2010.12.11 Saturday
厳島戦記(二十六) 折敷畑山の巻

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厳島戦記(二十六) 折敷畑山の巻
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第五部「防芸謀略戦」
陶晴賢主導の大内義長新政権に手切れを宣言した毛利元就は、
大内軍の主力が津和野三本松城(=島根県津和野町)の攻城に
専念している隙に、次々と安芸国内の城を落としていった。
毛利の勢力拡大を阻止すべく、陶晴賢は三本松城の吉見正頼と
すぐに講和を結び、宮川房長に命じて毛利防衛に向かわせる。
猛将・宮川房長率いる軍勢は、進軍途中の諸領の兵も合流し、
その数七千人にまで膨れ上がっていた。
毛利元就は瀬戸内海を望む桜尾城(=広島県廿日市市)に
軍を留めていたが、宮川房長の軍勢はその桜尾城を見下ろせる
折敷畑山に本陣を敷いた。
天文二十三年(1554)九月十四日のことである。
桜尾城に滞陣する毛利軍の兵数は、三千足らず。
対する陶軍は、二倍以上の兵力で桜尾城をにらんでいる。
「大軍勢ですな…。残された手はもはや、籠城のみですか」
視線の先の折敷畑山に揺れる陶軍の旗を見ながら、
毛利元就の二男、吉川元春は父につぶやいた。
桜尾城の城壁から、毛利元就は目を細めて敵陣を見つめる。
その後ろで、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の三子は、
息を呑みながら父・毛利元就の判断を待つ。
「いや…」 元就は、元春の問いに答える。
「援軍や後詰めが十分にあるならば、確かに籠城で耐え忍ぶべきだ。
しかし、この桜尾城には、毛利のほぼ全軍が集まっている。
籠城をするとしても、いったい何を期待して待つというのか。
ここは、城を撃って出るしかあるまい」
「敵は大軍です。この兵力で、勝てますでしょうか」
不安を口に出したのは、三男の小早川隆景である。
知略に長けた隆景であっても、
この危急を切り抜ける自信が湧いてこないようだ。
「隆元は、どう思う」
元就は、傍に控える長子の毛利隆元に意見を求めた。
隆元は名目上は既に毛利家の当主であり、
今回の御手切れに際して、毛利の行く末を決断した当人でもある。
元就はそれ以来、ちょくちょく隆元に考えを聞くことが増えた。
「なぜ、弘中殿が来なかったのかが分かりませぬ」
毛利隆元の口から、対陣にいる者とは別の将の名が出てきた。
「三本松城では、弘中隆包殿が九州から駆け付けたと聞きます。
恐らく筑前(=福岡県北部)の宗像勢を吸収しているから、
その勢いでこちらに向かってくるものかと思っておりました」
毛利元就は、隆元の意見に感心しながら口を開く。
「うむ…。わしもそれが不思議でならなかったのだ。
隆包殿がいないので分かれば、我らの作戦はもう決まったのう。
宮川房長など所詮は陶の飼い犬、恐るるに足らぬわ」
まるで拍子抜けするかのような息が、毛利元就から漏れた。
その武勇は安芸国内まで知れ渡っている宮川房長だが、
毛利元就にとっては全く眼中にない相手のようである。
勝利を確信した元就は、軍議のために本丸へと戻った。
翌十五日の朝。
朝もやが晴れると、折敷畑山の宮川房長軍本陣からは、
山の麓に小隊が留まっているのが見えた。
毛利元就の大将旗がはためいている。
総大将の毛利元就、そしてその嫡男の毛利隆元の部隊が、
桜尾城から出て、悠々と待ち構えていたのである。
そして、ひょろひょろと山上へいくらかの矢を射かけながら、
「周防の猪武者は、その山を下りることはできまい」
「陶の犬に用はない。晴賢を出せ」
などと、本陣に向かって悪口雑言をはやし立て始めた。
「山猿が調子に乗りおって…。目にもの見せよ!」
逆上した宮川房長は、本隊に山麓への突撃を命じた。
眼下の毛利隊は、宮川軍本隊に比べればあまりにも小勢である。
蹴散らさんと、宮川軍は山道を駆け下りる。
だが、目の前の毛利隊を小勢だと侮って突出した宮川軍は、
山上の本陣から山麓まで、細長く伸びきってしまった。
そこに、左側から吉川元春隊、右側からは小早川隆景隊が、
幕のように伸びた宮川軍を横から突いた。
正面の毛利元就、毛利隆元も勢いに乗って攻め上がってくる。
山中は宮川軍、毛利軍が入り乱れての大激戦となった。
その様子を本陣で見ていた宮川房長は、鼻で笑った。
「やはり、吉川と小早川が待っておったか。こしゃくな」
宮川房長は、必ず横からの奇襲があると先を読んでいたのだった。
そのため、第一陣には山麓へと突撃させたものの、
本陣には第二陣となる余力を十分に残していたのである。
「毛利の小勢どもなど、ひねりつぶせいっ!」
正面の毛利隊、そして横から出てきた吉川隊と小早川隊を、
全てまとめて殲滅せんと、宮川房長は第二陣を率いて
本陣を駆け下り始めた。
さすがに国内外にその名の知られた猛将、宮川房長である。
吉川隊や小早川隊の奇襲をものともせず、
次々とその兵を斬り伏せながら、毛利隊へと向かった。
宮川房長率いる第二陣がまさに吉川・小早川隊を斬り抜けようと
勢いを増そうとしたその時、
大将不在の山上の本陣に、大きな異変が起こった。
福原貞俊・宍戸隆家率いる毛利軍の別動隊が、
折敷畑山の背後から現れ、宮川軍本陣になだれ込んだのである。
本陣を守る大内軍は次々と福原・宍戸隊に斬り倒されていく。
後方の本陣を急襲され、宮川軍は大混乱に陥った。
宮川房長は、振り替えって山上の本陣を見上げた。
そして、目を見開いたまま、がたがたと怒りに肩を震わせる。
決して毛利を侮るな。侮った時点で終わるぞ――――
津和野から出立する時にそんな小賢しい助言をしてきた、
弘中三河守隆包の顔が、宮川房長の脳裏に浮かんでくる。
折敷畑山の本陣の戦火を見上げながら、
宮川房長は、十数年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。
あれは、主君・陶隆房、つまり今の陶晴賢に従って、
籠城する毛利元就を救うため
吉田郡山城(=広島県安芸高田市)に援軍に向かった時だ。
敵将・尼子詮久、つまり今の尼子晴久が、
吉田郡山城の向かいにある三塚山の山上に本陣を構えたが、
その本陣を大内軍が奇襲し、尼子軍は総崩れとなった。
陶隆房の傍らで、宮川房長はその様子を見上げていた。
その時の記憶と、全く同じ様子が今の目の前に広がっている。
あの時、三塚山の尼子本陣を奇襲したのは誰か。
そう、弘中三河守隆包、その人である――――。
弘中隆包の忠告を軽んじた自分が今、
かつての弘中隆包の奇襲と同じ軍略で危地に立たされている。
妬みか恨みか分からない、弘中隆包に対しての刺々しい感情が、
宮川房長の中で爆発した。
「三河ァァァッ!!!」
まるで、弘中隆包の軍略に衝かれたような錯覚に陥った宮川房長は、
そこにはいない三河守隆包の名を叫びながら、
狂ったように刀を振るい、周囲の毛利兵を次々と斬り伏せた。
だが、狙いの定まらぬ房長の刀は、やがて空を斬り始め、
正面から駆け上がってきた毛利元就隊の長槍に身体を貫かれた。
猛将と謳われた宮川甲斐守房長は、
猛獣のように激しい雄叫びを上げながら、血を噴いて倒れ込む。
雄々しくも、突然の最期であった。
大将が討たれて求心力を失った宮川軍は周章狼狽し、
毛利軍の包囲に押されて、あっという間に殲滅された。
七千余にも及んだ宮川房長の大軍はほぼ壊滅し、
毛利軍が挙げた宮川軍の首級は七百以上にも達した。
折敷畑山の戦いは、こうして、
毛利軍の一方的な大勝利に終わったのである。
折敷畑山にて宮川房長軍、全滅。
津和野三本松城から周防山口(=山口県山口市)へと
帰還していた総大将の陶晴賢が、
その報を聞いて憤怒の絶頂に達したことは、言うまでもない。
「毛利め……、必ず殺す」
陶晴賢は、血が滲むほどに唇を噛みしめた。
そして、大内に反旗を翻した毛利を征伐すべく、
大内軍の全てを総動員して安芸攻略への準備へと乗り出す。
安芸の辺境で堂々と大内家の大恩を裏切り刃を向けた毛利は、
何度殺しても飽き足らぬほど憎き反逆の国人。
必ず毛利を殲滅することを、晴賢は固く心に誓った。
陶晴賢の編成する大内本軍の中にはもちろん、
弘中三河守隆包の姿もあった。
安芸国の発展に尽くした盟友、毛利元就と弘中隆包。
その悲運の対決は、
わずか一年後に迫っていたのである――――。
(第六部へつづく)
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『厳島戦記』武将列伝 [二十六]
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■宮川房長 (みやながふさなが)
陶家家臣。武勇に秀で、江良房栄・宮川房長と共に「富田の三房」と
呼ばれ、陶軍の中核を担った。毛利元就が大内家に反旗を翻した際、
弘中隆包を差し置いてその防衛軍として陶軍を率いて桜尾城に向かい
折敷畑山に布陣するも、毛利元就軍の急襲に遭い、その命を落とす。



