聞いた時、
その戦線の状勢に一つ気がかりなことがあり、
それを探らせる意味もあって、
先鋒の児玉就方の副将に、旧知の弘中方明を付けた。

隆景の意を受けた方明は、
門司城の中から情報収集に尽力していたのである。


「聞いたよ。就方と一悶着あったらしいね」

「お恥ずかしながら」

「やっぱりこの件は、思った以上に深刻だね」

「恐らく、敵もそこを衝いてくるでしょう」


小早川隆景が問題視して弘中方明に探らせた、
二人のいう「隔たり」とは何か。

それは、毛利陣中における、
毛利譜代と旧大内勢との間の根深い確執だった。


もともと安芸国吉田荘(=広島県安芸高田市)という
山奥の小勢力だった毛利氏は、
機に乗って、大勢力であった周防国(=山口県東)の
戦国大名・大内氏を攻め滅ぼした。

その勝因には、
毛利の「百万一心」の信条の存在が大きかった。

「百万一心」の字は、
「一日一力一心」を書き崩せる。

つまり「百万一心」とは、
家中全員が常に力と心を一つに合わせれば、
成功を勝ち取ることができる、という意味である。

これが、安芸国の国人領主の頃は大きな力となった。

盟主たる毛利元就を中心にして
元就の次男・吉川元春が養子に入った吉川氏、
三男の小早川隆景が養子に入った小早川氏ら、
周辺の国人領主たちが一致団結し、着々と力をつけた。

ところが、大内という大勢力を呑み込んだ時に、
毛利は大内時代を凌駕する大国へと膨張した。

すると、毛利家中で、
安芸国の国人時代からの譜代の家臣と、
大内征伐の際に降伏して加わった大内の旧臣という
二つの大きな門閥ができてしまった。

互いの派閥意識が大きくなってくると、
そこに妬みや嫉みが生まれ、連携力がなくなってくる。

いわゆる大組織病である。

毛利という組織が大きくなったことで、
内は毛利譜代と旧大内家臣との派閥割れ、
外は大友氏や四国勢などの新たな敵対勢力と、
内外に問題が増大していた。

小早川隆景が門司城の戦況で気になっていたのは、
その旧大内の家臣たちの心情だった。

毛利譜代の家臣たちは、
出雲国(=島根県東)の尼子討伐に集中しており、
門司城は仁保隆慰らをはじめ、
大内の旧臣である将らに任せていた。

今ここで、彼らが毛利に見捨てられたと感じ、
門司城を捨てるようなことがあれば、
防長の旧大内の将たちは一気に毛利に反発し、
毛利は尼子攻めどころではなくなるだろう。

果たして、毛利と旧大内の確執はどれほど大きいのか。

小早川隆景はそれを
弘中方明に探らせていたのである。

しかし、そもそも旧大内家臣である弘中方明が
毛利譜代の児玉就方とまさにその理由で揉めており、
問題は根深いものだということを痛感した。

この問題を根本的に片付けない限り、
毛利の国家経営はいつまでも安寧を得られない。

小早川隆景はそう考えていた。


「敵もそこを衝いてくる、……というのは?」

「大友勢が旧大内とのつながりを利用する、
ということです。
恐らく隆景様のご入城も、敵方に知られています」

「……内通者だね」

「十中八九は」

「そうだよね。実害はもう出てるかい」

「杉殿に三角山城陥落の時の詳細を聞き込んだのですが
どうも不審な点が多すぎます」

「その時から既に始まっていたのか……。
まさか、彦三郎ではないよね」

「ええ、杉殿に二心はないでしょう。
しかし、他の誰なのか、まだ確証がつかめませぬ。
今しばらくお待ち願えませんか」

「分かった、頼んだよ」


弘中方明が着目したのは、
門司城の支城である三角山城が落ちた時のことである。

三角山城は門司城と同じく、地に恵まれた山城で、
本丸のある山上からは広く山麓が見渡せ、
またその本丸へ登る経路は西側一方のみで、
他の方角は堅牢な曲輪に囲まれている。

毛利の将・杉彦三郎が城代を務めるこの三角山城が
わずか一日で大友軍に落とされたと聞いて、
門司城に逃げ延びてきた杉彦三郎に、
弘中方明はその時の様子をつぶさに訊いた。

杉彦三郎も、
いきなり虚を突かれて城を奪われたことに
どこか納得のいかない部分が多いと感じていた。

そして、陥落当日の配備などを掘り下げていくと、
大友に内通した者が城内にいたのではないか、
という疑念が起こってきたのである。

もしそれが、門司城に逃げ込んだ杉彦三郎と共に
今も門司城へと入り込んでいるならば……。

しかし、それはまだ確証のない推測に過ぎない。

それを裏付けるために、
弘中方明は門司城内を密やかに見回っていた。

小早川隆景が戦略立案に専念するためには、
この疑惑の根を押さえておかなければならない、
と弘中方明は強く思っていた。

それは、厳島の戦いの後に約六年間、
毛利にも大内にも属さず
武家としての空白の期間を持つ弘中方明だからこそ
従事できる裏の仕事でもあった。


小早川隆景は深く溜め息をつきながら、つぶやく。


「はあ。家中が一丸となるべきこんな時に、
毛利だ大内だなんていうつまらない群れ根性、
なくなる術はないものかなあ」


幕舎の出入口で外の様子を伺っていた堀立直正が
聴き耳のない様子を確認して、隆景を慰める。


「隆景様の胸中、お察し致します。
関門の圏域でそのような懸念があること、
赤間関代官たる拙者の不徳の致すところです。
我々も、何とか解決に動きまする」

「いつも、世話をかけるね」

「なあに。商人とて縄張り争いを生き抜くもの。
このような厄介事、日常茶飯事でござる。
あとは、この方明の働きに賭けましょうや」


堀立直正は弘中方明の肩を強く叩きながら言った。

よろける方明を見て、隆景は笑う。


「方明さんのことだ、
どうせ見当はついてるんでしょ?」

「……隆景様には隠しごとはできませんな。
お任せ下さい。二日以内には突き止めましょう」


方明はかしこまって、隆景に告げた。

隆景も強くうなずく。

小早川隆景は、無理をして門司城に入城したことを
改めて正しい選択だったと確信した。

この戦、門司城と赤間関の連携が何より重要だが、
この件については弘中方明との密な情報確認が
何よりも必要なことであった。

城内を隠密に動く弘中方明の働きが鍵だ。

小早川隆景は、弘中方明にその命運を託した。



十月七日の夜半。

明神曲輪(みょうじんくるわ)を一段下に見下ろす
出丸の端の暗い土手の縁で、
二人の毛利の将が城下の包囲網を指差しながら、
何やらひそひそと話し合っている。

その暗闇の中で、
弘中方明は火のついた松明を持って
さりげなく近寄っていく。

背後の明るみと足音に気付いた二人は、
共に腰の刀の柄に手を添え、さっと振り返った。

弘中方明は、手にした松明の炎で
その二将の顔を照らす――――。

(つづく)





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『門司戦記』武将列伝 [六]
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■堀立直正 (ほたて なおまさ)

毛利臣下の赤間関(=山口県下関市)代官。元は安芸国
(=広島県西)を拠点とする海運商人で、娘の夫である
弘中方明の推挙で、山奥出身の毛利氏の経済顧問として
軍中に加わり、関門海峡の通商圏の確保や東征のための
物資補給など、財政と物流の確立に大きく尽力した。
| 『厳島戦記』 | 13:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(五) 隆景着到の巻

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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(五) 隆景着到の巻 
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永禄四年(1561年)九月十八日。

赤間関(=山口県下関市)に、
毛利水軍の軍船が東から続々と着陣してきた。

関門海峡の西岸に次々と並ぶ毛利の船体。

ポルトガル船が門司城に艦砲射撃を行ない、
弘中方明らが門司城に突入した日から、
十六日後のことである。

その数、一万余。


既に一足先に赤間関に先鋒隊として到着していた
児玉就方(こだまなりかた)は、
将船から降り立つ水軍総大将を出迎えた。

その総大将は、
小早川隆景(こばやかわたかかげ)。

毛利元就の三男である。

小早川家に養子に入ってその当主となり、
瀬戸内海きっての強さを誇る小早川水軍を
統括する立場となったことから、
いまや毛利水軍全体を束ねる総大将となっていた。

この時、
小早川隆景はまだ二十八歳。

若いながらも水軍の用兵術は西国一と言われ、
毛利家中きっての知恵者とも評されていた。


その後方には、小早川隆景の連れてきた
毛利水軍の諸将たちが姿を並べる。

小早川隆景のすぐ後ろに控えるのは、
毛利水軍の中でも主力の小早川水軍を統率する
海戦の達人、浦宗勝(うらむねかつ)。

そして、さらにその後ろには
桂元親(かつらもとちか)、
赤川元吉(あかがわもとよし)など、
各水軍を指揮する諸将が居並んでいる。


「お待ちしておりました、隆景様」

「やあ、就方。遅れてすまないね。
本当は一昨日には着きたかったんだけど、
途中でちょっとした交戦があってね」


小早川隆景は、相変わらずの明朗な笑顔で、
児玉就方に遅刻の理由を述べた。

毛利氏は現在、長年の敵対勢力であった
出雲国(=島根県東)の尼子晴久(あまこはるひさ)を
攻め滅ぼすことに全力を注いでいる。

ところが、豊後国の大友氏が
門司城奪還のために大軍で北上している報を聞き、
毛利氏を束ねる大御所・毛利元就(もとなり)は、
長男で元当主の毛利隆元(たかもと)、
そして三男の小早川隆景に水軍一万八千を預け、
門司城救援に向かわせた。

その時、尼子氏と大友氏の挟撃の混乱を見て、
長門国(=山口県西)に潜伏していた
旧大内氏の残党たちが密かに決起の準備を始めた。

ちょうど長門に向かっていた隆元と隆景は、
長門沿岸にくすぶっていた大内残党たちを討滅。

その鎮圧に二日を有し、赤間関への進軍が遅れた。

毛利隆元は長門国内の混乱収拾のために
防府(=山口県防府市)に八千の兵と共に残り、
小早川隆景が一万の主力を引き連れて
赤間関まで西進してきたのである。


「ところで就方、戦況はどうかな」

「はっ。堀立壱岐守と弘中河内守が
三百の赤間守備隊を率いて門司城内に突入。
兵糧と武具を補充できたため城内の士気は上がり、
いまだ大友軍を寄せ付けておりません」

「そうか。でも、そんなに長くは持たないよね」

「はい。門司城にいる杉彦三郎からも、
つい先ほど援軍要請の連絡がありました。
しかし、赤間守備隊が門司城へと出た今は
我らが赤間関を守るしかなく、
隆景様の到着を待つほうがよいと」

「そうだね。さすがは就方、賢明な判断だと思う。
じゃあすぐに、軍議にかかろう」


児玉就方から簡単に現況を聞いた小早川隆景は、
すぐに幕舎に移って諸将たちと策を練った。



城主として守っていた三角山城を大友氏に落とされ
門司城に退いた杉彦三郎からの報告によると、
門司城を包囲する大友軍は三万余。

小早川隆景率いる一万の毛利水軍の到来により、
大友軍はその奇襲を警戒し、
平地が広く兵を多く置ける田野浦や
門司ヶ浜などの地の守備を強化し始めたとのこと。

そのため、門司城に入城する最短の出入り口であり
堀立直正や弘中方明らもその突破口とした
明神曲輪(みょうじんくるわ)の先は、
大友軍の守備が比較的手薄になっているという。


「どうぞ門司城に入ってくれと言わんばかりだな」


矢盾で組んだ軍机の上に広げられた海峡の地図を
諸将が覗き込む中、
総大将の小早川隆景は深く潜考した。

これが大友軍の策略だと怪しむ声も将から出たが、
明神曲輪の先は海と山に囲まれた細い地であり、
大軍が一度に素早く動けるはずもない。

和布刈神社付近に上陸した直後に
大軍で挟撃するといった奇襲作戦などは
ここでは実行できないことも、敵は分かっているはずだ。

つい先日、突破作戦が成功した場所だけが、
敵の包囲網にぽっかりと孔を開けている。

大友氏が何を狙っているのか、読めない。

本当に、毛利水軍の大友陣への奇襲を警戒して
広い平地に兵を固めているだけなのかもしれない。

そんな思案を諸将が重ねる中、
小早川隆景はいきなり、一見関係のなさそうな質問を
児玉就方にぶつけた。


「そう言えば、就方。
方明さんと何か揉め事はなかったか?」


児玉就方は予想外の問いに面食らう。


小早川隆景が、本来は家臣であるはずの弘中方明を
「方明さん」と親しげに呼ぶのには理由がある。

かつて毛利氏が大内氏に従属していた時、
安芸国の守護代は弘中隆包(たかかね)であり、
隆景が小早川家の当主の座を継ぐ際、
隆包の代官としてそれを取り仕切ったのは、
隆包の弟である弘中方明であった。

もともと岩国水軍を指揮していた弘中方明は、
小早川水軍を率いることになった隆景の補佐として
大内氏の備後神辺城(=広島県福山市)攻略の際の
隆景の初陣にも同行し、その成功を支えた。

隆景の傍らで水軍用兵の基礎を伝授した方明は、
隆景にとっては兄のような存在だった。

その弘中方明が、兄が討死した厳島の戦いの後に
仏門に入り、最近になって毛利氏に加わったため、
隆景にはまだ方明は家臣のようには思えず、
どこか旧友のような親しみやすさが抜けなかった。

隆景は、毛利氏に武家として復帰した弘中方明の
初めての仕事として、児玉就方の副将に任じ、
門司救援のために赤間関へと向かわせたのである。


「……と申しますと?」

「方明さんが門司城へと渡る時に、
その作戦はすんなりと決まったの?」

「……いや、実はお恥ずかしい話ですが……」


児玉就方は言いにくそうに、
その時のことを正直に小早川隆景に申告した。

弘中方明の考えを、毛利譜代としての目から見て
旧大内の家臣たちの馴れ合いだと罵ったことである。

児玉就方と弘中方明は一触即発になりながらも、
毛利の問題を理解して、戦略を分かち合った。

小早川隆景は児玉就方の話を聞いて、
怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく、
「そうか…」とつぶやき、
目を瞑りながらただ納得したようにうなずく。

諸将たちは隆景の質問の意図がまったく理解できず、
互いに顔を見合わせていた。

隆景はしばらく思い悩むと、
パッと目を見開いて、諸将に告げた。


「いずれにせよ、門司城には補給が必要だ。
明朝、闇に紛れて、八百の兵を門司城に入れる。
そして、できる限りの兵糧と矢を運び入れるのだ」

「承知つかまつりました。
誰がその任に当たりましょう」


児玉就方が小早川隆景に問う。

毛利の諸将は誰もが
その対岸への決死隊を率いる覚悟はできており、
自分に下知をと待ち構えていたが、
隆景の返答は意外なものだった。


「私が行こう」

「なりませぬ!」


隆景の発言に間髪を入れず反対の声を挙げたのは
小早川隆景の懐刀、浦宗勝である。

普段は寡黙な宗勝も、
好奇心あふれる隆景の突発的な衝動の時には
声を荒げて制止する。


「あなた様は、この毛利水軍一万の総大将ですぞ。
総大将が水軍を残して対岸に渡って、なんと致します。
将船にて全軍の指揮に集中なさいませ」

「いや、この戦いは対岸からではなく、
城から包囲網の様子を直接正確につかむかどうかで
命運が決まる。私が門司城に入れば、
確実に大内の動きを読んで策を作ることができる」

「ご冗談を申されますな。
総大将が物見のような真似をなさって、
この大勢の水軍を一体誰が束ねるというのですか」

「おぬしだ、宗勝」

「!?」


即座に答えが返ってくる時の小早川隆景は、
既に戦略が固まりかけている証拠である。

好奇心から来る冗談を口にしているのではなく、
何か深い理由があってのことだと、浦宗勝は直感した。

隆景は続ける。


「杉彦三郎の報告だけではまだ不明な点も多い。
だから、正しく確認したいことがいくつかある」

「……」

「私が門司城から眼下の海も陸も正確に把握し、
そこから対岸のおぬしたちに命令を出す。
おぬしはその指示に従って、就方らと共に、
門司城の城兵と連携して水軍を動かすのだ」

「……しかし、隆景様が乗り込むのはあまりに危険。
この宗勝、共に参ってその身をお守り致します」

「いや、私の指示の本質を遠くから正確に読みつつ
これだけの水軍を操れるのは、おぬししかいない」


浦宗勝は、以前は乃美宗勝(のみむねかつ)という名で、
父が養子に入っていた浦氏の名籍を継いで、
現在の浦宗勝へと改名した。

生家の乃美氏は、隆景が小早川氏に入る前から
小早川水軍を率いていた提督の家系であり、
宗勝も小早川水軍の用兵を誰よりも身に付けており、
毛利水軍の中でも主軸の将であった。

「厳島の戦い」でも毛利に勝利をもたらした
主君小早川隆景との阿吽の呼吸は国内外に知られ、
瀬戸内海で勢力を持っていた村上水軍をも引きこみ、
毛利の海戦力を大きく担っている。


「それならば、私どもがお供致します!」


浦宗勝に代わって大きく名乗り出たのは、
二人の若々しい武者。

冷泉元豊(れいぜいもととよ)、
冷泉元満(もとみつ)の兄弟であった。

彼らは、かつて大内氏の水軍を束ねていた
名将・冷泉隆豊(たかとよ)の子息たちである。

冷泉隆豊は「大寧寺の変」の時、
主君の大内義隆の最期まで傍に付き従い
陶隆房主導の反乱軍を相手に凄絶な討死をした。

その時まだ幼かった彼らは、安芸国の平賀氏に預けられ、
成人してから毛利氏に仕えることになり、
当主の毛利隆元から「元」の一字を名にもらった。

元豊と元満は父と同じく水軍の将として成長し、
小早川隆景の下、毛利水軍に加わっていた。


「よくぞ申した、元豊、元満。
父譲りのそなたらの武勇に、我が命を託そう。
夜明け前に、八百の兵と共に門司城に向かう!」


小早川隆景は、冷泉兄弟の勇気に応え、
諸将たちと今一度連絡の伝え方を確認した後に、
渡海準備に取り掛かった。


そして翌日未明。

小早川隆景は冷泉兄弟と共に、
一千の兵を率いて密やかに和布刈神社へと渡った。

児玉就方は敵の注意を別に引きつけるため、
南岸にて慌ただしく出航の準備のような動きを見せた。

門司を埋め尽くす大友軍はそちらに気を取られたのか、
毛利軍一千の上陸には全く無反応だった。

そのため、小早川隆景らは悠々と明神曲輪にたどり着き、
城内へと兵糧を運び込むことができた。


大友軍が包囲する門司城に、
小早川隆景が密かに入城する。

総大将が敵の包囲網の真っただ中に移ったことなど、
決して敵軍には知られてはならないこと。

しかし、小早川隆景が門司城に入ったことは、
ある理由から、
大内軍に完全に筒抜けていたのである――――。


総大将を誘い出して門司城に閉じ込めることが、
大内軍第一の策略家・田北民部の謀略だったのか。

それとも、それが敵の謀計であることを既に、
毛利軍随一の知恵者・小早川隆景は見抜いていたのか。

いつの世も、策謀は戦場を駆け、
計略は戦地に踊るもの。


両軍の権謀がぶつかり合って、
やがて門司城下は
血の海の死闘の場と化すことになるのだが――――。

(つづく)


 

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『門司戦記』武将列伝 [五]
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■小早川隆景 (こばやかわ たかかげ)

毛利元就の三男。小早川家の当主となり、毛利隆元・
吉川元春の二人の兄と共に毛利家を支える。毛利水軍を
統率して厳島の戦い、門司城攻略、伊予遠征、木津川口の
戦いなどで軍略を奮う。天下統一を果たした豊臣秀吉の
政権下では五大老の一人として国政にも大きく関与する。
| 『厳島戦記』 | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
門司戦記(四) 東明寺城の巻

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門司戦記 〜雷雲の陣〜
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(四) 東明寺城の巻 
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門司城のある企救半島は
大半が山で占められ、平地が少ない。

そのため、三万を超える大軍勢の大友軍は、
平地という平地をびっしりと埋め尽くし、
天嶮の門司城に精神的な圧力で迫っていた。


この日、大友軍の本陣は、
東明寺城(とうみょうじ城)に置かれていた。

二年前の永禄二年(1559年)に、
小早川隆景率いる毛利軍が門司城を落とした際、
大友軍が門司城奪還のために
やや南方の小高い東明寺山に築いた出城である。

門司城を北に眺めることができる小山であり、
山頂は平たくなっているため、
幕営を並べるにも適した場所であった。

この東明寺城の大友本陣で、
諸将が集まって軍議が開かれていた。


上座に構える総大将は、
大友家第二十一代当主、
大友義鎮(よししげ)である。

齢は三十。

十年前、「二階崩れの変」と呼ばれる政変で
命を落とした父・大友義鑑(よしあき)に代わって、
嫡男として若くして家督を継いだ人物である。

混乱極まる大友の家臣団をまとめ上げながら、
九州の周辺諸国へと影響力を広げ、
室町幕府との関係や南蛮との貿易を強化するなど、
着々と国の力を固めていった。


大友義鎮には、かつて二人の弟がいた。

次男の晴英(はるひで)、
三男の塩市丸(しおいちまる)である。

このうち、長男の義鎮と次男の晴英の母は、
周防国(=山口県東)の戦国大名であった
大内義隆(おおうちよしたか)の妹である。

三男の塩市丸は側室の子であったが、
父・大友義鑑はこの側室と塩市丸を溺愛し、
そのうち、嫡男の義鎮を廃嫡して、
塩市丸に家督を継がせようと考え始めていた。

そして義鑑は、義鎮派の家臣を次々と粛清。

天文十九年(1550年)、
身の危険を感じた義鎮派の家臣数名が、
大友氏居館に夜襲し、
二階で就寝していた大友義鑑と塩市丸を殺害した。

この豊後の政変を、「二階崩れの変」という。


当主とその後継者候補が一度に殺され、
混乱しかけた大友家中は、
義鎮派の家臣たちの尽力で何とかまとまり、
大友義鎮が嫡男として家督を継ぐことになった。

ところが、翌年の天文二十年(1551年)、
大友氏の運命を変える出来事が、国外で起こった。

周防国山口で、守護大名の大内義隆(よしたか)が、
家臣の陶隆房(すえおきふさ)に
大寧寺に追い詰められて、自刃し命を失ったのである。

この周防の政変を、「大寧寺の変」という。

大内義隆は、大友義鎮や晴英の叔父にあたる。

大内氏家臣の陶隆房は、大内義隆の死に伴い、
その甥である大友晴英を大内の当主に迎えたいと、
晴英の兄である義鎮に打診してきた。

晴英は、母の実家の役に立てるならばと、
進んで山口に移り住んで大内氏の当主の座を継ぎ、
大内義長(おおうちよしなが)と改名した。

そして、家臣筆頭の陶隆房は、
大内義長の旧名・大友晴英から一字を賜り、
陶晴賢(すえはるかた)と名を変えた。

古来より、関門海峡を挟んで
度々衝突を起こしていた大友氏と大内氏だが、
この時、兄弟で両家を治めることにより、
両家の軋轢はなくなり、協調路線となった。


ところが、大内氏の中の一勢力であった
安芸国(=広島県西)の毛利元就(もうりもとなり)が
大内義長・陶晴賢の国家経営に対して謀反を起こす。

天文二十四年(1555年)、
毛利元就は「厳島の戦い」で、
大軍勢であった大内本軍を一夜にして壊滅させた。

この戦いで、大内義長の新政権を支えていた
陶晴賢、弘中隆包などの重臣たちが討死。

新生大内氏は一気に弱体化し、
弘治三年(1557年)、当主大内義長は、
毛利氏によって追い詰められて、自害した。

それにより、毛利氏は周防・長門を手中に収め、
関門海峡を挟んで大友義鎮の勢力に接することになった。

こうして、大友義鎮は、
毛利元就と交戦状態になったのである。

大友義鎮にとって、毛利氏は実弟の仇。

門司城を毛利氏から奪還することは、
関門海峡の制海権の確保という意味もあるが、
義鎮の弟の仇討ちという意味合いも大きく、
大友勢は総力を挙げて門司へ進軍してきたのである。



大友氏には優れた武将が多くおり、
それぞれが各方面への戦に明け暮れていたが、
門司城攻めにはそれら諸将が集結していた。

九州一の勢力を作り上げた名将たちが、
軍議にずらりと顔を揃える。


当主大友義鎮の左に座るのは、
大友家臣団の宿老、吉岡長増(よしおかながます)。

大友氏の政務を取り仕切る内政の達人で、
三万もの大軍勢を門司まで遠征させながらも
その兵糧や武具の調達や補給が滞りないのは、
まさにこの吉岡長増の手腕によるものである。


その隣には、
田北民部(たきたみんぶ)が着座する。

調略に長けており、その戦略によって
大友氏に各地での勝利をもたらしてきた人物である。

一時は毛利氏に奪われていた
三角山城(みすみやま城)などの門司各地の支城を、
次々と落としてきたのも彼の諜略によるものだった。


彼ら文官に向かって、大友義鎮の右側には、
智勇を兼ね備えた歴戦の武官たちが居並ぶ。

その中でも、「豊州三老」と呼ばれる三人の将は、
大内義鎮の勢力を九州一へと押し上げた
最大の功労者とも言える名将たちで、
普段は各方面に遠征を重ねる彼らが
こうして戦場で一堂に介するのは珍しい光景だった。


まずは、臼杵鑑速(うすきあきすみ)。

武勇だけではなく、外交術にも長けた武将であり、
周辺諸国との連携や敵への降伏勧告など、
その交渉手腕によって戦況を我が物にしてきた。

南西の肥後国(=熊本県)にまで
大友氏が勢力を広げることができたのは、
臼杵鑑速の軍事能力の賜物であった。


次に、吉弘鑑理(よしひろあきまさ)。

卓越した武力を持つ勇将で、
肥前国(=佐賀県・長崎県)にまでその武勇を見せつけ、
大友氏の影響力を西へと伸ばすのに大きく尽力した。

長男の鎮信(よしのぶ)、二男の鎮理(しげまさ)も
父に劣らぬ豪傑としての素質を持つ若者であり、
吉弘氏の大友家中における発言力は大きかった。


そして、大友義鎮の右手に坐するのは、
大友家随一にして西国無双の猛将と名高い、
戸次鑑連(べっきあきつら)である。

大友義鎮が「二階崩れの変」の後に
無事に大友氏の家督を継ぐことができたのは、
混乱する大本家臣団を彼がまとめ上げたためであり、
まさに大友義鎮の腹心中の腹心と言える。

戸次鑑連は、戦場には常に輿に乗って現れ、
輿ごと敵軍の中へ突入し打ち崩すため、
周辺諸国の諸将からは
「豊後の雷神」「豊州の鬼」と恐れられていた。

さらに戸次軍は、由布惟信、小野弾介などの
優れた武者を多く抱えていたため、
大友氏のあらゆる戦において一番槍、一番乗りを果たし、
九州では比類なき最強の部隊と言われていた。


また、大友氏の武官にはこれら豊州三老の他にも、
伊美弾正(いみだんじょう)、
竹田津則康(たけだつのりやす)、
一万田源介(いちまんだげんすけ)、
宗像重正(むなかたしげまさ)、
大庭作介(おおばさくすけ)など、
名だたる豪傑が居並んで、闘志を剥き出しにしていた。



大軍を門司に遠征させている大内軍は、
何としてでも決着を早めたいと願っていた。

だが、門司城の攻略にもたついている間に、
小早川隆景(こばやかわたかかげ)率いる
毛利水軍本隊が、対岸の赤間関に到着してしまった。

対岸でこちらを伺う敵軍を牽制しながら、
いかに確実に門司城を攻め落とすか。

その策を評定ために、まず口火を切ったのは
宿老の吉岡長増だった。


「南蛮船の砲撃で毛利は委縮するかと思うたが、
その隙を突いて門司城に入った兵もあったそうだ。
戸次殿、いかほどかご存知か」

「我が家臣、由布源兵衛惟信の報告によると、
門司城に入城した毛利兵は約三百。
率いるは赤間関代官、堀立直正だったとのこと。
兵糧や武具を幾ばくか運び入れた模様」


戸次鑑連が把握している情報を
冷静に諸将に提供する。

大友義鎮も諸将も、
その三百の毛利兵の入城に関しては、
それほど気にしていなかった。

問題は、小早川隆景が東から引き連れてきた、
赤間関に並ぶ約一万の毛利水軍である。

水軍は、海を自由に駆る。

つまり、門司を埋め尽くしている大友軍を、
どこからでも急襲できるということでもある。


「毛利は厳島の海戦で、
宮島に密集させた大内軍を奇襲にて打ち破った。
その同じ轍を踏むことだけは、避けねばならぬ」


大友義鎮は軍扇で門司周辺の地図を指しながら、
臣下たちに心情を吐露した。

諸将が思い思いの考えを述べ始める。


「厳島合戦は、嵐の中の奇襲が功を奏しましたが、
この海峡は対岸まで近く、相手は丸見えです。
たとえ嵐でも、相手の動きは見えまする」

「しかし、海峡が狭いということは同時に、
攻めようと思えばいつでも来るということでもある。
海側も迅速に反応する心構えが必要であろう」

「上陸させなければいいだけの話でござる。
陸にさえ上がらなければ、水軍など恐るるに足らぬ」

「いや、船から火矢など射かけられてみよ。
それが燃え広がれば我が方の被害も甚大じゃ。
やっかいな敵であることは間違いない」


大友軍は九州随一とも言える軍事力を持っているが、
それは陸戦で猛烈な力を発揮する軍隊である。

海戦が巧みな相手との対決は初めてのこととあって、
誰もが考えがまとまらないのか、
諸将から次々に出てくる意見はみな異なっていた。

そんな中、一人薄ら笑いをしている田北民部を見て、
大友義鎮は田北民部に問う。


「民部。何かもう策がある顔だな」

「御意にございます」

「頼もしい。申してみよ」

「はっ。先日、堀立直正らが
我が軍の包囲を抜けて門司城に入ったこと、
我らにとっては好機と存じます」

「なんと」


老猾な軍略家である田北民部の発言に、
それまでざわついていた諸将の注目が集まる。

不敵な笑みをこぼしながら、田北民部は続けた。


「あやつらの門司城入城が、次の策の引き金でござる。
うまくいけば、毛利本隊を一網打尽にできます」

「まさか、三角山城の時の……」

「さすがは殿でございます。
常に敵中に火種を備えておくことこそ我らが妙計。
今こそ、その火種の使い時と言えましょう」


何かに気付いた大友義鎮に、
田北民部は冷酷に微笑しながらうなずいた。

既に、田北民部の諜略は進行していたのである。

そして、その諜略の全容が、
田北民部によって諸将らに静かに伝えられる――――。



九州門司を兵で埋め尽くす三万の大友軍と、
本州赤間関に軍船を並べ尽くす一万の毛利軍。

夜になると、両軍の篝火が轟々と燃え盛り、
関門海峡は両岸から明るく照らされ、
まるで炎の参道のごとく闇夜に浮き上がっていた。

この一触即発の海峡において今、
新たな激突の瞬間が始まる――――。 


(つづく)


 

――――――――――――――――
『門司戦記』武将列伝 [四]
――――――――――――――――

■大友義鎮 (おおとも よししげ)

豊後国(=大分県南)の守護大名。「二階崩れの変」の
後に若くして家督を継ぎ、その外交力と経済力で室町幕府
から豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後の九州六か国の
守護および九州探題の職を受け、名実共に九州最大の大名
となる。後に大友宗麟と名を変え、キリシタン大名となる。
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